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【エッセイ】右脳さんぽ(PART3)
24年の年末から25年の年始にかけて、約1カ月半の期間、東京と故郷五島で「探求」活動を行っていました。その記録をエッセイという形でまとめたので、少しずつ紹介します。
今回は、第二章「人・自然」の中から「山本二三さん」の文章をご紹介します。
※エッセイを書いた背景はPART1に記載しています。こちらもあわせてご覧ください
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山本二三さん
アニメーション美術監督の山本二三さんは五島出身である。
二三さんのご経歴については、私より詳しい方は多くいると思うので簡潔にとどめるが、美術監督として『火垂るの墓』『もののけ姫』『天空の城ラピュタ』『時をかける少女』など、数多くの名作を生み出してきた方だ。中学生まで五島で暮らし、中学校卒業後に五島を離れている。
そんな二三さんの作品を展示した『山本二三美術館』が、江戸時代の街並みを残す武家屋敷通りという場所の一角にある。私が五島で暮らしていた頃にはなかったので、今回はじめて訪れた。
この美術館では、二三さん自身が美術監督を務めた作品の作画とともに、五島の風景を描いた作品が展示されている。高校の同級生が二三さんに憧れてアニメーションの世界を志した話は何となく記憶にあったが、正直私は、二三さんについて深く知らなかった(つくづく何も地元のことを知らなかったことを思い知らされる)。
展示されている作品はアニメーションの作画ではあるが、写真やそのまま見た風景以上に、その場所を表現しているように感じる。
その場に吹く風、匂い、音。
絵という視覚情報から、そうした視覚以上の情報も伝わってくる。
少し話はずれるが、私は数年前まで、東京での忙しない時間と五島でのゆったりとした時間の流れの違いから、帰省の度に少し居心地のわるさを感じていた。それが今は少し変化してきている。別のところで次の文章を書いた。
情報過多な状態で生活していると人間は「入ってくる情報を選別する(遮断する)」という反応をしている気がします。一方、情報が少ない状態に身を置くと、自らの五感を開いて情報を能動的にとる状態になる。最近は五島にいると「目が開く」感覚があります。いつも重いまぶたがひらき、遠くの森の木々の一本一本が鮮明に見えます。東京にいる間、自身がどれだけ目を閉じて(物理的にも、過多な情報から見たいものだけを見るように情報を遮断しているという比喩的な意味でも)いるんだなと。
二三さんの作品を見ていると、この「目が開く」感覚と同じものを感じる。
作品から、生き生きとした自然が立ち現れてくるように感じる。
『火垂るの墓』の高畑勲監督は、二三さんの作画を次のように評している。
作品世界が現実的であろうがファンタスティックであろうが、アプローチの仕方は変えない。そこに表現されるべき個々のモノに愛情を注ぎ、モノに細密な物質感と迫真性を与える。(中略)かくして二三さんの美術はしばしばリアルな「リアル」を超え、第二の「リアル」を画面に作り出す。ある種のファンタジーとなる
「リアル」を超えた「ファンタジー」。目に見えるもの以上の豊かな感覚の表現。
『時をかける少女』の細田守監督も、二三さんとの作品を振り返り、次のように述べている。
繊細な筆致で綿密に書き込まれた絵は、ただただ美しく、その上、品があり、豊かで、実感が込められており、人がそこに暮らす生活の佇まいや歴史をも描き出し、まるで若い登場人物たちを暖かく見守ってくれているかのようでした
二三さんの「ファンタジー」には温度がある。二三さんの描く風景は生きている。
ちなみに、風景の「景」には「ひかり」という意味がある。風景を描くとは、「風」と「ひかり」を描くこと。風もひかりも、同じ瞬間はない。どの一瞬を捉えて描くのか、そこに描き手の感性、心が現れるのだろう。
少し脱線するが、写真も「ひかり」で表現するものである。
五島滞在の前、東京で三つの写真個展に行った。一つは五島在住の写真家廣瀬健司さんの個展、二つ目は妻の知り合いで初めての個展を開かれていたひなこさんの個展、三つめは写真広告や是枝裕和監督作品などで映画撮影にも携わっている瀧本幹也さんの個展。
作品に添えられた廣瀬さんの次の言葉が非常に印象的だったので、引用したい。
写真はアートか?写真というものがアートとして認められていないと自分では思う中、どうしたらいい写真が撮れるんだろうと考える事がある。何かに感動して「①こころのチャンネル」が、あぁいいな…と感じ、うっすらと、その時点のイメージやタイトルが浮かんだりして…それを表現するために筆(レンズ、アングル、露出、フィルターなど)を選び「②技術のチャンネル」を工夫する。この二つの「チャンネル」が、強くはっきりしている事が、いい写真が生まれる為の最低条件だと思う。そしてシャッターを押す瞬間に、ひらめきや動きや気象状況などが更に後押ししてくれる事もある。日ごろの撮影を思い出してみると、②の方に一生懸命になり、心はクールってことが多い傾向にあるので、①を大切にしていきたいと思う
私は写真については全くの素人だが、廣瀬さんのこのメッセージを見て、写真はアートであると思った。被写体は最初からそこに存在するのではなく、写真を撮る側の感性を通じて現れるものなのだと。
観たものの何に、どの瞬間に心惹かれるのか。展示されている作品について直接会話できたのは、ひなこさんとだけだったが、それぞれの写真家が「心のチャンネル」で何を見ているのか、その心を垣間見ることができたような気がした。
二三さんの話に戻る。二三さんは、十年の歳月をかけ、2021年に五島の雄大な景色を百点描くライフワークの作品群『五島百景』完成させている。
中学卒業後に五島を離れて数十年、五十代後半になったころ、次のような思いを抱いたと、言葉を残されている。
自分は故郷のことを何も知らない。子どもの頃は、自転車で周れる範囲の五島しか知らなかった。そして、実は農業を継ぐのが嫌で五島を飛び出したのでした。申し訳ないような、後ろめたい気持ちもあった。今からでも遅くない。絵を描くことで五島のことをもっともっと深く学んでいこう。
五島の風景は変わっていく。それは実際の環境としても、観るものの心としても。
二三さんの描く、五島の風景は二三さんの感性を通じながらも、私も含め五島の人たちの心にある「生きた五島」を表現したものである。
晩年二三さんは、私の地元富江町にある勘次々城(かんじがしろ)に伝わる民話をもとにした漫画を製作中だったらしい。亡くなる数日前まで描き続け、最終ページの途中まで描いていたとのことだ。
この民話は、石塁が今もある現実と河童が出てくる想像が混ざっているのが魅力的だ。話の筋がどこか抜け落ちているような、唐突さや不条理さがかえって想像力をかきたてる。もしかしたら昔の人々が何か伝えたいことがあったのか、あからさまに語るには何か問題があったのかもしれない。昔の人々は何を伝えたかったのか、そしてなぜこの民話が現代までつたわっているのか
リアルをファンタジーで補い現在に甦らせる。二三さんの遺作である漫画を読むことができなかったのは残念でならないが、五島を故郷とするものの一人として、その心はささやかながら引き継いでいきたいと思う。
師は自然です。子どもの頃から見てきた五島の雄大な風景が自分の絵に大きな影響を与えています。
二三さんの描いた『五島百景』と、その生き様は、後世に残る五島の宝であると思う。
※今回の文章でご紹介した『山本二三美術館』についてはこちらからも詳しく知ることができるので、是非ご覧ください