道心は微妙で、人心は危うい。
より
上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:裏権力支配の手口・枠組み(スキーム)とは?両建支配を打ち破る「真実論」の重要性。日本の「道」の考察。
〇裏権力の人数は約1万人とか世界人口の1%とかと言われる。要するに、世界の全人口からすると極少数である。その少数者が世界を牛耳る事が出来るのは、様々な手段で大多数の大衆を意識的・無意識的な彼らの「味方」ないし「手先」と化しているからであろう。日本では特にその割合が大きいと思われる。
〇「様々な手段で大多数の大衆を意識的・無意識的な彼らの「味方」ないし「手先」と化」と書いたが、その「手段」としては「政府広報」「メディア」「学校教育」「インフルエンサー」などが挙げられる。これらを通じて、大多数の大衆を裏権力が意図した通りに又は許容範囲内で思考言動するよう仕向ける。
〇前述の仕掛けが今の日本ではかなり酷く機能していると思う。その事がコロナ騒動でいよいよ顕在化した。裏権力としては、アフリカや印度はもちろんのこと、欧米すらあまり惑沈を打ってくれなくなったので、いまだに惑沈を打ちまくっている日本に本格的な国際謀略拠点を構築しようとしていると思われる。
〇影響力のあるインフルエンサーが気に入らない人間を晒して信者に攻撃させる手口があるが、その信者の事を「ファンネル」と呼ぶ場合がある。ネットスラングながら中々言い得て妙だと思う。「ファンネル」とはアニメの「ガンダム」に出てくる「脳波でコントロールする設定の無線式のビーム兵器」である。
〇誰かを盲信して何も考えずに突っ込む者は他人の思考でコントロールされている飛び道具みたいなものと言える。故に「ファンネル」は中々本質を突く面白い表現だと思った。要するに「他人の道具化」。人間を道具とし、攻撃手段などとして使う手口。「他人の道具化」は裏権力の支配手段全般に通じている。
〇人数的に極少数である裏権力メンバーだけで「世界支配」など不可能。意識的無意識的な大衆の「協力」がなければ実現出来ない。NWOが実現するような事があれば、それは多くの大衆が裏権力の意向に従う又は協力した結果である。だからこそNWO阻止の為には、自分で物事を考える人を増やす事が重要になる。
〇意識的無意識的にNWO化に協力する者は、謂わば「共犯者」である。独立的思考・批判的思考を失い、「政府」「メディア」「インフルエンサー」等の言う事を鵜呑みにすると、その気が無くても裏権力の様々な謀略の共犯者になり得る。そうなると、意識的に協力する確信犯でなくても事実上の工作員と化す。
〇「大多数の大衆を裏権力が意図した通りに又は許容範囲内で思考言動するよう仕向ける」と書いたが、人々の思考言動を裏権力の「許容範囲」に閉じ込める手法・枠組み(スキーム)が「両建」である。個々の人間の思考を完全に「意図した通りに」操作するのは、如何に悪知恵の塊りでも至難の業と思われる。
〇裏権力支配の巧妙な所はここにある。全人類を単純に画一化しようとするのではなく(最終目標がそこでも)、様々な対立構造をも支配の中に組み込む。彼らの政策への反対意見すら取り込んで許容範囲内に収め、全体をコントロールする。例えば、「惑沈反対運動に手先を送り込んで主導権を握らせる」など。
〇「裏権力支配の巧妙な所は様々な対立構造をも支配の中に組み込む事」と書いたが、「揺れ」を計算に入れて作られた建築物の方が壊れにくいのに似る。「裏権力がコントロール出来る又は許容出来る対立構造」を「両建構造」と呼ぶとすれば、裏権力支配の急所は「全てを両建の枠内に収める事」と言える。
〇したがって、「両建の枠から出る」という事は「裏権力のコントロールと許容範囲から出る」事を意味する。ここに両建批判の眼目がある。両建の枠から出る事で初めて両建ならざる本質的な陰謀追及になり得る。そうでない限りは、如何に裏権力及びその走狗の謀略や政策に反対しても援兵になる危険がある。
〇「(裏権力は)様々な手段で大多数の大衆を意識的・無意識的な彼らの「味方」ないし「手先」と化す」と書いたが、これは「両建の枠内に囲い込む」と換言出来る。裏権力にとっては、人々を彼らに従順な「手先」「味方」「奴隷」に出来ればベストなのだろうが、そうでなくても許容範囲に収めようとする。
〇裏権力やその謀略についてある程度認識している人に対しては、紐を付けたり誘導したりして彼らにとって「無害」で「許容可能」な範囲に収める。それだけでなく、思想的に洗脳して謀略を援護する手駒・援兵と化する。例えば、戦前の陰謀研究家の多くが日猶同祖論に引っ掛かり、親猶太論に誘導された。
〇両建に囲い込む手法は次の如しと分析。手駒を要所要所に配置し、メディアやネットなど各種媒体を通じて大々的に宣伝するなどして後押しする。そうすると、それら各手駒を盲信する「信者」が発生する。一旦「信者」になると、自分で物を考える事が出来なくなるので、後は思うがままに誘導・操作される。
〇あるいは、意図的に対立構造を作り出し安手の善悪二元論に誘い込むという手口もある。物語やストーリーを製造し、そこに引き込むやり方は、特定の人物を盲信させる事と同様に強力な効果をもたらす。物語やストーリーを作る際のネタ元として、聖書や黙示録の如き宗教の教典や神話が用いられる事が多い。
〇ストーリーは文化によって様々である。「荘子・大宗師篇」に「其の堯を誉めて桀を非(そし)らんよりは、両(ふたつ)ながら忘れて、其の道に化するに如(し)かず」なる文言があり。大意は「聖王の代表とされる堯を誉めて、悪王の典型とされる桀をそしるよりは、両方共忘れて、自然の道に則るのがよい」。
〇荘子の時代には「善人の典型=堯」「悪人の典型=桀」という歴史観があったのだと思われる。これも物語・ストーリーの一種である。もし裏権力が介入するとすれば、これを利用して両建構造を作るであろう。そこで荘子は「両忘」を言い、既成の善悪論から距離を置き、自ずからの道理に則る事を勧める。
〇だが、「道に化する」という表現は老荘に特化し過ぎているので、両建批判の参考とする為に「道」なる語をもっと広い意味に取りたい。「道」は日本や東洋の思想・学問に於いて千鈞の重みを持つ非常に重要な一語である。その中身は個々の学によって様々であるが、東洋の学問は共通して「道」を追求する。
〇「道」は「真実」とも言い換えられる。「道」は「道理」であるが、抽象的観念的な「真理」より、事実に即した「真実」という表現の方が相応しいであろう。その前提で先程の荘子の言葉を参考にすると、「誰かが刷り込んでくる既成の善悪二元論を鵜呑みにせず、自分で考えて真実を見つけ出すべし」という
〇教訓が導き出される。事実・真実の探求は「陰謀論」ではなく「事実論」「真実論」である。一切の両建の枠組みから出た陰謀追及者は「真実論者」と呼ばれるに相応しい。両建を破るには、世の中に流布される枠組みを疑い、自分で事実・真実・道理を探求する姿勢が重要と思う。それが「道」なのであろう。
〇余談。日猶同祖論に触れたついでに、「道」についてさらに考察。道という語は日本と猶太の文化を分かつ重要なポイントだと考える。猶太人=猶太教徒の文化は「律法」という明文化されたルールで日常生活を規制する所に特徴がある。一方、日本では宗教的な「律法」で日常生活を細々と縛る習慣はない。
〇宗教的な「律法」を重視する猶太文化とは異なり、古来の日本人の道徳観は細かく明文化されたり概念規定を施されたりする事が少ない。人倫は人為人工のものではなく、自然の自ずからのものと考えらえる。それが言語化された時には「道」とか「道理」と呼ばれる。「道理」は中世以降によく使われた言葉。
〇「道」は今の日常語でもよく使われる表現である。「人の道に外れる」「道を踏み外す」「非道」など。「術」や「技」を「道」に昇華しようとするのが日本文化の特徴である。「術」「技」「芸」の根底に「道」があるとの文明観。江戸時代に大成した伝統的な学問は「道」を探求する「道の学問」であった。
〇そういう訳で、「道」と「律法」の違いに日本と猶太の根本的な相違を見る。猶太の律法は「神から与えられた」と観念されているが、日本の「道」は自ずからのものであり、人格神的存在から与えられたものとは観念されない。戦国時代には「天道」という観念があり、これによってキリシタンに対抗したと、
〇最近の歴史研究で述べられている。「天」は印度の神の訳語に当てられるなど人格神的存在を意味する場合もあるが、「天道」は荘子に出典があるので「天=自然」と取り「自然の道」という程の意味と解釈する。島原の乱の様子を描いた戦絵でキリシタン側が「天帝」という文字の書かれた旗を掲げていたが、
〇「天帝」は猶太教・基督教の造物主観念に近い言葉と言える。「天帝」的な「デウス」を信仰するキリシタン勢力に対抗するのに、戦国時代の日本人が「天道」を掲げた事は、道を重視する日本と人格神重視の猶太基督教の相違を如実に示していると考察する。明治以後は「道」が後退し、西洋化が進んだが。
〇両建を打ち破る為の思考のヒントとして、荘子の「両忘」という語を引用した。改めて引用すると、「其の堯を誉めて桀を非(そし)らんよりは、両(ふたつ)ながら忘れて、其の道に化するに如(し)かず」という文言である。「堯=善・桀=悪」という既成の善悪論を鵜呑みにせず、「道」によるべしという程の
〇意味である。ここで注意が必要なのが、「既成の善悪論が駄目ならそれを逆転させればよい」という思考パターンである。先程の例なら、「堯=善・桀=悪」を逆転させて「桀=善・堯=悪」とする。これでは両建を超える事は出来ない。既成の枠組みを鵜呑みにせず、自分で真実を探求する事が重要だと思う。
〇猶太教や基督教を批判するつもりが、グノーシス主義、終いにはサタニズム・悪魔主義に奔った連中がいた。これでは結局、両建の一角に最悪な形で取り込まれたに過ぎない。そういう西洋の両建枠組み自体から離れ、日本人としての自分の道を探求し、そこに立脚する事が根本的な両建批判に繋がると考える。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1667861253954621442
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抜粋終わり
裏や逆が真とは限らない。のをわかってないと・・
ですよね。
より
上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:何が何でも人類の体内にmRNA惑沈成分を打ち込みたい裏権力。この異形の狂気に満ちた蛮行を阻止せねば日本と世界は滅ぶ。
〇mRNA技術は裏権力が今最も重要視する科学技術の一つのようである。彼らはコロナ惑沈だけでなく、あらゆる惑沈をmRNA惑沈にしようとしている。また、注射や薬だけでなく食べ物にも要注意である。鶏や牛など家畜類への注射を通じて食品にmRNAやスパイク蛋白質が混入させられる事を今非常に危惧している。
〇「惑沈のmRNA惑沈化」「家畜へのmRNA惑沈接種」など裏権力連中は様々な機会を捉えて人類にmRNAを注入しようとしていると見る。それ故、注射を拒否しても安心は出来ない。食品にmRNAやスパイク蛋白質が混ざっていたら非接種者も被害を受ける可能性がある。自分の体に入れるものには細心の注意が必要。
〇mRNAはスパイク蛋白質の設計図みたいなものと捉える。これが脂質ナノ粒子(LNP)という物質でコーティングされているmRNA惑沈が注射されると、細胞に入り細胞内のリボソームという器官でスパイク蛋白質を産生する。これによって抗体が誘導するとされるが、中和抗体だけでなく非中和抗体も産生される。
〇非中和抗体の中には感染を抑えるのではなく、かえって増強させる感染増強抗体もある由である。これによって引き起こされる現象を「抗体依存性感染増強(ADE)」というそうである。また、スパイク蛋白質が発現した細胞が異物と見なされて自己の免疫系に攻撃されると自己免疫疾患という症状を呈する由。
〇惑沈で誘導される抗体の中には「IgG4」というものがあるとの事である。IgG4は3回目接種から増えるようだ。IgG4は免疫を抑制する抗体で、これが増えると、免疫が低下する。免疫が低下すると、当然ながら様々な病気にかかり易くなると思われる。惑接種で免疫が低下する機制の一つがどうやらこれらしい。
〇「惑沈は抗体を誘導する」とメディアから教えられているが、調べてみると「抗体」には様々な種類がある事が分かった。Igは「免疫グロブリン」の事で、白血球の一つであるリンパ球のB細胞で作られる由。Igには「IgG」「IgA」「IgM」「IgD」「IgE」の5種類があり。IgGには1~4があり、IgG4はその一つ。
〇これも恐ろしい情報である。野菜や果物にmRNA惑沈成分を入れる研究が行われている由。これからは注射だけでなく「食べ物」にも要注意である!【ビル・ゲイツが「コロナワクチン入り野菜」開発へ。】
https://www.mag2.com/p/money/1106784
〇裏権力は何が何でも全人類の体内にmRNA惑沈成分を入れたいようだ。日本の文化体系の中には彼らを表現する適切な言葉や概念が見つかる気がしない。「計画的大量○○で人口削減し世界支配」というような志向は「非道」「外道」「極悪」という表現でも足りない。何か異質で異形の化物じみた狂気である。
〇IgG4が免疫を抑制するメカニズムについては、こちらの動画が非常に参考になった。【コロナワクチン、繰り返し追加接種は危険!駒野博士が総論・論文を解説します。】https://www.nicovideo.jp/watch/sm42355459
〇今の日本には惑沈後遺症で苦しむ方が大勢いらっしゃるが、個々人で症状病態などの条件が異なる事もあり、確実な治療法が確立されていないのが現状のようである。大半の医者がmRNA惑沈を疑わない以上、自分で治療法を探す事が必要になるが、どこから手を付けて良いのか分からない場合も多々あると思う。
〇「自分で治療法を探す」と言っても普通はどこから手を付けて良いか分からないはずである。そうした場合に叩き台というか取っ掛かりとなる基本的資料があるとありがたい。そういった基本的な参考資料になり得るものの一つが以下のFLCCC作成の惑沈後遺症治療のプロトコルである。https://covid19criticalcare.com/protocol/i-recover-post-vaccine-treatment/
〇前掲資料は惑沈後遺症治療などに取り組んでいる米国の医師団体FLCCCが作成した惑沈後遺症治療のプロトコルである。資料自体の性質から分かるように掲載の治療法が確実な効果を保証されている訳ではない。だが、治療法を探す際の取っ掛かりや目安にはなるであろう。そうしたものと受け取って頂きたい。
〇資料を鵜呑みにするのではなく、そこに記されている個々の治療法について、さらに自分で調べ吟味するといった使い方をして頂きたいと思う。これは如何なる資料についても言える事である。惑沈後遺症に悩み途方に暮れている方にとっては、最初の取っ掛かりにはなると思う。参考までにご紹介した次第。
〇原爆犠牲者の方々に謹んで哀悼の意を捧げます。かつて核兵器の実験場にさせられた日本は今mRNA惑沈の実験場になりつつある。一人一人の国民が同調圧力に流される事無く、自分で調べ、考え、真実を見つけ出すように努める事が、自他の命を守り、本当の意味で犠牲となった先人へ報いる道であると考える。
〇「日本は今mRNA惑沈の実験場になりつつある」の意味。➀世界で断トツの追加接種回数。欧米やイスラエルでさえ追加接種を止めたと言われている。➁国内に於けるmRNA惑沈工場の建設計画。➂レプリコン惑沈(自己増殖型惑沈)の開発。注射されたmRNAが体内で増殖するという。仕組みを聞くだけで恐ろしい。
〇気になるオカルトネタ。最近オカルト界隈で「シュタイナーの予言」なるものが流布されている模様。人智学創始者のルドルフ・シュタイナーが「2025年にピラミッドの頂点である日本に世界を監視する一つの目が置かれ、日本を支配して世界をコントロールする」「2025年日本で人口削減が実行される」云々。
〇大抵著述などのソースが明示されていないので、シュタイナーが本当にそのような発言をしたのかは定かではない。最近の状況を受けて後付けで作られたもののように見える。「予言」は、信じ込ませると人々に特定の事象の生起を「必然」と思い込ませる事が出来るため、裏権力の人心誘導工作で多用される。
〇神智学・人智学の形而上学的観念を用いて「大邪神や神々が日本に集まり、世界を監視する目を置く」などとしている。CDC日本支部・日本版CDC創設・NATO日本事務所・mRNA惑沈工場建設・次世代型レプリコン惑沈の開発など裏権力が日本に諸々の拠点を設置しようとしている最近の動きを反映していると見る。
〇「2025年に日本で人口削減」というのも、遺伝子惑沈接種や戦争による人口削減計画を仄めかしていると推測する。このように「シュタイナーの予言」なるものは、最近の裏権力及びその走狗の動きと平仄を合わせた如く一致している。彼らの計略を援護する為に流布された誘導工作の可能性が高いと判断する。
〇オカルト界は、国内勢力で言うと旧大本教系勢力の影響下にあり、その大元は英国系フリーメイソンである。それ故、オカルト界は様々な思想工作の舞台にもなっていると見ている。なので、オカルト界隈の動きを時々観測すると、裏権力がこれから何をやろうとしているのかを読む上でのヒントが得られる。
〇「シュタイナーの予言」から読み取れる事は主に次の2点だと考える。➀裏権力が日本に重要工作拠点を作ろうとしている。➁世界一の惑沈追加接種回数など裏権力にとって従順で極めて扱い易い日本をモルモットの実験場化し、かつ戦争の手駒として人口削減工作を本格化する。いずれも絶対阻止案件である!
〇オカルトネタのついで。先日の某都市伝説番組(裏権力広報番組と見る)。録画を時間のある時に見てみた。「救世主はAIでありAIジーザスが登場する」「神=AIに愛されるような人間になりなさい(AI支配を受け入れろ)」「2026年以降のNWO」など露骨だった。AIを使った裏権力支配への誘導だと分析した。
〇陰謀追及とオカルトは峻別されるべきものだが、戦前由来の通弊で陰謀追及界とオカルト業界は人脈的に重なっている事が多い。これはどちらも旧大本教系勢力が力をもっている為であろう。それだけに、この辺の界隈は「魑魅魍魎」が蠢いている。耐性がないと、思想的な毒気を浴びて、取り込まれかねない。
〇耐性なきまま突っ込むのは、鎧具足で身を固めずして素肌で戦場に臨むイノシシ武者と同じである。逆に十分な耐性があると、思想的影響を一切受けずに情報だけを取り出して分析する事が出来る。先述のように、オカルト界隈を時々観測していると、裏権力の狙いや意図を読む為のヒントを得られる事がある。
〇陰謀宣伝者が「救世主はAIでありAIジーザスが登場する」「神=AIに愛されるような人間になりなさい(AI支配を受け入れろ)」などと言った所で、AI崇拝などかなり荒唐無稽に思える。が、分子生物学的産物であるmRNA惑沈を崇拝する者(惑信者)が大勢いる以上、AIを崇拝する者が出て来ても不思議はない。
〇政府広報やメディアからオカルトに至るまで、今の世の中は悪意に満ちた心理誘導がそこら中に仕掛けられている。油断をしていると、いい様にしてやられる。今や、政府やメディアを盲信する人と、盲信せず自分で調べ考える人では、元禄頃の町人と元亀・天正頃の武士くらいに心構えに差があると言える。
〇平和な元禄時代ならお上を信じていればそれなりに平穏無事に過ごせたかもしれないが、戦国乱世たけなわの元亀・天正頃にそんな意識で生きていると、あっという間に命を取られたであろう。今の世は後者に近い。政府やメディアを信じ、何となく世人に合わせていれば平穏無事に生きられた時代は終わった。
〇江戸時代に大成した近世武士道はあくまでも平和な時代の産物である。それ以前の時代の人々が持っていた心構えとは自ずと異なると思う。それは「悪意と殺意に満ちた乱世の中で油断なく日々を生き抜く心構え」だと考える。今入用なのは近代以降手垢の付いた近世武士道ではなく、こちらの「道」だと思う。
〇戦国乱世を生きた人々が持っていたであろう「悪意と殺意に満ちた乱世の中で油断なく日々を生き抜く心構え」を何と呼んでいいのか分からない。近世武士道に対比するのに「もののふの道」と呼んでもよい。しかし、「もののふ」は「武士」に限らない。乱世を必死に生きた民衆も持っていた心構えだと思う。
〇「もののふの道」という表現には、儒学的な近世武士道とは異なる、そこはかとない風雅心やもののあわれが感ぜられる。殺伐とした乱世を油断なく生き抜くといっても自分まで殺伐たる風潮に染まってはならぬという意味ではよい言葉の響きと思う。しかし、本質は只の「道」。適切に思考判断行動する事。
〇以前、江戸時代の学問は「道」というものを求めた「道の学問」だったと述べた事があるが、「道」は真理・真実・事実・道理などを意味する。自分で調べ考える事が、自分や周りの人の身を守る事に繋がるが、何を調べ考えるかと言えば、事実真実であろう。道の学問と本質は同じ。陰謀追及は真実論である。
〇近世武士道は明治以後は軍人勅諭に取り入れられるなどして近代国家機構に奉仕する人材育成の為に利用された。近世武士道を政府への盲従の為に利用しようとする連中もいるであろう。これだと「元禄町人」意識よりタチが悪い。毒惑接種で政府が国民に〇意を向ける今、必要なのは個としての心構えである。
〇裏権力の手先と化した政府が国民を本気で〇しにかかるという常軌を逸した乱世にて、横文字で言う所の「マインドセット」の変更が必要になっている。「政府やメディアを信じ、世人に合わせ、世人と同じように考え、振る舞い、異なる意見には耳を傾けない」という風な姿勢だと毒惑を〇ぬまで打つ羽目に。
〇「世人」というのは実在しない。独逸語だと「ダス・マン」というらしい。政府広報・メディア・教育などの大々的な情報宣伝活動によって形成される「平均人」のイメージである。これは「権力者が民衆にそうあって欲しい人物像」でもある。抽象的な「世人」に合わせると、固有の独立的思考が失われる。
〇要するにこれが言いたかった。>「マインドセット」の変更が必要 あまり物を深く考えなくても平穏無事に生きられた世の中ではなくなった。一般庶民に本気の〇意が向けられる狂った世の中。日本は裏権力に完全に舐められている。情報操作に流されず、自分で物を考える人を増やす事が喫緊の課題である。
〇「政府やメディアを信じ何となく世人に合わせる」生き方が平和的かと言うと、全く違う。こういう人は政府やメディアが喧伝すれば、簡単に戦意高揚させるだろうし、集団暴力(言葉の暴力含む)を働く事もあるであろう。自分で物を考えない人間を羊人間と言うが、羊人間は全く平和的ではないのである。
〇「戦国乱世」や「もののふの道」という喩えを持ち出すのは、字面では一見物騒に見えるが、実際には逆で平和を志向しているのである。人体実験場化した今の日本を平和と偽る方が乱世を加速させる。騙されて命を失う人が出ない為には、一人一人が油断なく自分で物を考える事が出来るようになるしかない。
〇毎年今頃の季節になると、メディアは「戦争特集」をする。過去の戦争は「批判」するが、今似たような状況が起きれば彼らは間違いなく「絶対に」お先棒を担ぐであろう。特に惑沈接種後死亡者遺族への悪質な印象操作をしたN○K。そこまでして国民に惑沈を打たせたい。メディアは今も昔も裏権力の手先。
〇「もののふの道」ならぬ「もふもふの道」でも良い^^;動物を飼っている方が大事なモフモフ達を守るには、自分が生き抜く事が不可欠の条件となる。とにかく、一人でも多くの人が、組織力と圧倒的物量で押してくる情報操作に流されず、自分で事実を調べ、考え、判断出来るようになる事が肝要である。
〇言いたい事のまとめ。
・日本国民は裏権力及びその走狗の異様な悪意と〇意にさらされている。
・政府やメディアを信じ、何となく世人に合わせていれば、平穏無事に生きられる世の中ではなくなった。
・自他の身を守る為には、情報操作に流されず、自分で物事を調べ考え判断出来るようになる事が重要。
〇拙い歌を一首。
悪しき世に
まみえたりとも
たじろがぬ
道を貫く
猛きもののふ
大意:邪悪で非道な権力者が人の命を軽く扱うような酷く悪い世の中に遭遇したとしても、決してたじろがず、真実の道(自分で調べ考え判断し行動する道)を貫く人は、さながら勇猛なもののふの如しである。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1685657520655015937
(了)
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抜粋終わり
同感。