日本人が奴隷になった、最後の理由。


上記文抜粋
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ユダヤ人でロスチャイルドの代理人「エマニュエル駐日米大使」


沖縄の基地「負担ではなく責任だ」と持論 エマニュエル駐日米大使
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1678401.html
>エマニュエル氏は「私たちには全員、この自由で開かれたインド太平洋を守るために、役目、責任がある」とし「日本の国益、米国の国益にもなる」と強調した。

インド太平洋を守るための一番は米国が撤退すること。
米国が消えれば世界は穏やかになる。

日本の国益には決してならない。
米国の国益のためだけ。
日本の国益なんて微塵も考えられていない。
日本が米国のためにならない、使い物にならないと
判断されたら日本はポイ捨てされる。
日本にしがみついているのは
日本が米国にとって都合の良い植民地だから。

>米軍基地と地元との関係について「私は沖縄を含めて全国さまざまな所を訪れたが、米軍と基地の所在市町村は非常にいい関係だ」と述べた。

大嘘つき。

geo | ジオ@diplo_geo

【ラーム・イスラエル・エマニュエル】

アメリカの民主党の政治家。ユダヤ人でロスチャイルドの代理人。 2008年11月6日、次期44代大統領のバラク・オバマからの申し出を受託し(ロスチャイルドが強要)、2009年1月20日からの新政権では大統領首席補佐官に就任。1991年の湾岸戦争では、

イスラエル国防軍に民間ボランティアの資格で参加。彼は、クリントン前大統領の大統領選挙に対する貢献から、1993年から1998年までクリントン政権の政策に関する上級補佐官となった。 毒舌で攻撃的な面があり、クリントン政権時代には同僚から「ランボー」とのあだ名がついた程である

1998年にホワイトハウスを去った後、2002年まで投資銀行に勤務していた。M&Aの専門投資銀行ワッサースタイン・ペレラ社(現在のドレスナー・クラインオート社) 2002年にイリノイ州選出の連邦下院議員となり、2006年には選挙対策委員長として、民主党の過半数獲得に尽力

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抜粋終わり

日本は、アメリカの植民地


おなじく より

上記文抜粋
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日航123便事件と「オレンジエア」


私も「オレンジエア」と聞こえます。
当初は米軍のミサイル説もあったけれど、
森永卓郎さんのお話にもあったように
墜落後の現場の処理など総合的に考えると
自衛隊の誤射というのが妥当かな。

Poppin Coco@PoppinCoco
【日航123便事件と「オレンジエア」】
日本航空123便の墜落事故は、多くの疑惑と謎を抱えており、間違いなく巨大な権力が事件を隠蔽したことは間違いありません。
◉ボイスレコーダーの記録
事故調査報告書では、ボイスレコーダーのやりとりを「オールエンジン」と記述していますが、この音声が公開された際、多くの人々はこの音声を「オレンジエア」と聞き取っています。
議長が海上自衛隊出身であることから、「オレンジエア」は誘導ミサイルや無人標的機を指していたとも言われています。
それにしても、誰が聞いても明らかな「オレンジエア」と言葉を事故調査チームは何故「オールエンジン」と改竄したのでしょうか??誰かの命令だったのでしょうか??
中曽根元首相が墓場まで持って行ってしまったこの世紀の大事件、、政府やJALはこの件を風化させようとしているのかも知れないですが、絶対に真相を明かさないといけないと思います。
https://vt.tiktok.com/ZSY2BVMYE
https://x.com/PoppinCoco/status/1794673012303905176
一般的な「オレンジエア」とはこれらのことを指しますね。






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抜粋終わり

まあ、帝政日本は、最初から「間違っている」のだから。。。



より

上記文抜粋
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遍照飛龍 様

≫なんせ「天皇」はじめ為政者・指導者が国民に謝罪しない

これです。

昭和天皇、を筆頭に、政軍の帝国指導者たちは、公式には一切、《旧臣民たち》に向けて、《謝罪》の一言も発してない、と思います。

《謝罪》の内容は、戦後、マルクス主義の影響を受けた知識人たちが金切声をあげた、戦争を起こした責任という意味での「戦争責任」ではありません。そんなもの、《旧臣民たち》だって、戦争に反対だった訳でもないので同罪です。むしろ、メディアに煽られて乗り気だったのですから。

帝国を指導したパワー・エリートたちが、臣民に謝罪しなければならなかったのは、日中戦争から対米英戦争に至る約15年間の戦争が、結局「負け戦」で終わってしまったことです。

つまり、戦争の「始まり方」に対する「責任」ではなく、戦争の「終わり方」に対する「結果責任」です。

勝負事は、負けたとき、誰かが責任を負わなければなりません。スポーツだろうが、ビジネスだろうが、どの分野でも例外はない。それならば、最大の国事である「戦争」に負けたなら、その責任を「誰か」が、「負けたのは私の責任です。それを果たすために、現在の地位を去ります。」というパフォーマンスを演じなければ、この認めがたい「過去」の決着がつきません。それがなされて初めて、敗者たちは、歴史の重荷=失敗を祓い落とし、むしろ未来への糧として、これからを生きられます。

1945年の敗戦に直面した大日本帝国が、真の意味で新生日本国としてやり直すためには、「誰か」が明確に「結果責任」を負う儀式が必要不可欠でした。最も適任だったのは昭和天皇の退位だったでしょう。なにしろ、憲法でも、皇軍でも、その「主」だったわけですから。

敗戦直後の一年ほどはかなり優勢な世論でしたが、本人が望まず、君側にも「自己責任」をとれる人材がいなかったため、みなGHQの間接統治の「道具」に喜々としてなることに収まり、めでたくアメリカ合衆国の属国となりました。

ここで、占領軍の甘言と脅しを振り切って、昭和天皇退位、皇太子の新天皇誕生ができていたら、半世紀を超える対米従属の「半主権国家日本」の歴史は無かったと思われますし、多少は「有徳」で、「国際社会において、名誉ある地位を占め」(日本国憲法前文)ていたのではないか、と愚考します。

つまり、「戦後民主主義」、あるいは「焼け跡民主主義」が結局、虚妄になってしまったとしたら、それは、昭和天皇を国民(=主権者)の力で退位させられなかったこと。つまり、人民主権(popular sovereignty)を実感できなかったことの挫折感、に尽きます。

投稿: renqing | 2024年5月22日 (水) 14時19分

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抜粋終わり

勝負事は、負けたとき、誰かが責任を負わなければなりません。スポーツだろうが、ビジネスだろうが、どの分野でも例外はない。それならば、最大の国事である「戦争」に負けたなら、その責任を「誰か」が、「負けたのは私の責任です。それを果たすために、現在の地位を去ります。」というパフォーマンスを演じなければ、この認めがたい「過去」の決着がつきません。それがなされて初めて、敗者たちは、歴史の重荷=失敗を祓い落とし、むしろ未来への糧として、これからを生きられます。

これが、そうなんだ。

天皇が「責任から逃げた」ことで、日本は完全に植民地になった。

さらにいうと、「天皇は、最初から日本人を統治する意思が無かった」かもしれない。。。

より

上記文抜粋
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一番の長は責任をとらない

★第一総軍の終わり 人柱の犠牲の上に


第二総軍は原爆投下で全滅させられました。

残るは第一総軍のみとなりました。

一番手っ取り早いのは、第二総軍と同じく原爆投下ですが

なにしろ第一総軍は東京です、第二総軍は広島だったので

皇居には影響ないが第一総軍は東京なのでそういうわけにはいかない。


それにそう何度も原爆を落とすわけにもいかない。

そこで計画されたのが、815宮城事件というわけです。

この事件は宮城に対して、行われたクーデターです。


●世にいう815宮城事件の、日本国の記録として認められた公式見解


【14日に至り陸軍省参謀本部の、中堅幹部のある者はついに

  近衛師団参謀の一部と相謀り、近衛師団を中心としてクーデターを起こし

  もって聖旨を翻さんと計画した。

  首謀者は、畑中健二、井田正孝、椎崎二郎、古賀秀正、等の

  中、少佐級であった。】



 近衛師団を中心としてクーデターを起こしたその首謀者は

 畑中健二、井田正孝、椎崎二郎、古賀秀正であったという。

 続いて公式見解をみてみます。


 【14日夜11時ころ、直接、森近衛師団長に面会し、師団長の賛意を強要した。

  森師団長は、特に近衛師団長としての理非を明らかにし断固として

  その強要を斥けた。

  畑中等はそこで、森師団長を殺害し、偽近衛師団長命令を発した。

  偽命令によって、一部近衛連隊は、宮城と放送局に乱入した。】


 森近衛師団長に会い、このクーデターに参加するよう強要するが、森は

 その強要を斥けたので、畑中らは森師団長を殺害したという。

 そして森に代わって偽の師団長命令を発した。

 続いて見てみます。


 【玉音放送の録音が終わって、宮城を退去せんとした下村情報局総裁等の

  一行はたまたまこれに遭遇し、とらわれて二重橋畔の衛兵詰め所に監禁された。

  蓮沼武官長も軽禁され、木戸内府、石渡宮相は、地下金庫室に危うく難を避けた。

  一部将校は、玉音放送の録音盤を操作し、下村総裁、放送局の矢部理事

  徳川義寛侍従は、録音盤の所在について取り調べられた。  
  録音盤の発見し得ざるうちに、15日未明となるや田中静壱東部軍令官の

  手によってこれらの反乱軍は、説得鎮圧せられた。

  これが世にいう815事件である】

 

 日本の公式見解では以上のようになっています。

 首謀者は畑中健二、井田正孝、椎崎二郎、古賀秀正の4人で

 近衛師団長の森にもクーデターの賛意を要望したが、これを拒否したので

 森師団長を畑中らが殺害したという。


 

 この外務省編纂、終戦秘録の公式見解の内容と異なる本は

 バーガミニの天皇の陰謀以外、一冊もありません。

 すべてこの公式見解と同じ内容です。


 バーガミニは言う

「ゴシップの多い日本では、天皇の血族の成員の私的な行為に無名性を与える

 天皇タブー」


 この天皇タブーに挑んで、宮城事件の真相を暴いたのがバーガミニです。

 ほかの誰もが書けなかった真実を、、、、

 要するに日本では令和の今でも天皇タブーが生きている。

 おかしいことがあっても、日本人は疑問一つ持たず生きている。

 歴史とは権力者に都合のいいことだけしか、書かない。

 戦争が勝者にとって都合のいいことだけしか書かないように。

 

 宮城事件とは、第一総軍を中心とする反乱軍をクーデターを起こして防ぎ

 鶴の一声で戦争が終わったということにした事件です。

 この事件でも多くの人が死んでいます。


 森師団長をはじめ、阿南惟幾陸相、田中東部軍管区司令官

 椎崎二郎中佐、畑中健二少佐、、、、、、



 ★モーリス パンゲ 自死の日本史


 阿南惟幾の死を美しく描いています。

 「こうして阿南という一人の人間において、大日本帝国陸軍は死んだ。

  敗戦によっておのが過ちとおごりに気づいて、、、、

  ヒトラーと阿南いづれに高貴があるかは、言うまでもあるまい。

  高貴とは責任を逃れぬ者にある。

  高貴は、おのが引き受けるべき重荷を、重すぎるとは決して

  言わない者にある。

  オイディプスもまた、おのが意志をもって、おのれを撃ち

  おのが平和と民のために、おのが罪を承認する。

  移ろいやすい勝利のかなたにある平和、それが戦士たる者の夢であり

  その平和のためにこそ彼は戦う。

  彼が平和を見出すのは、死ぬことによってだ」


 モーリス パンゲのように阿南を賞賛する日本の史家は一人もいない。

 なぜなら阿南を誉めれば、天皇の権威に傷がつくと思っているから。

 

 ●下村海南

 

「一国が大いに興り大いに敗れる。

 そこには数知れぬ犠牲者が隠れている、知られずにいる、

 忘れられている、軽視されている。

 マッカーサー元帥は、有史以来かつてなき、無血終戦と放送した。

 無血終戦、、、それは陛下直々の放送があったからである。

 同時にそこに表に裏に数知れぬ人柱があった。

 森近衛師団長があった、田中東部軍管区司令官があった。」



 まことに一国が大いに敗れるときには、数知れぬ犠牲者がいるのである。

 

★二人の遺言


椎崎二郎中佐、、、、至誠通神

畑中健二少佐、、、、今はただ 思いに残すこともなかりけり

          暗雲去りて 御代となりせば


椎崎と畑中は、宮城前つまり二重橋と坂下門の中間の芝生の上で

8月15日午前11時30分に自決する。

二人は互いに相手に銃口を当てあい、静かに拳銃の引き金を引いたという。

また、古賀秀正少佐も午前10時ころ、森近衛師団長の遺体の前で

割腹自殺しています。

この時、古賀には生後間もない女の子がいました。


しかし、天皇も皇族も誰一人自決していません。

モーリス パンゲのように、敗戦によっておのが過ちとおごりに

気づいた者はいません。

いたかもしれないが、責任はとっていません。

高貴とは責任を逃れぬ者にある、高貴とはおのが引き受けるべき

重荷を決して重すぎるとは言わぬ者にある。


責任をとったのは、陸軍大臣、中佐、少佐などの階級の人ばかり。

政治家もそうですね、責任を取るのは秘書などの使われている者ばかり。

一番の長は責任をとらない、、、、


一番の長が責任をとらないことによって、その後の日本が歪んで行くんです。


・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


より

上記文抜粋
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A級戦犯が英霊に

第二総軍は原爆投下で、全滅させられ第一総軍は偽装クーデターで
終わりを告げた。
そしていよいよ我々庶民の伺い知れない、雲の上での終戦工作が始まる。

★敗戦を知ったその日

8月15日のあの日、日本の敗戦を国民はどのように知らされたか

●日本放送出版協力会刊 放送五十年史 1977年
 午前7時21分 定刻より2時間21分遅れて、放送が始まった。
 放送員、飯野守男の正午に迫った天皇放送の予告アナウンスです。

 「謹んでお伝えいたします。
  かしこきあたりにおかせられましては、本日正午、御自ら
  御放送あそばされます。
  誠に畏れ多き極みでございます。
  国民は一人残らず、謹んで玉音を拝しますように。
  なお昼間送電のない地方にも、正午の報道の時間には
  特別に送電いたします。
  また、官公署、事務所、工場、停車場、郵便局などにおきましては
  手持ち受信機をできるだけ活用して、国民もれなく
  厳粛なる態度で、畏きお言葉を拝し得ますよう、ご手配願います。
  ありがたき放送は正午でございます。」

 以上の放送は繰り返し、9分間も放送されました。
 この放送は、国内放送、海外放送、東亜放送の全系統を動員して
 日本本土と中国占領地、満州、朝鮮、台湾、南方諸地域に送られた。

 そして全国民に対し、戦争の終結を告げる天皇の声が静かに流れた。
 朕深く世界の大勢と、、、、というあの言葉です。
 後に堪えがたきを堪え、忍び難きを偲んで、、という部分だけが
 反復されるようになりました。
 あとは何を言ってるのかさっぱりわからない、終戦の詔書を
 玉音放送として流しました。

 続いて和田信賢放送員によって、一億国民はこの御趣旨に
 添わねばならないことが伝達されました。
 そしてさらにポツダム宣言の内容、8月9日からの御前会議の要点
 カイロ宣言の内容などが、詳細に放送されたのです。
 約37分半の放送でした。

 しかし、この放送は雑音が多く、内容が非常に聞き取りにくいうえ
 証書が難解で人々は、内容がつかめませんでした。
 要するに何を言ってるのかわからないと、、、、

 その日、鈴木内閣は総辞職
 そしてこの日から日本は一変します。
 日本人はこの玉音放送によって、はじめて敗戦を知ったのです。

 ●萩原葉子 作家、詩人 萩原朔太郎の娘

 「15年にもわたる戦争を、聖戦と言わせられ
  勝つと信じ込ませられ、堪えがたきを堪え、忍び難きを忍んでことは
  多くの人々の命を奪われた挙句
  玉音放送一つでけりをつけられたことに
  どこか納得がいかなくても、誰一人苦情めいたことは言わなかった」

 日本政府は、ポツダム宣言を受け入れて終戦に至りました。
 そのポツダム宣言には、どんなことが書かれてあったのでしょうか。

 ★ポツダム宣言とは

 1945年7月26日、イギリス、アメリカ、中華民国の政府首脳の
 連盟において、日本に対し発せられた全13か条で構成される宣言
 日本は19日後の 8月14日にこれを受諾しました。

 その内容
 一、日本国民を騙して、戦争に引きずり込んだ者の権力、勢力を
   永久に取り除くこと。
 二、平和、安全、正義の新しい秩序ができるまで、連合国が占領すること。
 三、日本の主権が及ぶ領土を本州、北海道、九州、四国と
   連合国が決める小島に限定すること。
 四、軍の武器を完全に取り上げること。
 五、戦争犯罪を犯した者を罰し、言論、宗教、思想の自由と
   基本的人権を尊重すること。
 六、被害を与えた国への賠償を行い、軍事産業を禁止すること。
 七、民主的、平和的な政府ができたら、占領軍は引き上げること。
 八、無条件降伏を宣言すること。
 九、この宣言を受け入れない場合は、速く完全な破滅があること。

 以上がポツダム宣言のほとんどの内容です。
 しかしこれを見ると、七は今日まで実行されていません。
 占領軍は相変わらず、日本にいます、不思議なことです。

 ★聖なる戦争と讃えた大東亜戦争戦没者慰霊碑

 戦争が終わり昭和57年5月30日に、福岡県では大東亜戦争の戦没者
 慰霊碑を建立しました。
 そこには次のような言葉が刻まれています。
 「昭和20年8月15日、万世のために太平を開かんとの詔により
  万艱の涙をのみ終戦を迎えた。
  その後、36年営々として祖国再建に努力、今や世界の大国となった。
  惟うに今次の大戦は、自存自営のため日本国の存亡をかけ
  虐げられた民族の解放と、万邦共栄を願っての聖なる戦いであった。
  遂には敗戦の悲境に沈淪せしも、次々と亜細亜の民は独立と
  自由の栄光を勝ち得たことは、世界史上會てなき歴史の壮言なる事実である。
  この間、わが郷土部隊は、各地の激戦に参加し言語に絶する
  凄惨苛烈な闘いを展開、軍の華と謳われた。
  改めて英霊の崇高なる精神と、偉大なる業績に対し限りなき敬慕と
  感謝の思いを永久に伝えまつる
  御霊よ永久に安らかなれ
    昭和57年5月30日 福岡県大東亜戦没者慰霊顕彰会建立

 日本政府は今も、15年戦争肯定論の立場を公式見解として維持しています。
 民間にも相呼応する政府と同じ動きが目につきます。
 それが上のような慰霊碑建立の文章に刻まれています。
 このように過去の戦争を美化する風潮が、最近高まりつつあります。

 ということは、来るべき戦争への積極的参加の意欲を喚起しようとするものと
 いう印象を禁じ難い。
 刻まれた文章は、大東亜戦争は自存自営のためであり、亜細亜の民が
 次々と独立、栄光を勝ち得たのは、日本の聖なる戦いのおかげであったと
 絶賛されています。

 戦争の惨禍に対する反省の意の片鱗もなく、戦争美化一色で塗りつぶされています。
 そして戦没者は英霊として顕彰されています。
 英霊とは、正当な戦争での功績ある戦死者を賛美する呼称です。
 大東亜戦争で亡くなった戦死者は、英霊ではなく犠牲者です。

 大東亜戦争で亡くなった人は、無謀な侵略戦争の犠牲者として悼まれる
 べきものです。
 日本が行った侵略戦争を聖なる戦争だと、国民に大ウソをつき 
 戦死者を英霊として靖国神社にまつる日本とはいったい
 どういう国なんでしょう。
 
 ●飯沼二郎
  毎日新聞  戦時中に犯した罪はどうなる 1980年 8月14日

 「かつて日本兵が中国大陸で、暴行事件などを引き起こしたことは
  多くの証言者があり、否定し得ない事実である。
  このような暴行などを行った日本兵のある者は、無事に生還した。
  しかし中には不幸にして戦死し、靖国神社に祀られている。
  親友や父や夫が戦地で暴行したなどとは、全く信じることができないであろう。
  しかしそのような人々が英霊の中に存在するという事実は否定できない。
  靖国神社を国家で護持し、政府首脳が参拝することは、かつて戦地で犯した
  暴行事件こなどを日本政府として、是認することになる」

 東京裁判でA級戦犯とされた東条英機ら14人も、靖国神社の祭神として
 密かに祀られた。
 密かにということは、公に祀ることができなかったんでしょう。
 A級戦犯者だから、、、、
 そういう犯罪者を祭神として、日本は祀っています、
 そして国家首脳は、戦争犯罪人を英霊として参拝しています。

 つまり日本の侵略戦争を支持し、崇敬している、、、ということです。
 大東亜戦争、15年戦争は日本国家が開始した侵略戦争です。
 聖なる戦争どころじゃない。

 ★A級戦犯は英霊に

 その侵略戦争のため、敗戦を迎えると天皇の処分をめぐって
 外国ではいろんな意見が出ました。
 しかしオーストラリアは、強弁に天皇の退位を要求しました。

 オーストラリア
  国家元首であり、日本軍の最高司令官である。
  天皇は日本の侵略行為と、戦争犯罪人の責任をとるべきであり
  従って天皇の退位を要求する。
  天皇は日本の侵略行為の責任から免除されるべきではない。
  人間としての天皇は、連合国政府のいかなる他の降伏敵国の
  どの人間とも同様の方法により、扱われるべきである。

 
 しかし最後には、連合国司令官マッカーサーにゆだねられ
 オーストラリアも巧みに米国に誘導され、その後の結果になりました。
 最高司令官天皇は責任をアメリカによって免除され、その責任は
 東条英機らA級戦犯が負ったのです。
 米国には、下心があり今のような立場の日本になったというわけです。

 A級戦犯は日本国首脳にとっては、英霊なのです。
 占領軍が未だに撤退せず、居続けるのもアメリカによって救われた
 天皇あればこそです。
 不思議でもなんでもありません。
いいね31



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抜粋終わり

>一番の長は責任をとらない、、、、
>一番の長が責任をとらないことによって、その後の日本が歪んで行くんです。

>最高司令官天皇は責任をアメリカによって免除され、その責任は
>東条英機らA級戦犯が負ったのです。
>米国には、下心があり今のような立場の日本になったというわけです。
> A級戦犯は日本国首脳にとっては、英霊なのです。
>占領軍が未だに撤退せず、居続けるのもアメリカによって救われた
>天皇あればこそです。

まさにだ。

天皇在る限りに 日本人は家畜

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。


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