学歴が努力や能力を反映するわけではない。
より
上記文抜粋
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「学歴フィルターは努力の結果」と思い込んでいる人が知らない、残酷すぎる真実
またもや「学歴フィルター」問題がクローズアップされる“事件”が起こりました。
「その他大学○○様 こんにちは。JR西日本 車両系統 インターンシップ事務局です。弊社のインターンサイトへご登録いただき、誠にありがとうございます」──。学生とおぼしきユーザーが、JR西日本から送られてきたインターンシップに関するメールの一部をTwitterに投稿したのです(現在、投稿は削除)。
JR西日本は、学校名の登録されていない学生がシステム上「その他大学」と登録される仕様だったとして、学歴フィルターを否定。メール送信のプロセスに不備があったとし、「不快な思いをさせてしまい申し訳ない」と謝罪をしました。
ですが、学歴フィルターなるものは確実に存在しています。
センシティブな問題なので、正確にいうと「JR西日本にある」のでなく、多くの企業が「欲しい学生」を手っ取り早く捕まえるために、「大学名」で選別しているという事実は、確実に存在しています。昔から。はい、かなり昔からです。
高度成長期には、多くの大企業が「指定校制度」を実施していました。これは企業が求人を行う大学を指定し、そこの学生のみエントリーを受け付けるという制度です。また、就職協定を破って、抜け駆けで優秀な学生に内々定を出す「青田買い」も横行していました。
ですから、青田買いの対象にならない学生たちが、10月1日の解禁日に早朝から「目指す企業」に長蛇の列をつくるのが風物詩になった。その様子はかなり異様で、海外メディアが取材にくることもあったほど。世界から“まるで国葬”と怪奇のまなざしを注がれている、黒づくめの就活会場と異様さは同程度だったかもしれません。
●ブラックボックス化する学歴差別
この学歴差別を真正面から描いたのが、1983年にTBS系で放送されたドラマ『ふぞろいの林檎たち』です。ドラマは、「ちょっとだけランクの低い大学生」が就職も恋愛もうまくいかず、自分の大学を名乗ることもできず、居場所を失っていく……。そんな学歴社会が生んだ「劣等感」に多くの人たちが共感したのです。
一方で、今行われている「学歴フィルター」なるものは、差別する方にも、される方にも「生々しさ」がありません。
就活が完全にデジタル化したことでブラックボックス化し、企業は「知らぬ存ぜぬ」で簡単に否定できるし、学生の心に残るのは「落とされた」という現実だけ。学歴で差別されてる気がするけど、「差別された自分の学歴」を受け入れたくない。これが「学歴フィルターか?」と「?」マークをつける深層心理です。
そもそも昨今の就活問題の本質は、「決まらない厳しさ」ではなく、受けては落ちる、受けては落ちる、といった就活の仕組みそのものにあります。
「何十社も受けないと決まらない」のではなく、「何十社も受けるのが常識になっている」から、余計に決まらない学生を量産し、彼らを苦しめているように思えてなりません。
もちろん、受ける自由というものはあってもいいでしょう。しかし、企業側がうたう「機会平等」は社会へのアピールでしかないのです。企業側の建前によって「いくつもの会社を受けまくらなきゃ、本当に内定はもらえない」という奇妙な常識が学生の間にまかり通っているのは、明らかにおかしい。
その奇妙が常識になったのが10年ほど前です。
世界金融危機やリーマン・ショックなどの影響により景気は後退した09年、卒業予定の学生の内定が取り消されるという事態が続出しました。10年には大学卒業者の就職率は前年卒を7.6%下回る60.8%まで減少し、1948年の調査開始以来最大の下げ幅でした。
そうです。この頃から「受けて、受けて、受けまくる」が就活の常識になってしまったのです。
当時の私のメモには、以下のようなことが書かれています。
・企業の採用担当者に「夢は?」と聞かれ、「3年生の時から、就活ばかりで、内定をもらうことしか考えていなかったので、夢は……、ないです」と答える学生の姿が、夜のニュース番組で報じられた。
・内定をもらえず、自殺する学生がいる
・内定がもらえない学生たちをインタビューしたところ、「何がいけないのか分からない」と答える学生が9割超
・「自己分析をやり直して、『これか!』と、“落ちた理由”らしきものが分かる。で、自信を取り戻して再び面接に行くんですけど、また落とされる。その繰り返しです。すると結局、何が問題なのかも分からなくなる。どんなに就活アドバイザーから指導されたように頑張っても、ちっとも次につながらないんです」(学生談)
・「完全に負け癖がついてる。親と一緒にお祓いまでしてもらった」(学生談)
あらためて振り返ると、就活って、いったい何なんだ? と。
「数打ちゃ当たる」みたいな就活はいい加減やめた方がいいし、「どうぞ、学生!」「ぜひ、わが社に!」とめったやたらにエントリーする学生を増やすのも不毛です。
ましてや、逮捕者まで出るシステムの就活は、いったい誰のためのものなのか。全く理解できません。11月末には、就職採用試験の「Web型適性検査=Webテスト」を志願者の代わりに受験したとして、28歳の“エリート会社員”が逮捕され、依頼した学生も書類送検されました。
むろん犯罪は犯罪だし、どんな事情であれ悪いことは悪い。
しかし、“犯罪者”を生むような就活に、一体どんな価値があるのでしょうか。
「学歴フィルター」についても、学歴差別肯定派の人たちは「優秀である可能性が高い者を見極めの指標に学歴が最も合理的」「学歴は高校時代に努力した証」といいますが、「自分の能力」と信じている力は、本当に「あなた」の能力なんですか? と問いたい。
●学歴は努力の証なのか?
実際には「あなた」自身ではなく、「出身家庭」によるところが大きいのです。
『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)の著者である社会学者・橋本健二の分析によれば、新中間階級出身者たちは当たり前のように大学に進学し、当たり前のように新中間階級になることができた、と。「しかし、それは恵まれた家庭環境に育ったからであって、特に彼らがもともと能力的に優れていたからではない」と指摘しています。
また、さまざまなデータを用いて「能力」への出身家庭の影響を分析したマイケル・サンデル教授は、豊かに生まれた者は豊かになる確率が高く、貧しく生まれた者は貧しいまま死ぬ確率が高いという理不尽な現実を暴きました(『実力も運のうち 能力主義は正義か?』より)。
具体的には、所得規模で下位5分の1に生まれた人のうち上位5分の1に達するのは20人に1人。ハーバード大学やスタンフォード大学の学生の3分の2は、所得規模で上位5分の1に当たる家庭の出身で、アイビーリーグの学生のうち、下位5分の1に当たる家庭の出身者はわずか4%程度です。
「個人の能力」と誰もが信じて疑わないスポーツの世界も同じでした。
大学にスカウトされて優先的に入学したスポーツ選手のうち、家庭の所得規模が下位4分の1に属する学生は、たった5%にすぎなかったというリアルを、膨大なデータを用い導いています。
一見すると公平に見える能力主義は、決して公平ではないし、どんなに才能に恵まれて生まれても、それが生かされるか否かは家庭環境との相互作用で決まるのです。
そもそも会社に雇ってもらいたいと志願するということは、自分が勝手に思い込んだ「自分の価値」をアピールすることでもなければ、エントリーシートの書き方を学ぶことでも、受けのいい写真映りを会得することでも、自己分析をすることでもありません。
「就職先を志願する」という行為は、もっと重みのある大切なもの。自分が入りたいと思う会社が、どんな人材を求めているかを知り、求めている人材に一歩でも近づく努力をする。自分が入りたいと思う会社に自分は入るだけの能力があるかを自問し、時には「自分の能力では難しいかもしれないな」と相性の見極めも必要です。自分の価値を決めるのは、自分自身です。
そのためには、企業側も「自分たちがどんな新人を求めているのか?」を一般論ではなく、自分たちの言葉で見つける努力が必要不可欠だし、採用の方法もエントリーシートに頼るのではなく、「自分の会社にホントに入りたい」と思っている学生だけがエントリーできる仕組みを考えるしかない。
そのうえで、一括採用に固執しないで通年採用にしたり、卒業から時間がたっていても受けられるようにしてみたりと、時間軸も同時に変える。「1社から内定をもらう」「一人に内定を出す」ことは、生半可な気持ちではできないし、やるべきでもない。
なのに、自分たちが汗をかくこともなく、ただただふるい落とすことばかりに躍起になっているのが、日本の企業であり、日本の就活です。
まるで一世一代のイベントのように、就職活動を扱って行動したところで、誰も幸せにはなりはしないのだから、もうみんな、やめましょうよ……。
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抜粋終わり
学歴は、実は「身分制」
努力しないと報われないが、努力が報われるわけではない。
まあ、故安倍晋三氏は、受験生としたら、最悪レベルだったし、漢字が適切に読めない麻生太郎氏も、受験生としたら、落第です。
{学習障害は、日本の奴隷教育=学校教育では、バカと判定します。って日本の学校教育が最初から馬鹿なのです}
彼らは、半分「家がら」で下駄履いているのですは。
そうなのですから・・・
いろんな日本の常識が壊れていく過程なのでしょう。
ていうか「東大」や「京大」が賢いのなら、とっくに在日米軍など日本に存在しない。
要するに「学歴あっても、バカは馬鹿」でもあります。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように
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