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私という普遍性

□要約
直面しているのは、自分一個の問題ではなく、「人類の悩み」、誰もがどこかで直面する普遍的な問題だと神谷はいう。個の問題を深めていくことと人類の問題にふれることは矛盾しない。

しかしらいのひとたちの持っている問題も、結局、人間がみな持っている問題を、つきつめた特殊な形であらわしているのにすぎないのであるから、これだけ切りはなして扱うべきではないとも考えた。それでほかの病気や苦難のために生きがいをうばわれるような状況にあるひとびとのこともしらべてみた。がん、原爆症のひと、最愛の者をうしなったひと、死刑囚、戦没学生その他。また人間の心の世界をやはりつきつめた形であらわしているという意味で、過去二〇年間、精神科医として接してきたひとびとの例をも参照した。そのほか、精神医学にかぎらず、心理学、文学、哲学、伝記など、広い範囲のかきものや実例をも参考にした。

苦しみのない人生、悲しみを経たことのない生涯は存在しない。自分の苦悩や悲痛は自分個人のもの、誰もそれを完全に理解できない、誰もがそう感じ、それは事実。しかしその厳粛な事実はそのまま、それぞれの人生の深みで私たちは、思いもしないかたちで未知なる他者とのつながりを発見することがある、個に起こった出来事を深めること、その道行きこそもっとも確実な普遍へと続く旅路になると神谷はいう。

□本

『100分de名著 神谷美恵子 生きがいについて』
若松英輔 NHK出版 2018年

目次
はじめに
第1回 生きがいとは何か
第2回 無名なものたちに照らされて
第3回 生きがいを奪い去るもの
第4回 人間の根底を支えるもの
*第1回と第2回から構成

□景色

人間はべつに誰からたのまれなくても、いわば自分の好きで、いろいろな目標を立てるが、ほんとうをいうと、その目標が到達されるかどうかは真の問題ではないのではないか。・・・結局、ひとは無限のかなたにある目標を追っている
重い病の床にあって毎日苦痛を耐えしのぶのがやっと、というひとでも、積極的な生きがい感をもちうるひとがある。・・・自分にはよくわからないけれども、これはなんらかの大きな摂理によって与えられたものだ。自分はこれをすなおに耐えしのぶことによってその摂理に参加し、ある意義を実現することができるのだ、という意味感に支えられている。

神谷は「生きがい」とは何かを考えるときの導線となる四つの問いを挙げる。

一 自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
二 自分固有の生きていく目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか。
三 以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
四 一般に人生というものは生きるのに値するものであるか。

個から普遍へ、「わたしは」から「人生は」へ、と階段を昇るように変化していく。「私」という不安定な、ときに普遍性を欠く存在の、生の決定的実感から出発する。「生きがい」を見失った人が何を求めているのか。

自分の存在はだれかのために、何かのために必要なのだ、ということを強く感じさせるものを求めてあえいでいる

いのちの泉「生きがい」の源泉は、誰も他者に与えることはできない、これは厳粛な事実で、一見すると大きな困難、翻ってみると、これほど大きな希望はない。人間を生かす根源的なはたらきが、すべての人にすでに付与されている。「生きがい」は潜在的にすべての人の人生に存在している。

生きがいというものは、まったく個性的なものである。借りものやひとまねでは生きがいたりえない。それぞれのひとの内奥にあるほんとうの自分にぴったりしたもの、その自分そのままの表現であるものでなくてはならない。
ひとは他人への愛ゆえに自らの自由を捨てて、ひとに仕えることもある。ほかの道をとることもできるのにこの道をえらぶとしたならば、これもやはり自由に不自由をえらぶといえる。
人は自分であり切らねばならない


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