自転車日本一周の旅61日目
目を覚まし、テントのファスナーを開けると、外は霧雨が降っていた。帰るなと言われているみたいだった。湿度があるからか、寒さはそこまで感じない。タバコを吸ってからテントに戻る。
支度をしながら、この2畳ほどの空間で寝泊まりすることはもうないのだと思うと、とてつもなく寂しい気持ちになった。
枕にした2リットルのペットボトルに、快適とはいえない折りたたみのマット、バッグを置くと寝返りが打てなかった。それくらい狭かった。
だけど、慣れてみたらここは家だった。
毎日ファスナーを開けたら違う景色が見える。それが楽しかったなあ。終わりは本当にあっけない。
支度を済ませてから、近くのマクドナルドで朝マックをして出発。空は霧のような雲に覆われていて、晴れることはなさそうだったので諦めて濡れながら走る。
山を超えてたつの市に入った。幸運なことに今日は登り坂はなく、平坦な道が続く。ただ、11月の雨はひどく冷たい。体の芯から冷えているので震えが止まらない。
走って1時間ほどしたら手の先の感覚がなくなった。事故らないために休憩をとる。ホットコーヒーを握ったときに血が通うのがわかった。生きている……。
高校の卒業旅行ぶりに姫路城を見たが、キンタマの裏筋までビチョビチョになっていたので無感動だった。無表情で城を通り過ぎる。
平坦な道を走り続けた。雨は弱まるどころかその勢いを少しずつ増していき、前が見えなくなったのでヤマダ電機の駐車場に避難した。だが、立ち止まると余計に寒い。雨が止む気配がないので、諦めてまた走り出した。
途中、コンビニに立ち寄る。震えながらカップヌードルを食べたが、涙が出るほどおいしかった。安藤百福さんに感謝。
午後2時過ぎ、明石海峡大橋を通過。晴れていたらどんな眺めだったのだろう。立ち止まると強い風が吹き、キンタマにぶつかった。凍死する気がしたので先を急ぐ。
神戸市に入ったと思った矢先、トラブルが起きた。
走っているとハンドルが左右に大きく揺れ、自転車のスピードが下がっていったのだ。
嫌な予感がしたので、後輪を見ると見事にパンクしていた。最悪だ!
自転車を押してとぼとぼ歩く。雨が当たらない場所を探していると、一階が駐車場になっているアパートを見つけたので、そこでパンク修理にとりかかった。
岡山のときは意外とスムーズに直せたが、今回は寒さで身体が震えていて、指先がうまく動かない。雨の音と風のせいでパンクした箇所もなかなか見つけられない。
心が折れそうな状況で黙々と作業をしていると、傘をさしたおばさんが通り過ぎた。おばさんは僕を見ると、何かを思い出したように走り出す。嫌な予感がした。管理会社かなにかに通報されると思ったのだ。
その数分後、おばさんが姿を表した。なにを言われるかと思ってドキドキしていると、おばさんは笑いながら僕に袋を差し出した。
袋にはバナナやみかんが入っていた。怒られると思っていたので呆気に取られていると、おばさんは言った。
「旅してはるんでしょ?いっぺんこういうことしてみたかったんよ。迷惑やったらごめんねぇ。雨やけど、これ食べて頑張ってねぇ」
おばさんはそう言うと手を振りながら去っていった。僕はただ「ありがとうございます」といって頭を下げることしかできなかった。
地面に座り、バナナを食べる。めちゃくちゃ甘かった。本当に、本当にありがとうございました……。
気合を入れ直し、パンク修理に再びとりかかる。時間がかかってしまったが、なんとか直し終えて出発。もう5時を過ぎていた。震えが止まらないが、雨になんか負けてられまへん。
神戸市を通過する。
灘区あたりを走っていると、また自転車のハンドルが大きく揺れた。
おかしいと思ってみると、また後輪がパンクしていた……。
勘弁してくれ!まだ1時間も走っていなかったので、さすがに心が折れた。駐車場があったので、全部放り出して寝転んだ。
もうここで一生過ごす!この駐車場がおれの家!うごかねぇぞ!
そんなことを思っていると先輩から電話がかかってきた。今日は新大阪に住むW先輩の家に泊めてもらうのだが、もうすでに約束の7時になりつつあったのだ。
なにしとん?と言われたので、パンクしまして凹んでます、というと、ようわからんけど焼肉行くから早くしろよ、と先輩は言って電話を切った。
焼肉。焼肉ですか。
電話が切れた瞬間に体を起こし、パンク修理にとりかかる。早く直そうと思った。なぜなら焼肉が待っているのだ。パンクなんか屁でもない!早く直すぞ!そして先輩と肉を食うのだ!!!!
暗くなりつつあったので難儀しつつも、なんとかパンクを直すことができた。目的地まであと30キロ。頑張っていこう!
雨でビチョビチョだったこともあり、甲子園には立ち寄らなかった。また今度、阪神の試合を見に来たい。
尼崎市に入ると、幸運なことに雨が上がった。爽やかな風が吹いたのだが、いかんせん全身ビチョビチョなのでとても寒い。ブルブル震えながら新大阪を目指す。約束の時間からはだいぶ遅れてしまった。
川を越えて大阪に入る。いくつか道に迷い、約束の時間から大幅に遅れて先輩の家についた。W先輩は学生寮の先輩で、やさしい人なので怒っていなかった。ただ、ビチョビチョなまま家に上がろうとしたらさすがに「ちょっと待て!」と言われた。
先輩と銭湯に行き、焼肉を食べた。お湯に浸かった瞬間、「ふわあああああああ」と声が出て先輩が「なんやお前」と笑っていた。今日がいかにヤバかったかを説明する。先輩は笑って聞いてくれた。
焼肉は最高、最高でした。W先輩と肉厚のハラミを食べるために、舌で溶けるロースを味わうために、今日は1日雨に打たれていたのかもしれない。
ご飯を食べて、先輩の家に戻った。もうすでに夜遅かったので、少し話をしたら先輩は寝てしまった。かなりお待たせして本当にすいませんでした、そしてごちそうさまでした。
先輩の寝息を聞きながら、いよいよ明日で旅が終わるのかあ、とぼんやり考えた。旅が終わることも、そもそも自分が日本を一周したのだという実感が全然ない。こんなものなのだろうか。
暗闇をぼーっと見ていると、だんだん何を考えているのかわからなくなってきた。バナナをくれたおばさんと、W先輩に感謝しながら寝た。
生きます。