絶望と孤独を抱える若者たちとの対話
私のもとには、毎日のように相談が寄せられる。20代の女子大学生からは就職活動の悩みを、スタートアップの若手経営者からは事業運営の葛藤を、そして30代のキャリアの転機に立つビジネスパーソンたちからは職場での人間関係や進路の選択について。それぞれが抱える問題は異なるが、共通する感情がある。それは、「孤独」と「不安」だ。
ある日、大学生の彼女が私のもとを訪れた。何度も企業の面接に挑戦してきたものの結果が伴わず、自分には価値がないのではないかと涙を流していた。彼女の目には、自分より能力が高く、自信に満ち溢れた同級生ばかりが映っていた。私は彼女の話を聞きながら、24歳で事故に遭い、孤独と絶望の中にいた自分を思い出していた。
また別の日、スタートアップの経営者である20代の男性が事業の行き詰まりについて相談に来た。資金繰りや人材確保、競争の激化という課題に追われ、疲弊しきっていた彼は、「弱音を吐いたら経営者として失格だと思う」と苦笑いを浮かべた。その言葉を聞いた瞬間、彼の孤独が痛いほど理解できた。それは、かつて私が「弱さを見せることは許されない」と感じていた頃の自分と重なっていたからだ。
これらの相談に対して、私は答えをすぐに提示することはしない。むしろ、彼らの言葉を一つひとつ丁寧に拾い上げ、問いを投げかける。「今、一番自分にとって大切なことは何か?」というように、彼ら自身が問題の本質に気づき、自分の力で答えを見つけられるようにする。そのプロセスを通じて、彼らの中に眠る可能性を引き出し、孤独や不安を少しでも軽減させることが目的だ。このアプローチは、私がかつて孤独と絶望に向き合ってきた経験から生まれたものだ。
ただし、相談者にすべてを明かすわけではない。彼らには知られたくない過去がある。それは、24歳のときに遭遇した自動車事故による絶望と、そこからの長い回復の道のりだ。頸髄損傷や脳の一部を失うという身体的な損傷に加え、家族、恋人、親友、職場からのとどめを刺すような仕打ち。「もう未来はない」と感じた精神的な絶望。その頃の自分が今の自分に出会っていたら、どれほど救われただろうと考えることがある。
一方で、こうした関わりを通じて感じるのは、若者たちが置かれている環境の厳しさだ。就職y転職活動では成功する人だけが注目され、競争の中で自分を見失いそうになる。スタートアップでは孤独な経営者が心を開ける場がほとんどない。30代では職場での理想と現実のギャップに苦しみ、自己価値を見失う人が少なくない。彼らの姿は、過去の自分の延長線上に見える。
私は、孤独や絶望を乗り越えるために最も必要なものは「対話」だと考えている。これは単に誰かに話を聞いてもらうという意味ではない。自分自身と向き合い、心の奥底にある本音と対峙するプロセスだ。そして、その作業を他者とともに行うことで、人は孤独の中から立ち上がる力を得る。私が今、若者たちとの対話を通じて行っているのは、過去の自分にしてあげたかったことそのものだ。
「絶望と孤独の僕に会いにいく」。この言葉は私自身の物語を象徴する。現在、私が相談者と向き合うたびに、心の中で過去の自分との対話が行われている。「あのときの自分を救うには、どうすればよかったのか?」という問いに答え続ける日々だ。そして答えは明確だ。孤独や絶望が消えることはないが、それを抱えながらも前に進むことで、過去の自分も未来の自分も意味を持てる。これが、私が若者たちと関わる理由であり、彼らに伝えたい最も大切なメッセージだ。
彼らとの対話を通じて、私自身もまた過去と未来をつなぐ旅を続けている。絶望と孤独の中にいた日々があったからこそ、今、誰かの支えになることができる。それは決して偶然ではなく、私自身が選び、歩んできた道だ。この道を通じて、私は孤独と絶望を超えていく力を信じている。
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