毎度のこと、自分らの不始末を他人に押し付ける。さすが天皇家の友達。
上記文抜粋
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カブールの国際空港で殺された人の大半はパニックに陥った米軍兵士の銃撃による
カブールの国際空港に対する「自爆攻撃」が8月26日にあり、170名以上が殺されたと伝えられている。アメリカ兵13名も死亡したと言われているが、空港にいた人びとの話によると、死者の大半はパニックに陥ったアメリカ兵に射殺されたのだという。攻撃したのはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)の一派で、西側のメディアからはISIS-K(ホラーサーン)と呼ばれている。
ダーイッシュは「ムジャヒディン」の一種で、その中心はサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが05年7月に指摘したように、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストが「アル・カイダ」にほかならない。アラビア語でアル・カイダはベースを意味し、データベースの訳語としても使われる。その後、さまざまな国が似たシステムを使うようになる。
パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、反体制派の選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従った。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
アメリカにとってパキスタンに民主的な政権が存在することは好ましくない。そこで1977年7月にベナジル・ブットの父親であるズルフィカル・アリ・ブットの政権は軍事クーデターで倒され、ズルフィカルは79年4月に処刑された。実権を握ったのは陸軍参謀長だったムハンマド・ジア・ウル・ハク。アメリカのノースカロライナ州にあるフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)
ブット政権が軍事クーデターが倒される半年前、アメリカではジミー・カーターが大統領に就任、国家安全保障補佐官はズビグネフ・ブレジンスキーが務めることになる。
1978年にアメリカのCIAとイランのSAVAKはエージェントをアフガニスタンに派遣してモハメド・ダウド政権と接触、軍隊内の左派将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作する。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)
ダウド政権は左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、間もなくして粛清への反撃が始まり、倒される。1978年4月のことだ。そしてモハメド・タラキが革命評議会兼首相に任命される。このタラキ政権は女性のために学校を創設、貧困層でも大学へ進む道を作り、医療を無料にするといった政策を推進していく。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993)
そうしたタラキの政策に反発する勢力は学校や大学を焼き討ち、治安は悪化する。そこでタラキは反対勢力の指導者約2万7000名を処刑したと言われているが、国内を安定させることはできなかった。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
1979年3月にタラキはソ連を訪問、ソ連軍の派遣を要請するが、断られてしまう。その月にイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力がイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になる。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
そして、ブットが処刑された1979年4月、ブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始。その年の9月に軍事クーデターでタラキは殺され、ハフィズラ・アミンが実権を握る。アミンは1957年からアメリカのコロンビア大学へ留学、修士号を取得した上、62年にはウィスコンシン大学で学んだ経歴の持ち主だ。
ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのは1979年12月のこと。アメリカの軍や情報機関は戦闘員を訓練し、武器/弾薬を供給して支援、戦争はブレジンスキーの思惑通りに泥沼化、ミハイル・ゴルバチョフの命令で1989年2月にソ連軍は撤退した。
アフガニスタンを手に入れたと判断したCIAはパキスタンの情報機関と手を組み、新体制を動かすために「タリバーン」を組織する。この集団は1996年9月に首都のカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返した。
そうしたタリバーンのアメリカにおけるロビイストは当初、リチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。アメリカの支配層はタリバーンを自分たちの手先だと認識、擁護していた。
アメリカとタリバーンが対立する切っ掛けは、1998年1月にタリバーンがTAPIパイプラインの敷設計画でパートナーにアメリカのUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選んだことにある。
タリバーンに腹を立てていたであろうアメリカ政府にとって好都合なことに、1998年8月、ケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。
そして2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃される。その直後、詳しい調査が行われる前にジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」の犯行だと断定、その象徴的な存在のオサマ・ビン・ラディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃した。「アル・カイダ」なる武装組織は存在せず、いまだにオサマ・ビン・ラディンが攻撃に関係したことを示す証拠は提示されていない。
アメリカ主導軍は2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を破壊した。その翌年にAQI(イラクのアル・カイダ)なる武装集団が組織され、これが中心になり、06年にISI(イラクのイスラム首長国)が編成された。
イラクに対する侵略戦争が泥沼化、ブッシュ政権はフセインの残党を含むスンニ派の戦闘集団を編成、手先として使い始める。こうした動きは調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いている。その記事によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えたという。
2011年春にバラク・オバマ政権はリビアやシリアに対する侵略戦争を始めるが、それはアメリカ軍やNATO軍によるものでなく、アル・カイダ系武装集団を利用した。これは本ブログでも繰り返し書いたことである。
リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が2011年10月に倒されるとアメリカは戦闘員や武器/兵器をシリアへ移動させるが、その時点でNATO/アメリカがアル・カイダ系武装集団と連携していることが明確になった。
そこでオバマ大統領は「穏健派」を支援しているのだと強弁するのだが、それをアメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月の段階で否定する。ホワイトハウスへ提出した報告書の中で、シリアで政府軍と戦っている主力をサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、戦闘集団としてアル・カイダ系のアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げた。つまりオバマ政権は「アル・カイダ」系武装集団を支援しているとオバマ大統領に報告している。その当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。
さらに、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していたのだが、オバマ政権は支援を継続、2014年にダーイッシュという形で警告が現実になる。その年の8月、フリン中将は退役させられた。
ダーイッシュは残虐性をアピール、アメリカは残虐な「テロリスト」を攻撃するという流れができはじめる。2015年2月に国防長官をチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、9月に統合参謀本部議長をマーティン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させたのだが、いずれも戦争に慎重な人物から好戦的な人物への交代だ。
デンプシーが交代させられた直後の9月30日、ロシア軍はシリア政府の要請に基づいて軍事介入してダーイッシュやアル・カイダ系武装集団は敗走、占領地は急速に縮小した。アメリカ軍/NATO軍がシリアに対する戦争を始めるタイミングを逸した。しかもシリアでロシア軍は戦闘能力の高さを全世界に知らしめた。
そのシリアからムジャヒディンの幹部をCIAやアメリカ軍は救出、その一部はアフガニスタンへ運ばれている。そこにはアメリカ軍の特殊部隊やCIAの工作員、そして1万6000名以上の「民間契約者」も残ると言われている。「民間契約者」の一部は傭兵だ。
タリバーン政権はロシア、中国、イランなどと連携、アメリカを巻き込んで地域を安定化させようとしていたが、アメリカは中国の「一帯一路」を破壊し、ロシアを揺さぶるためにアフガニスタン周辺を戦乱で混乱させようとしている。その準備を進めていた。その準備が整う前にタリバーンはカブールを制圧、アメリカのシナリオは狂ったが、諦めることはないだろう。
植民地化できなければ「石器時代」にする。これがアメリカ支配層の常套手段だ。それに対し、ロシア、中国、イランがどのように対抗するかが注目されている。
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抜粋終わり
>植民地化できなければ「石器時代」にする。これがアメリカ支配層の常套手段だ。それに対し、ロシア、中国、イランがどのように対抗するかが注目されている。
日本も「天皇」が、アメリカとグル。
今、天皇家は、江戸時代まで天皇家を「無視」してた在来日本人を抹殺を目論んでいる…かもね。
まあ、天皇と縁がある奴は、基本卑しく下種。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
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