「革命思想」が無い社会~天皇では、仏教も、ただの呪いか統一教会かオウムになる。
より
上記文抜粋
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【BOOK】『禅と戦争』
2023/7/13 ブログ
『禅と戦争』
ブライアン・アンドレー・ヴィクトリア著
えにし書房; 新装版 (2015/12/8)
衝撃的です。
著者のブライアン・アンドレ・ヴィクトリア博士は、1971年に駒沢大学で仏教学の修士を取得し、1996年にテンプル大学で宗教学の博士を取得したオックスフォード大学仏教研究センターの研究員です。
もともとヴィクトリア博士は1961年に大学を卒業し、キリスト教の牧師としてヴェトナム反戦運動に関わっているうちに日本の禅宗の鈴木大拙に感動し、キリスト教を捨てて、日本の禅宗・曹洞宗の永平寺で修行し、禅僧となりました。
永平寺で修行した禅僧で、駒沢大学で仏教学を修めたヴィクトリア博士が、戦時中の禅僧たちが、いかに全力で政府に協力し、戦争を煽ったかを証拠に基づいて論じています。
わたしが、この本を知ったのはYouTube動画で現代ヨーロッパを代表する哲学者スラヴォイ・ジジェクが、「(『禅と戦争』は)わたしのバイブル」と呼び、日本の禅僧による戦争への全面協力を語っていたインタビューがきっかけです(『鈴木大拙の戦争協力について語るジジェク』)。
スラヴォイ・シジェクは非常に正確な禅の理解をしています。禅の教義が殺人を肯定していることを鋭く指摘していました。
ヴェトナム反戦運動のヒッピーたちに熱狂的に支持された日本の禅の紹介者、鈴木大拙が、戦前はファシズムと戦争を熱狂的に支持していたことが衝撃的でした。
フランスに禅を普及した弟子丸大仙禅師の師匠であり、戦後は世界平和運動をおこした沢木興道も熱狂的なファシズムと戦争の支持者でした。
わたしが個人的に尊敬している禅のプラクティショナー、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の禅の師匠で鍼をメキシコに広めた高田慧穣の師にあたる山田無文禅師も戦前は戦争を煽っていたことにもショックを受けました。
戦前の禅師たちの発言と、戦後の「てのひら返し」は衝撃的です。卑劣としか言いようがないです。
禅僧ブライアン・アンドレー・ヴィクトリアはさらに思索を深めていきます。
武道における「剣禅一如」「禅と武士道」「殺人剣と活人剣」などのレトリックへの痛烈な批判です。
明治維新以前も、柳生宗矩・沢庵の『剣禅一如』に代表されるように、禅は権力と密着し、殺人と暴力を肯定していました。
「剣禅一如」は明治維新以降は「軍人禅」となり、暴力と殺人、戦争を肯定するようになります。
戦後は「企業禅」として、個人を滅する方向で洗脳することに禅僧が協力したことをブライアン・アンドレー ヴィクトリアは指摘します。
もはや私は沢庵や柳生宗矩の「剣禅一如」と聞いたら、反射的にオウム真理教のタントラ・ヴァジラヤーナを思い出してしまいます。
オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を読んで以来の禅へのリスペクトは、自分の中で完全に消え去りました。
歴史のファクトをみていくと、禅の宗教プロパガンダに自分が完全にだまされていたことに、ようやく気づきました。
鎌倉時代の日本伝統医学を代表する禅宗の栄西は『喫茶養生記』で東洋医学分野では知られています。
栄西の代表的著作は1198年の『興禅護国論』であり、1200年には鎌倉幕府将軍・源頼朝の1周忌の導師を栄西は務めています。
室町時代の禅宗は五山制度の中で、官寺として権力と癒着して文化をリードしました。
室町時代に最盛期を迎えた仏教・禅宗は江戸時代の檀家制度(寺請制度)によって「葬式仏教」となり、「本来の仏教ではない」と批判されるようになります。これは、江戸時代の徳川家康の片腕「黒衣の宰相」とよばれた南禅寺の禅僧・金地院崇伝による政策です。
つまり、日本における禅宗はずっと権力に近いところにあり、権力のために教義を曲げ続けました。
禅宗においては、師匠が弟子に「悟り」を認めるという「印可」があり、禅僧たちはその系譜を誇ってきました。しかし、それは腐敗も弟子に継承されてきた系統図「燈史」なのだと思います。
少なくとも、インドの仏教の開祖、ゴータマ・シッダールタは、殺人肯定・戦争肯定・権力全肯定の禅僧たちを自分の弟子とは認めないと思います。
『禅と戦争』には記述されていませんが、中国・河南省で禅宗の開祖、達磨が開いた嵩山少林寺も常に僧兵による暴力と権力の歴史がありました。
元朝の皇帝フビライ・ハンは、チベット仏教のパスパと少林寺の雪庭福裕に中国仏教の支配権を与えました。
少林寺の僧兵たちは、農民反乱の弾圧に使われました。常に権力の側にたって、貧しい人間を暴力で制圧してきたわけです。
現在のカンフーの寺、嵩山少林寺のトップ、釈永信の中国共産党との癒着と腐敗は世界的に有名です。
これらの歴史的ファクトを分析していくと、禅の教え自体に根本的な欠陥が存在する疑いをどうしてもぬぐえないのです。
哲学者スラヴォイ・ジジェクが、「(『禅と戦争』は)わたしのバイブル」といった意味が納得できました。
これは、ヴェトナム反戦運動と鈴木大拙をきっかけにキリスト教を捨て、禅僧・禅仏教の研究者となったブライアン・アンドレー・ヴィクトリアが否定したい過去を直視し、自分の過去と対峙し、心から血を流しながら日本禅仏教の「偽りの悟り」「暴力の肯定」を痛烈に批判した本なのです。感動しました。
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抜粋終わり
逆の事が、将来起こりえる~共産党の初期にそれを支えていた一つの勢力が、少林寺だったりする~ので、共産党を潰す尖兵に、少林寺がなることも十分あるのが、中国。
なんせ「易姓革命」の国ですから。
日本は明治維新以降は、すべての権威が「天皇」にひれ伏すことが絶対だった。
そうなると、仏教界も、仏法や釈迦よりも天皇を崇拝する。今の日本の仏教界見ても「似非仏教者=統一教会仏教派信者」ばかりでヘイトを平然と口にできる坊主もどきの多い事多い事。
中国は、中共に抵抗して香港や台湾、他の東南アジアに逃げた宗教家・宗教集団も沢山いる。
でも、日本ではそういうことは、てんであり得なかった。
国家統治の「正当性」が、「民の支持」と「民の擁護」に多くある、普通の国家。と、「天皇」しか国家統治の正当性が無いカルトのシマの日本との大きな違いである。
どの宗教も、ある程度社会・権力を折り合いをつけないと、存在できない。
ムスリムしかり、キリスト教然り、道教然り、仏教然り。
でも、その権力にのめりこむと、権力といっしょに心中することになる。
つい先日のチベット仏教がそれである。
「農奴制も容認」てなったがために、たかが共産主義者に国家を滅ぼされ、チベット仏教も二分された。
キリスト教~バチカンと新教も実は結構危険。
より
上記文抜粋
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フランス革命など欧米世界では常に宗教勢力が常に国家権力と一体化したことに由来しています。
映画「大いなる自由」では、欧米一神教の恐ろしさが少しだけ描かれている
先進国だと思われているドイツが同性愛合法化は1994年でたった29年前だし、驚くことに、今でも収入の10%もの重税の教会税が残っています。
イスラム研究の同志社大内藤正典 が詳しいが、ナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所から解放された同性愛者が、そのまま連合国側の刑務所に移送されて犯罪者として拘束されていた。ナチスドイツと欧米諸国とは中身が同じだったとの怖いオチ。
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抜粋終わり
上記文抜粋
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さらに翻れば、ナチスに過剰に加担しつつ、正教徒をマジで、鬼畜ってあんたらかい的な勢いで迫害していた歴史もあるのがカトリック。またまた場所はセルビア、クロアチアなど要するにスラブ人居住地かまたはドイツ系との混在地。
カトリック聖職者のウスタシャへの関与
カトリックの聖職者達が正教徒のセルビア人にローマ・カトリックに改宗しろ、しないと・・・という行動に実際出て、これでもかという迫害行動が行われる。殺害された人数およびその方法、手続きなどがなんてか、著しく酷い。
さらに、これらの蛮行は第二次世界大戦が終結してもおさまらず、聖職者らはセルビア人やユダヤ人から奪った金品等を持ったまま逃げ、それをバチカンが支援したと考えられている。いわゆるバチカンのラットラインって話。
そういうわけで、何をどう考えても、私には、少なくとも過去100年のこのバルカンからウクライナあたりにおける動乱についてカトリック側に責任がない、関係ないとはまったく考えられません。
NATOとカトリックの勢力拡大の方向が一緒ってどういうことですかって話ですよ。
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抜粋終わり
上記文抜粋
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西側教団の根本的な間違いは、1980年あたりまでは、この布教を順次、穏やかに、入るといいことありますよ、ほら、あなたにも経済成長という現世利益が、とかいう調子でやってそれなりに成功してきたことに飽き足らなかったことではなかろうか。
冷戦構造が崩壊して以来、西側でなければ人にあらず的な無暗に積極的な拡張政策を取ったため、布教実績に陰りが見え、これまでの支持層だった先進国で支持を失ったのみならず、市場拡大のためのターゲットとしていたインド、中東で大きく支持を落とした。さらに、最後の大市場として期待された中国市場においても、思ったほど支持が伸びない、って感じでしょうか。
■ 自分で壊した the Western values 西側の価値
前にも書いたけど、ウクライナのキエフ政権がウクライナ東部住民を「テロリスト」と呼び、その住民を「テロ対策」として殺し始めた時、このへんが引き返せないポイントだったんじゃないかと思ったりする。
クーデター政権の治安関係に極右を入れたり、その極右の中にナチスのウクライナ対策で協力した人たちの残党を入れている、というのも後で振り返れば大きな出来事になるだろう。この事件はアメリカのみならず、バチカンも絡む(ナチのシンパを反共を理由に匿ったのはまずバチカン。反共なんてものが吹っ飛ぶぐらいの極端な非道ぶりを問題視して米英軍関係者は追及していたがバチカンが庇って米・カナダが引き継いだ)。
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抜粋終わり
上記文抜粋
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■ the Westと革命
で、このthe West勢力の総本山がどこにあるのか知りませんが、ともあれこの人たちは世界を変えようとして過去何百年か頑張ってる。で、様子が多少過激になったのは200年ぐらい前で、さらにバージョンアップしたのが100年前のアメリカによる覇権の奪取と清朝の滅亡、ソ連の誕生だと思う。
そのやり方は、革命なる手段を使うことで、この手続きはだいたい2段階あるように見える。
最初のの目標は、旧体制をぶち壊すこと。封建的とか、身分制秩序とか、王権神授説とかなんでもいいけど、連綿として続いた体制およびそれを支える支配層を没落させること。
一般に日本ではこの部分だけを「革命」とよびそれはもっぱら共産主義革命のことだと理解している人が多いと思うけど、何主義だろうが関係ないと思われます。要するに旧体制の打破が目標。
2つ目は内政の変革。経済体制をグローバル資本主義にフィットするように変えること、でしょう。1つめと2つめの間にどれぐらいの時間が必要なのかはその地域による、と。
日本でいえば明治維新が第一革命で、敗戦が第二革命。でも第二革命は世界規模で経済を復興させないとならないためグローバリズムはちょっとお休みの時期にあたっていたので、1990年代になってあらためて第二革命 v2が行われた、みたいなところでしょうか。
■ 不可逆的な the West 革命
このthe Westによる革命は、実にまったくかなりの程度不可逆的であることに特徴があったと思う。ソ連は崩壊するけど、そこでロマノフ朝を再興できるわけではないことが好例。逆にいえば、旧体制の復活ができないだけの時間革命的であり続けることが肝要、と。要するに、人々に主権があるという思想を浸透させると支配層よりも人々の数が多いので、こっちに既得権が発生する。すると体制が安定するということじゃなかろうか。あと、人々に自分の運命というものを感得させない、死をかけても守るべきdignity(尊厳)よりも安定した生活が尊いと発想させることとか、集団主義を粉砕するとかいったツールも重要。
この文明は不可逆的だ、ということの危険性、恐ろしさに気づいたのは例えばニーチェであり、もっと十分に気づいたのはマックス・ヴェーバーでしょう。マルクスは仕組みの解明に功はあったけど文明史的視点がないので部分的な気づきに過ぎない。
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抜粋終わり
カトリック・新教は実質「顔無しの名前出さずの、隠れ国家宗教」なだけ。
そういえば、天皇カルトの「神道は宗教ではない」って同じ。
やはり、カルト同視似たものが絡みつく。
仏教の癖に、「「天皇」をあがめるしかない」ので、カルト=統一教会になって、仏法を捨てつつあるのが、「日本の仏教界」とかいうカルト教団・・かもね。
あと、禅宗を肯定しきれない自分の違和感の正体が分かった気がします。特に日本の禅宗の一種の「傲慢さ」を感じてたが、それもこんな感じかな。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように
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