龍になったおしょうさま〜十和田湖の伝説〜
十和田湖伝説は青森県では広く知られており、南部地方(かつて南部藩だった地域)を中心に親しまれてきました。私の実家でもあるお寺は十和田湖伝説とゆかりがあり、十和田湖の龍神になったとされる僧侶が修行したお寺だと伝えられます。十和田湖伝説は私個人としても幼少の頃より馴染みのあるお話ですが、時代や世代を超えた魅力を持っています。そんな素敵な物語について、こちらで紹介させて頂きたいと思います。
伝説のあらすじ
東北を代表する景勝地である十和田湖。面積60平方km、湖周44km。青い湖水がとても美しい湖です。その“十和田湖ブルー”は季節によって異なります。
十和田湖には龍神がいると伝えられます。その龍神は、もともとは僧侶でした。僧侶の名は南祖坊(なんそのぼう)。彼は幼少の頃より抜群に美しく、抜群に賢い男でした。それゆえに様々な「苦悩」にさいなまれ、さらには周囲の者を「苦悩」させることになります。
南祖坊は旅に出ます。あるとき、神仏から「杖が折れ、わらじの緒が切れた所が、あなたの安住の地ですよ」とお告げを受けます。全国の霊山霊跡を巡行し、ついに神仏のお告げ通りに杖が折れ、わらじの緒が切れました。それが十和田湖だったのです。
しかし十和田湖には八郎という龍神がいました。十和田湖の主をめぐって南祖坊は八郎と“対決”し、十和田湖の龍神となりましたとさ。チャンチャン。
以上が十和田湖伝説のあらすじです。この大筋に様々なエピソードが備えられていて、実に豊かな内容を持つ物語になっています。
バリエーション豊かな十和田湖伝説
十和田湖伝説を伝える写本は多く存在しており、ストーリーの大筋は共通していますが、写本によって内容が異なっています。SFさながらのものもあれば、長編小説のような体裁のものもあり、バリエーションはとても豊かです。
普賢院には『十和田山神教記』(とわださんじんきょうき、以下『神教記』)という写本が2冊あり、伝説を今に伝えています。
この『神教記』が伝える十和田湖伝説が実に奥深く面白いのです。普賢院に所蔵されているからイチオシというわけではないのですが、多くの方に知って頂きたい物語だと感じています。そのようなわけで、こちらでは『神教記』に記される十和田湖伝説を紹介させて頂きます。
伝説の主人公 スキャンダル多き「美僧」南祖坊
まずは主人公である南祖坊について。
先にも触れたように、私の実家でもあるお寺・普賢院(ふげんいん)は、南祖坊が修行したお寺だと伝えられます。普賢院は平安初期に開創されたお寺で、鎌倉時代初期から江戸時代初期は永福寺(えいふくじ)というお寺の名前が用いられていました。
南祖坊は斗賀(とが、現在の青森県三戸郡南部町)出身で、普賢院第2世住職の月法律師(がっぽうりっし)の弟子になったとされます。普賢院には南祖坊の像である南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)が祀られています。
具体的なエピソードについては後々紹介しますが、南祖坊は“女性スキャンダル”が多い美僧侶として描かれています。“文春砲”を数発くらってしまうようなスキャンダルが、この伝説を語る上で非常に重要な要素になっています。
『神教記』の十和田湖伝説は中々のボリュームなので、根幹となる部分を中心に紹介を重ねていきたいと思います。時代や世代をこえて南部地方を中心に親しまれてきた伝説を少しでも味わって頂ければ幸いです。
つづく