前回、国債残高が1000兆円を超えたという記事をご共有しました。
・・その国債残高ってなによ?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。経済は、ふだんから積極的に情報を取り入れている人でもない限り、聞き慣れない、読み慣れない言葉が四方八方に飛び交っています。僕なんかはちょっと読むだけで疲れちゃうのですが、それが原因だと思っています。国債残高もそんな言葉の一つかもしれません。
要は、国債残高とは今を含めた将来の税金です。
それがいま1000兆円を超えているというのです。なぜこんなに累積したのか。その一因に高橋財政を参考にしたため、というのが挙がるかもしれません。
高橋財政というのは、1931年〜1934年に高橋是清が大蔵大臣を務めていた時期におこなわれた政策群のことです。
そして
その後の1936年予算作成時に、高橋蔵相は国債減額を提案しますが、軍部の拡大要求とぶつかり二・二六事件に倒れます。高橋財政が終わっても、国債は戦後まで増大の一途をたどっていきます。
国債増大の一途の先でたどり着いたのは、激しいインフレと金融非常措置、預金封鎖・新円切替でした。
物価が5年で90倍..。戦争が終わっても人々の生活難はつづき、たとえば裁判官である山口良忠が1947年に栄養失調で餓死しています(次回、戦後インフレをもう少し詳しく見ます)。
高橋財政を通してお伝えしたかったのは、国債が増大しつづけた結果、激しいインフレが起こり預金封鎖や新円切替がおこなわれたことを、歴史が教えてくれるということでした。