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「くらし」とモードの終わり

直近3回()で「くらし」をつつみこんでいる時間感覚で、新しいものを追い求めつづけるモダニズムのそれと、はるかな過去と未来と現在をふくむ、すべての存在が由来する<時間の大洋>のそれと、のふたつがあることを見ました。

おそらくは、前者(モダニズム)から後者(<時間の大洋>)へ、僕たちをつつみこんでいる時間感覚は重点を移しはじめています。その前者

「新しいもの」、「最も新しいもの」をいつも追い求めつづける呼吸自体が、いくらかは「古い」もののように感覚されはじめている。

『海景』寄稿文 見田宗介 青幻舎 

兆候の一例としてモードの終わりを見てみようと思います。

モードが依拠していた特権階級と非特権階級という図式は崩壊し、そういう意味ではモードは終わったと言えるでしょう。・・・「服を買うこと自体がトレンドではなくなった」ということでしょう。トレンディなことも、トレンドを追うこと自体も、もはやトレンドではないのです。

『モード後の世界』 栗野宏文 扶桑社 2020年

これは三浦展の言うことともかなり重なります。消費社会の最先端を走りつづけてきたおふたりの確信なのでしょう。

僕は最近、「ファッションシステム・キルズ・ファッション(Fashion System Kills Fashion)」、つまりファッション業界のシステムがファッションを殺しているという話をよくします。結局、供給する側が、本当に面白いものを提供せず、いわゆるトレンドを盲信して、「トレンディなもの」を売りさえすれば、売れると思っていたのです。でも、百社の企業が同じようなものをトレンドだと思っていたら、同質化するのは当然の結果です。

同書

この話は他の業界でも当てはまるところのある気がします。僕の頭に浮かぶのは、ひと昔(ふた昔?)前の雑誌がそれだったかなぁって。中にはものすごくいい雑誌もあったんですけど、逆にトレンドを追えてないためか消えていきました。利益を上げるにはトレンドに乗るしかなかったって実状もあった気がします・・

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