もしも「天皇」を残すのなら。
コメント欄に書いたことに追加して書きます。
神皇正統記には
「天皇は徳を務めて、善事を行い、善政をしなくてはいけない。そうでないのなら、別の皇統に帝位が移るのは、当然の話」
って論理があるようです。
それをどうも戦前は、右翼・保守が嫌ったとかいう話を見たことがあります。
そりゃ「天皇は神・間違えない」って狂信している連中からしたら「許し難い」でしょうから。
でもこの論理は明治以降のカルト天皇に比べると、極めてマトモです。少なくとも「裕仁の居直り」を許さず、社会の道理と法治を守れます。
ではそのタイプの「革命」が存在したか・・・て言われると、イコールはないけど、似たものはあります。
中国の南北朝の「南斉から梁」の革命です。
蕭 衍て、梁の建国者ですが、血統的にいうと、南斉の親戚で、天皇制でいったら「遠縁の皇族」に当たります。
この場合は「革命」して国号も替えましたが、実質は「蕭道成の族弟」の息子なので、「蕭道成の王朝」の「看板の架け替え」とも言いえる。
これで「国号」を変えないで行くと、「天皇制」を維持したまま「革命」と「社会の粛清と刷新」が可能になる可能性がある。
ちなみに、おなじ中国で「血縁関係に無いけど、王朝を継続させた」場合もある。
五代十国時代の「後周」がそれと思う。
初代の郭威の後継者は、家族だけど血縁関係が全くない柴栄
この選択は、正しかったんだよな。。
にしても、後周は柴栄で国号を変えて「革命」してもよかったけど。
それはしなかった。
それは「郭威の路線の継承」を多くの人たちが望んだ・・てことでしょう。
この二つの事例を考えると、、、「南北朝の交代」のような形式の「革命」ってのを天皇制で容認出来たら、「天皇」の存在も今後続けることが可能になる可能性が上がると思えます。
まあ、ことの検証はもっと賢い人たちがしてください・・・て日本列島において「天皇」を「国家神道」「記紀神話~と言うペテン」~明治以降のカルトから脱出して考えれる「知識人」がどれだけいるか怪しいのだよね・・・
なにはともわれ「天皇」に関しては「西門豹」しない限りには、天皇も、日本人も存続は不可能です。。。
「天皇」の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みの富む社会になりますように。