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「くらし」とインフレと可謬性(雑記)
最近、インフレがニュースでちょくちょく採り上げられるようになってきました。円安だったり、GOLDの高値更新だったりも報道されていますね。
いま観測できるインフレは、給料は上がらないけれども物価は上がるという特徴を持っているようです。可処分所得、使えるお金が減っていく可能性をもち、「くらし」を不安定なものにさせるかもしれません。悲観的に見た方が適切なのでしょうか。
でも、いまのインフレはピークアウトした可能性がある。だから、そんなに心配しなくてもいいんじゃないかという意見も出てきているようです。楽観的に見た方が適切なのでしょうか。
僕は悲観的でも楽観的でもなく、終始、わからないというスタンスを貫きたいと思っています。
以前、「いのち」のために「お金」を学ぶでこんなことをお伝えしました。
激しいインフレが起こるとは言えません。ただ単に経済が活性化されているだけかもしれません。しかし、激しいインフレが起こらないともやはり言えません。これからどうなるか、誰にもわからないのです。
やはり、わからない、とお伝えしました。わからないなら、書かなくて良くない?という気持ちも湧かなくないのですが、それには僕がこんな考えに影響されているからです。
「思考する参加者(人間)がいるような状況において、参加者の世界観は常に部分的でしかなく、しかも歪んでいる」・・・「可謬性の原則」
また
「歪んだ状況認識は、その結果として発生する状況参加者の不適切な行動を通じて、状況に対して影響を及ぼしうる」・・・認識が誤っていれば、その誤った認識にもとづいて発生する行動は、必然的に不適切になる・・・「再帰性」の理論
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おおざっぱに言うと、人間は必ずしも正しくないものの見方をしている。完璧じゃない。だから、人間の行動も必ずしも正しいものではない。
結果、社会的事象においては、参加者の意図と実際の行為、そしてその結果との間に、必然的にずれが発生する・・・現実に対する理解についても、実際に起こる事柄についても、不確実性が入り込んでしまう
そのため、そういった人びとから生じる社会現象には不確実性があり、意図したこと、行動したこと、それらの結果、それぞれにずれが生じうる。
なので、インフレがピークアウトしたかどうかはまだわからないと考えた方が好ましいと思います。約1年前にはインフレは一時的だという見方が大勢でしたが、いつの間にかそういった見方は消えてなくなっています。
報道や記事、誰かの意見、話を見聞きすると、わかった気になったりしますが、そのわかった気こそが危うさを生んでいるかもしれない、という話を書かせていただきました。