西洋近代文明とは、、、無法 になりさがっている。

より

上記文抜粋
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No. 2334 プーチン、「真実の瞬間」を説く

投稿日時: 2024年11月17日

Putin Outlines the ‘Moment of Truth’

by Pepe Escobar

ソチで開かれた年次バルダイ・クラブ会議におけるプーチン大統領の本会議でのパフォーマンス(演説+質疑応答)は、まるでクルーズコントロールの高速鉄道に乗っているような感じだった。


冷静沈着で落ち着いていて、山のような事実を完全に掌握しており、過去も現在も、世界のどこを探しても、彼のように地政学上の最高レベルで四半世紀にわたって熟成された、広範かつ詳細な世界観に匹敵するような演説ができる政治指導者はいないだろう。

プーチンは1917年10月のロシア革命の言及から演説を始め、激動の現代と直接的な類似点を指摘した。「真実の瞬間が迫っている」と。グラムシへの明確な賛辞として、同大統領は「まったく新しい世界秩序」が「我々の目の前で形成されつつある」と述べた。

最近のカザンでのBRICSサミット{1}への微妙な言及は、グローバル・マジョリティーの批判的な人々の目に留まらなかったはずはない。カザンは、「旧秩序が取り返しのつかないほど消え去りつつある、いや、すでに消え去ったと言ってもよいだろう。そして、新たな秩序の形成をめぐって深刻な、和解不能な闘争が繰り広げられているという生きた証拠であった。和解不能なのは、まず第一に、これは権力や地政学的な影響力をめぐる闘争ですらないからだ。これは、次の歴史的段階において国家と国民の関係が築かれることになる、まさにその原則の衝突なのだ」。

できるだけ簡潔に言えば、これが現在の大局観の枠組みである。我々は、プーチンが「近視眼的」と定義した「文明の還元論的衝突」や「歴史の終わり」に陥っているのではなく、根本的な原則の決定的な体系衝突に直面している。その結果が、この世紀を定義することになるだろう。「歴史の弁証法は続く」のである。

プーチン自身、演説中に「哲学的なことはさておき」とはぐらかした。実際、それは単なる一方的な概念上の誤りの反駁をはるかに超えるものとなった。「西側のエリート層は、自分たちの独占が人類の最終到達点であると思った」そして「現代の新自由主義は全体主義的イデオロギーへと退化した」からだ。

AIについて言及し、彼は「人間は人間であり続けるのか?」と問いかけた。彼は、新しいグローバルな枠組みの構築を称賛し、「多声的」かつ「多中心」な世界、すなわち「最大限の代表」が最優先され、BRICS諸国が「主権的平等」に基づいて「協調的なアプローチ」を打ち出している世界へと向かっていると述べた。

グローバルな持続可能な開発のための6原則

主権は、バルダイ会議の質疑応答の主要テーマのひとつであった。プーチンは、ロシアは「独自の主権を有するAIを開発しなければならない。アルゴリズムは偏見があり、インターネットを支配する少数の大手企業に莫大な権力を与えているため、主権を有するアルゴリズムは必要不可欠である」と断言した。

ユーラシアの安全保障{2}と、海洋覇権国としての米国と多極ユーラシアという質問に対して、彼は「ユーラシアにおける反覇権主義運動への合意と要望」を強調し、ユーラシアが「ブロックとして」構成されることではないと述べた。それがユーラシアの「多方向的外交政策」の魅力であり、「より政治的な独立性」を意味する。プーチンは、「利害の調和」の好例として、ロシアと中国のパートナーシップを挙げ、それが「BRICSの成功」をもたらしたと強調した。

ヨーロッパにおける『安全保障の不可分性』のシステム確立と『ブロック政治の克服』の失敗とを比較した。ヨーロッパはNATOの拡大を目指した。「冷戦の終結後、ブロック政治を克服する機会があった。しかし、米国はヨーロッパを失うことを恐れていた。米国はほぼ植民地的な依存関係を築いた。正直なところ、私はそれを予想していなかった」

プーチンは、1993年にヘルムート・コール元ドイツ首相と交わしたドイツ語での会話について触れ、コールが「ヨーロッパの未来」はロシアと結びついていると率直に述べたという、興味深い個人的な経験を紹介した。

しかし、それは結局「我々のユーラシア大陸における最も重要な問題、すなわちロシアとヨーロッパ諸国間の主要な問題につながった。信頼の欠如である。(…)彼らが『我々はウクライナに再軍備の機会を与えるためにミンスク合意に署名しただけで、この紛争を平和的に解決するつもりはなかった』と言うのに、我々はどういう信頼について語ることができるのか?(…)あなたは我々を直接かつ公に欺いたと述べたのだ!我々を欺き、欺瞞した! いったいどんな信頼なのだ? しかし、我々は相互信頼のシステムを取り戻さなければならない」。

プーチンはさらに、ヨーロッパは中国の哲学(「彼らは支配を望んでいない」)に即した中国の構想の一部となることを検討すべきだと付け加えた。 プーチンは堂々と、中国の超経済的な貿易・接続プロジェクトは「One Belt, One Common Road(一帯一路)」として解釈されるべきだと強調した。

そしてそれは国家としてまだ歴史の浅い国々が「安定した発展」に関心を示している中央アジアにもあてはまる。ロシアと中国にとって、ハートランドでは競争は存在しない。協力のみがあるのだ。

プーチンは、世界的な持続可能な開発のための6つの主要原則として彼が考えるものを改めて列挙した。それらは、オープンな相互交流(「人為的な障壁」の排除)、多様性(「一国のモデルや、人類のごく一部のモデルを普遍的なものとして押し付けるべきではない」)、最大限の代表性、例外なくすべての人々のための安全保障、すべての人々のための正義(「富裕層10億人とその他人類との間の格差」の解消)、そして平等である。

文明を作ろう、戦争ではなく

ウクライナに関しては、次の一節が最も重要だった。「中立性がなければ、ロシアとウクライナの間に良好な隣人関係が築かれることは想像しがたい」。つまり、モスクワは交渉の用意があるが、それは戦場の事実と2022年4月にイスタンブールで合意された内容に基づく、ということである。

これは、トランプ大統領への直接的なメッセージと解釈できるかもしれない。誰に対しても門戸は開かれている。「ロシアは米国との関係を損なっていないし、関係修復にも前向きだが、今、ボールは米国側にある」

プーチンは、歴代米国大統領について(かなりの人数に会っている)「彼らはみな興味深い人物だ」と述べた。トランプについては、「暗殺未遂事件の際の彼の行動には感銘を受けた。彼は勇気ある人物だ。{3} 彼は勇敢に振る舞った」と述べた。 開かれたドアについては、「彼が何をしようと、それは彼が決めることだ」と述べた。それからプーチン大統領は、公式に再選を祝った。 対話は可能かもしれない。「我々はトランプ氏と話し合う用意がある」と述べた。

プーチンは、ロシアと中国の関係を戦略的パートナーシップの一部として「近代史上最高レベル」と称賛した。また、習近平との個人的な関係についても賞賛した。米露中関係に関しては、真のキラーパスが用意されていた。「米国が二国間協調ではなく三国間協調を選んでいれば、誰もが勝利していただろう」と述べた。

ブラジルのエコノミスト、パウロ・ノゲイラ・バティスタ・ジュニア(NDB、BRICS銀行の元副総裁){4}の素晴らしい質問により、プーチンは脱ドル化に関する自身の立場を明確にした。彼は「私の役割は、私たちのパートナーに提案するアイデアを形作ることだ」とはっきり述べた。

その主な目標は、「電子決済を利用した新たな投資プラットフォームの創設を提案すること」である。これにより、近い将来、「最も有望な市場」である南アジア、アフリカ、ラテンアメリカの一部地域が対象となるだろう。「それらの地域では、投資と技術が必要とされている。そして、『インフレから独立したツール』が、『中央銀行とNDBを通じた規制』とともに提供される。我々は、政府レベルで作業部会を定期的に開催することで合意した。急ぐ必要はない」

これにより、「ロシア貿易の3分の2は自国通貨で決済されており、BRICSの間でもその数字は高い」という事実があるにもかかわらず、BRICSが金融面で即座に衝撃的な行動に出るというシナリオは消え去った。

BRICSブリッジは間もなく試されることになるだろう。「単一通貨の創設については、『時期尚早』である。我々は経済の統合をさらに進め、経済の質を一定の互換性のあるレベルまで高める必要がある」

そして、衝撃発言が続いた。「我々はドルを放棄しようと思ったことはない!」これは、プーチン大統領自身の脱ドル化に関する見解を説明するのに大いに役立つ。「彼らはドルの力を、自らの手で覆しているのだ」

以上は、バルダイ会議での質疑応答でプーチン大統領が取り上げたテーマのほんの一部に過ぎない。フォーラム自体も、あらゆる分野にわたって貴重な意見が飛び交った。一部の参加者は、若者や女性の「大多数の大多数」の不在を指摘したが、それは正しい。アフリカ人は「ロシア官僚の鋭い洞察力」に感銘を受けていた。

中国の見解では、「中国人は流れに逆らって泳ぐのではなく、川を渡って対岸に到達する」と指摘した。開発は「文明の異なる文化的価値観に基づいて行われるべきである」という点ではほぼ意見が一致していた。実際、これはプーチン自身の考えでもある。また、「グローバルサウス間の統合された権限の必要性」も不可欠である。

ギリシャ人の洞察は、文明的なアプローチによる政治について特に説得力があった。「文明は衝突しない。国家が衝突するのだ」。したがってBRICSだけでなく、世界の大多数を導くことができる新しい遊び心のあるモットーはこうだ。「Make Civilizations, Not War(文明を作ろう、戦争ではなく)」


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抜粋終わり

「西側のエリート層は、自分たちの独占が人類の最終到達点であると思った」そして「現代の新自由主義は全体主義的イデオロギーへと退化した」からだ。

同感。

プーチンは、世界的な持続可能な開発のための6つの主要原則として彼が考えるものを改めて列挙した。それらは、
オープンな相互交流(「人為的な障壁」の排除)、
多様性(「一国のモデルや、人類のごく一部のモデルを普遍的なものとして押し付けるべきではない」)、
最大限の代表性、
例外なくすべての人々のための安全保障、
すべての人々のための正義(「富裕層10億人とその他人類との間の格差」の解消)、
そして平等
である。

そりゃそうだ。

LGBTQの人らの権利を守るのはともかく、それで幼児や青少年の「性認識の正常な育成」を阻むのは、どう考えても狂っている。
その狂気なのだよ、西側社会は・・・

【ニコ生】地球の裏側にいる我那覇さんと深田萌絵さん。金融とディープ・ステート

ちなみに「日銀」の大株主の一つが「天皇」ほかが外資・・たぶん欧州の貴族だろう・・

「天皇」は、官僚の「ご主人様」で「日銀の大株主」って、DSの親玉だろうね。

より

上記文抜粋
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しかし、この50年間、人間に力を与えても

地球は良くならなかった、というのが闇の

論理です。

だから、次の50年間のテーマは別のものに

今までのテーマでは、結局、人類は利己的

な視野でしか動かない人間ばかりになって

しまいました。

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抜粋終わり

て、闇の論理っていうよりも、「施政者」が無能なわけです。上記の記事でいう「施政者」は、民選の選挙で選抜されたわけではない。赤点だと革命で殺されるわけでもない。
それがせいぜい、数百年「人間を支配している」つもりなだけで、「人間のご主人様」気どり。

で、この50年失敗しときながら、謝罪もしない・解任もない。西欧王侯貴族を中心にした「施政者システム」が、そもそも「ダメ」で「首」なのですよね。
それができないのなら、、、この西欧王侯貴族どもを根絶やしにするか、最低でもその権力・財産を奪いつくさない限りに、人間に未来は無いのはわかる。

中国が「抗っている」て上記記事のブログの主張だけど、中国が「施政者」を信じてないのは、間違いないのはわかる。

上記文抜粋
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https://x.com/ShadowofEzra/status/1853559161872667010
Google翻訳
ピザゲートを陰謀だと一蹴したジョン・ポデスタの友人スレイド・ソマーが幼児強姦の容疑で逮捕されたとのニュースを受けて、イーロン・マスクは「正義の鉄槌が下される」と示唆するメッセージを再投稿した。
小児性愛者の処刑は2025年1月20日に始まる。トランプ氏はすでに児童性的虐待犯は処刑されると公言している。



https://x.com/ShadowofEzra/status/1857498631969833127
Google翻訳
『スウィート・ホーム・アラバマ』や『クリスマス・イブの夜』などの映画で知られるハリウッド脚本家C・ジェイ・コックスが、ストリーマーのヴィタリーによる衝撃的なおとり捜査で暴露された。コックス容疑者は、15歳と思われる少年の家に立ち入ったところを捕まり、不適切な行為を行ったとして取り調べを受けた。主流メディアはこのことについて報道していない。



トッポ@w2skwn3
イーロン•マスク氏曰く、トランプ大統領が当選するとディディを含めたエプスタイン等の資料が大量に出てきてついにビル•ゲイツも逮捕される可能性があるから金持ち達が頑張ってカマラ•ハリスを応援してるから人気があるように見えると。確かにそうだ。ディディとエプスタインのリストを全て確認したらワシントンの沼の中に住んでいる人の大半が刑務所送りになるかも?
https://x.com/w2skwn3/status/1843426299819495778


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抜粋終わり

あと、やはり「中央銀行」システムは、かなりダメだは・・・・・資本主義は、根本のところで「設計ミス」が確実にあるのだ。

【ニコ生】地球の裏側にいる我那覇眞子さんが起きてたらゲストは我那覇さん

そもそも「論理構造」「思考方法」に深刻な「欠陥」が、西洋近代文明にあるのだ。

 しかしこの無類に強力な欧米的合理主義にはおのずからなる限界があり、欠陥がある。十字軍を始めとして、苛烈な宗教裁判、新教と旧教との間の妥協なき宗教戦争等々、合理的な西洋の世界には再三再四発現した不合理極まりない闘争のくりかえしは何と説明してよいのであろうか。そうした好戦的傾向は二十世紀にまで続き、ついに第一次、第二次の世界大戦を惹き起こしたのであるが、それは対日戦を別にすれば、欧米の仲間喧嘩であり、その合理主義が内蔵する自己矛盾の必然的な帰結と言わねばなるまい。

欧米的合理主義は何か根本的な欠陥を内に抱いているにちがいない。さもなければ、矛盾を排除して却って矛盾に陥るはずがない。その根本的な欠陥とは何か。それは欧米の合理主義が自我中心的合理主義である、という点にあると考えられる。その合理性は自我を中心とした無矛盾性のことであり、自我に背を向けるものは徹底的に排除するのである。

デカルトは神の存在を証明するのに「我思う」から出発し、カントは科学の妥当性を保証するのに「我思う」を証人に立てたが、このように欧米の合理主義は自我を基準として、これに矛盾するものを除き、これに矛盾しないものを保存するという思考法である。一見矛盾を許すかに見えるヘーゲルの弁証法も、「絶対精神」と名づけられる自我が自己に矛盾するものを排除しながら自己を展開していく体系であって、自我中心的合理主義の一典型である。かかる自我中心的合理主義を要約して言えば、「自我に敵対するものを合理的に倒すこと」という一文に尽きるであろう。この原理を忠実に守れば、暴力革命も是認され、民族鏖殺も正当化されるであろう。ここに欧米的合理主義の病巣がある。その病巣を剔抉するには、合理主義から「自我中心」という条件を取り去らねばならない

パルメニデスの言葉と共に、存在論は西欧の権力に特有の暴力行使の在り方と一体になった教説として出現する。存在は到るところに在り、一切の存在者に対し容赦なく己れの支配を貫徹し、己れの存在に対して、いかなる弁明も知らない。「何ゆえに存在があって、無があるのではないのか?」 ― 存在するとは、一つの根源的な暴力に引き渡されてあることなのだ。だからパルメニデスが「在るものは在る」と断言するとき、「存在」とは語りの主体たる彼と彼の言辞(レーマ)を聴取する他者を共に同時にさし貫くような、普遍的な暴力の開示である。言い換えれば彼は見た目は対象としての「存在」について語りながら、その実は、自らの存在を根拠となしつつ、己れが独占する可知性へと他者を還元するような言説の主人に自分を仕立てあげている。これは他者と世界を〈客体〉に引き下げながら自らは絶えず無へと遁走する、〈主体〉の神話の原型にほかならない。

しかしながら〈学〉が記述すべき対象の同一性は、〈学〉が自らに都合よくでっちあげた虚構の他者にすぎず、そこでは他者を鏡面として〈学〉のまことしやかな同一性が貫徹することだけが問題なのだ。対象の真理の記述としての〈学〉は他者の植民地化を必要としており、他者の〈教育〉によってのみ虚構として存続することができる。こうしてパルメニデスの言葉と共に、差異としての差異、他者の他者性は抹消され、後のウェーバーの宗教史学やレヴィ=ストロースの構造人類学におけるような、西欧人だけが他者の可知性を独占しているという神話の成立へ向けて、一つの歴史的可能性が開けることになったのである。

別の例で言いますと、フーコーは、一定の人間集団において、正常者(or理性、A)と異常者(or狂気、not A)を区別する法廷の裁判官が、どの審級においても正常者(or理性、A)であること見抜き、これを「権力」現象である、と喝破しました。
「理性」と「狂気」を区別するのは、常に「理性」側という訳です。従いまして、欧米人は、たいてい当面の敵を「狂っている」とか「狂人」と罵ります。
ロシアウクライナ戦争では、西側メディアは、プーチンを狂人とかヒトラー扱いします。アメリカ大統領選挙では、民主党系、リベラル系のメディアは、トランプを「狂っている」と誹謗中傷します。理性は常に自分たちが握っているのです。

19世紀中葉の西欧人たちは、アジア・アフリカの珍しい少数民族を檻に入れて「展示」するということを平気で行いました。その「人間」の定義は西欧人のでっち上げでした。
あの偉大なるカント先生(Immanuel Kant)も、大学で人類学なるものを、黒人は生まれながらに「理性」が不足しているので、白人が使役したり、奴隷として役に立たせるのは、むしろ彼等のためであり理に適っている、という具合に講義していました。
そういう偉大なる西欧の知性が「人間」や「人間性」について語るとき、非西欧人は眉に唾したうえで、拝聴したほうが良いだろう、ということですね。

>19世紀中葉の西欧人たちは、アジア・アフリカの珍しい少数民族を檻に入れて「展示」するということを平気で行いました。その「人間」の定義は西欧人のでっち上げでした。

そもそも、こういう考えでできた「経済学」もでっち上げがあって当然なので「どこか狂っている」は明白だろうよね。

まあ、こういう「無法・無倫理」は、天皇・・特に明治以降は・・・にふさわしい・・・せめて裕仁を殺すか、退位して流罪にしておけば、ここまでにならなかっただろうが・・

無法文明にならった「天皇」は、もともと日本人に無法だったので、さらに無法と無道が募り、、、消え去るか・・それとも愚かな日本人は、天皇を廃止できずに死滅する・・かもね・・・

天皇で根絶 日本人国家の建国

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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