統一教会を支持した愛国者や天皇とその信者といい勝負、のアホさの多くのリベラル派


より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・

CIAの隠れ蓑・前衛部隊がジョージア(旧名グルジア)のカラー革命をそそのかす。
<記事原文 寺島先生推薦>

CIA Front Threatens Color Revolution in Georgia

筆者:キット・クラレンバーグ(Kit Klarenberg)

出典:Internationalist 360

2023年3月17日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年3月31日

 2023年3月の第2週、ジョージア(旧名グルジア)の首都トビリシで、数千人が街頭に繰り出した。そして「海外からの収入が20%を超えるNGO」に「外国代理人」としての登録を義務付ける法律案に激しい憤りをぶつけた。

 彼らは警察と激しく衝突し、あらゆる場所に反ロシアの落書きをし、反乱的で好戦的なスローガンを唱え、EU、ジョージア、ウクライナの国旗をあたり構わず目立つように掲げた。EUと米国の当局者は、これらの広く報道された光景にぴったりするような、敵意あるコメントが絶え間なく流した。

 悪名高い戦争タカ派でUSAID(米国国際開発庁)長官のサマンサ・パワーは、ジョージアの国会議員に「外国代理人」法の提案を「取り下げ」よう呼びかけた。そして、この新法は「欧州-大西洋地域に関わるジョージアの将来像とジョージア人が経済的社会的その他の願望を実現する能力・技量を深刻に脅(おびや)かすものである」という、不可解な宣言をした。

 ジョージアの提案する外国代理人法は、欧州=大西洋に関わるジョージアの将来像と、ジョージア人が経済的社会的その他の願望を実現する能力・技量を深刻に脅(おびや)かすものである。私はジョージア議会に対し、これらの法案の取り下げを要請する。―サマンサ・パワー (@PowerUSAID) 2023年3月2日

 米国務省のネッド・プライス報道官は、外国代理人法に賛成したジョージアの議員に対し、威嚇的にこう警告した。「トビリシが期待している欧州=大西洋地域との将来関係が危うくなった場合」、その責任をおまえたちが負うことになるぞ、と脅迫したのである、さらに、この法律は「ジョージア人が自分たちのために描いた将来像、そして私たち米国が仲間として、その実現を援助し続けることを決意している将来像」と「一致しない」と断言した。

 ワシントンが外国代理人法に猛反対するのは驚くべきことではない。ジョージアのメディアや人権団体を含めた数千の団体は、過去30年間にわたって、全米民主化基金(NED)と米国国際開発庁(USAID)から資金提供を受けてきた。ちなみに、サマンサ・パワーは現在、USAID長官である。この隠しようもない事実、だが今まできちんと知られてこなかった事実を、これ以上に暴露するような改革は、今後、難しい問題を引き起こすだろう、その法案は、これら数千の団体の自立性と、これらの団体がこれまで追求してきて邪悪な目的について、答えることが難しい問題を提起するからだ。

 これらの数千の団体が米国からの資金提供の実態を隠蔽しなければならないことは、これらのNGOが公然とトビリシでの抗議活動の最前線に立っていることによって、十分に証明された。この法案が成立すれば、NEDから資金提供を受けているNGOの多くが、その海外資金を公開しなければならなくなるわけだから、ソーシャルメディアを使って不服の声を上げたのも当然だ。

 トビリシの国会議事堂前に集まった数千人が議事堂を襲撃する直前に、幸いにも、ジョージア政府は外国代理人法を撤回した。NEDとの関係を法律で公然と認めなければならなくなることを、抗議者たちが全面的に拒否した理由は何だろうか。

 NED(全米民主化基金)は1983年に設立されたのは、アメリカの諜報機関CIAが数々の恥ずべきスキャンダルに巻き込まれ、世間を騒がせた後のことである。このNEDの設立には、当時の中央情報局(CIA)長官であったウィリアム・ケーシーが中心的な役割を果たした。ケーシーは、「敵国政府を不安定化させ崩壊させるための武器となるような、海外の反政府グループやメディア、その他の反政府活動家に資金を提供する公的な仕組み」を構築しようと考えたのである。裏工作によって「敵国政府を不安定化させ崩壊させる」ことは、これまでCIAの専売特許であったものだが、もはやそれができなくなったからだ。それでそのことを可能にするような公的仕組みをつくろうとしたわけである。

 かくしてつくりあげられたNED(全米民主化基金)は、非常に狡猾な組織でありながら、ほとんどその実態は明らかになっていない。だから、この組織のおかげで、帝国アメリカは、いつでも外国政府を屈服させ、その政府が内外の問題でワシントンの承認する道から少しでも外れることがあれば、必要に応じて、その政府を完全に転覆させることができる。グルジアの2003年の「バラ革命」は、その見事な実例を提供している。

CIAは「落書き」アーティストにまで金をばらまく

 NEDは発足後すぐに東欧の共産主義撲滅に乗り出し、ポーランドの「連帯」のような活動家組織とその運動を支援した。しかし、ユーゴスラビアは今世紀に入るまで、NEDの干渉をかたくなに拒み続けた。2000年12月のワシントンポスト紙の非常に正確で詳細な調査報道は、次のような事実を詳細に描き出した。すなわち、それより2カ月前の10月に、ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチ大統領をついに追放した自然発生的「草の根」反乱は、実はCIAの前線部隊であるNEDやUSAIDが密かに資金と指示を出していたのである。

 ミロシェビッチ大統領を貶(おとし)めるために、チューインガムや炭酸飲料を販売していた米国の広告業のプロたちが、キャッチーなスローガンや人目を引くPRその他の今までにない宣伝方法を考案していた。また事前かつ現地で大規模な世論調査が水面下で実施され、そのため無数の市場調査用の消費者グループが結成された。それは売り込み戦略を路上で検証し完全に成功させるためだった。一方、国会議員候補者や活動家たちは、ジャーナリストの質問に答え、ミロシェビッチ支持者の主張に効果的に反論するために、あらかじめ「指示されたとおりに」行動する術を密かに指導された。

 学生活動家集団オトポール(Otpor、セルビア語で「抵抗」の意)にも、広範な訓練と支援が提供された。彼らは破壊的ではあるが非暴力的な手段によって政府権力を弱体化させる様々な方法を学んだ。たとえば、ストライキの組織化、シンボルを巧く使って大衆に宣伝する方法、「恐怖克服」の方法、その他。

 USAIDは、学生活動家が国中に反ミロシェビッチの落書きをするために5000本のスプレー缶を提供した。またオトポールは、ワシントンからの資金で、「世論調査、ビラまき、有料広告など、幅広い高度な広報技術」も採用した。その宣伝文言はすべて米国が資金提供した世論調査に基づいていた。だから「どんなときでも国民に何を言うべきかわかっていた」と、このグループの活動家の一人は自慢げに語った。

 「私たちの方法は、企業の販売戦略を政治に活用することだった。つまり政治運動もマーケティング部門を持たなければならないということだった。コカ・コーラをモデルにしたんだ」と、2005年にオトポールの指導者が明かした。

 CIA、NED、USAIDなどの米国政府機関によって、わずか1年の間に、公然かつ隠然と、合計数千万ドルが反ミロシェビッチのために投入された。当時、ユーゴスラビアの人口は約1000万人で、実質的に国民1人に数ドルの資金が割り当てられたことになる。

 ユーゴスラビアの平均月給が30ドル以下であったことを考えると、この資金は実に巨大な意味をもち、政権交代の足がかりとなる人員を簡単に集めることができたのである。同じことをユーゴにしたと考えると、人口比で勘定すれば、ベオグラード(セルビア政府)が米国の大統領選挙に影響を与えるために何十億ドルも費やすようなものだ。もちろん、そんなことはアメリカで合法であったり容認されたりするわけではないが。

 オトポールの成功は目覚ましく、大手メディアでの知名度も上がり、オトポールはビデオゲーム「もっと強い部隊、A Force More Powerful」の開発を始めた。プレイヤーは「実際の紛争で成功した方法を用いて、独裁者・軍事的占領者・腐敗した支配者に対抗する方法」を学ぶことになる。「最近の歴史から着想を得た」「12通りの別々の筋書き」を通してである。このビデオゲームは「非暴力抵抗運動や反対運動の活動家や指導者が使う」ことを意図しており、メディアや一般市民が変革の技術をより広く学ぶことを期待したものだった。

 オトポールによる変革の手順・見取り図は、2006年3月に発表され、その後数年以上も、繰り返し世界中に輸出された。NEDが提供したのである。この国際貿易の最初の輸出先はがジョージアだったというわけである。

政権転覆集団「クマラ(グルジア語でウンザリの意)」なんか、もうウンザリ・・・

 シュワルナゼは1970年代初頭から共産党第1書記としてグルジアを統治していた。その後、ソ連のベテラン政治局員となり、ミハイル・ゴルバチョフ政権では外務大臣・重要な改革派として冷戦終結に大きな役割を果たした。特に、アフガニスタン戦争の終結、ドイツの再統一、ヨーロッパからの赤軍の撤退、アメリカとの核兵器条約の交渉などである。

 ソ連崩壊後の1992年にシュワルナゼがグルジア大統領に就任した背景には、「ロシア支援のアブハジアと南オセチアの離脱運動」と「独立したばかりのグルジア共和国の装備不足の軍隊」が激しく対立する流血の内戦があった。この混乱を立て直すため、1992年3月、シェワルナゼは、グルジア国家評議会議長に選ばれた。最初は親露派であったが、1995年8月新憲法が採択され、11月大統領に選出されてからは反露派となり、彼の統治下でモスクワとトビリシの関係は概して良好ではなかった。

 一方、欧米諸国との関係は極めて良好であった。彼が指揮・監督した大規模な民営化は、アメリカやヨーロッパのオリガルヒを潤し、1997年の民法改正は外国資本の何千ものNGOの創設に道を開いた。トビリシは瞬く間に、米国の資金援助と軍事援助の最大の受益者のひとつとなった。シュワルナゼが大統領になってから10年目(2002)の終わりには、シュワルナゼはNATOと戦略的相互関係を結び、EUへの加盟を希望していることを明らかにした。

 2000年、オープンソサエティ財団の支部設立のためにトビリシを訪れたジョージ・ソロスは、シュワルナゼの個人的な賓客として歓迎された。ソロスは、当時のグルジア司法大臣ミヘイル・サアカシュヴィリにも会っている。サアカシュヴィリは国務省の奨学金で留学した米国のエリート大学を卒業した人物だ(そのエリート大学にはコロンビア大学も含まれている)。

 それから間もなく、若きサアカシュヴィリは鮮やかな転身を図って司法大臣を辞め、オープンソサエティ財団の支援を受けて政党「国民運動」を設立した。TV局ルスタビ2(Rustavi-2)を含む野党メディアへの、従来からあるソロスの資金提供も同様に強化された。そして、これらのメディアはシュワルナゼに対する批判的な発信をおこなった。それは、シュワルナゼ大統領をとりわけ醜く描いた風刺漫画や国家汚職に関する集中的な調査という形をとったのである。このようすを、トロント・グローブ・アンド・メール紙は、2003年2月、ソロスがグルジア政府を「打倒するための煉瓦を積み始めた」と、報じている。

 NEDとオープンソサエティ財団の支援を受けたグルジアの活動家ギガ・ボケリアは、2003年、「自由協会、リバティ・インスティチュート」を創設したNGOオトポールと会うためにセルビアに遣された。その結果、オトポールの代表者は、グルジアの首都トビリシに飛び、そこでシュワルナゼを平和的に打倒する方法を数千人に教えた。

その教えを受けて、彼らは、自分たちの「革命」集団を結成した(カッコ付きの「革命」集団で、実は政権転覆工作集団)。クマラとして知られるこの団体は、オトポールがミロシェビッチ大統領を追い落とした名声と宣伝戦略を大いに利用した(Kmara、グルジア語で「もういい、ウンザリ」の意)。NEDとオープンソサエティ財団の大規模資金が即座に流れ込んだ。

 この資金注入により、クマラは2003年11月のグルジアの大統領選挙に向けて、さまざまな宣伝物と戦略を開発することができた。投票前の10日間、TV局ルスタビ2はミロシェビッチ打倒のための米国のドキュメンタリー映画『独裁者打倒(Bringing Down a Dictator)』を繰り返し放送した。

 「最も重要だったのは映画だった」と、この国民運動の代表者は後に語っている。「映画を観せられたデモ隊は皆、ベオグラード(セルビアの首都)での政権転覆戦術を暗記していた。だから皆、何をすべきか知っていた。これはセルビアの政権転覆を丸写ししただけで、その音量を大きくしただけだった」

 選挙は、公式発表では親シュワルナゼ派の政党連合が勝利した。しかし、NEDの依頼でおこなわれた出口調査では、「公式結果は不正であり、野党勝利が明らかである」との情報が、すぐに、しかも投票が終わる前に流され始めた。トビリシの国会議事堂には、全国から集まった大勢の反政府活動家たちが、カッコ付き「革命」集団クマラが費用を負担したバスで押し寄せた。

 外にはスピーカーと映画スクリーンが設置され、TV局ルスタビ2がNEDによる反対世論の調査(出口調査)を最も顕著に伝える道具となり、若い活動家たちによる抗議活動の様子も映し出された。クマラが率いる全国的なデモは数週間にわたっておこなわれ、2003年11月23日には、活動家たちがバラの花を振り回して国会を襲撃し、運動は最高潮に達した。翌日、シュワルナゼは辞任した。

「ひどく期待はずれ」な革命

 2004年1月、サアカシュヴィリは大統領に就任した。その後10年間、彼はグルジア経済をさらに「自由化」し、残存する国営産業の民営化を加速させ、広範な反腐敗活動を主導し、国防費をGDPの9.2%という驚異的な水準にまで高めた。

 米国政府関係者やTI(Transparency International国際透明性機構)、世界銀行などの団体は、サアカシュヴィリがグルジアを最もビジネスのしやすい国のひとつにし、2003年から2013年にかけて70%の経済成長を遂げ、その間に一人当たりの所得は約3倍になったと評価した。しかし、帝国アメリカの機関誌「フォーリン・ポリシー」でさえ、「バラ革命」の結果は「ひどく期待はずれ」だったと認めている。遠大な変革は「実際には実現せず」、「エリートの腐敗は依然として続いている」からである。

 サアカシュヴィリが大統領を退任するまでにグルジアの貧困はわずかに減少しただけで、人口のおよそ4分の1は依然として絶対貧困率以下で暮らしていた。さらに言えば、グルジアは権威主義そのもので、民主主義のかけらもなかった。実際、サアカシュヴィリの支配は、多くの点で、シュワルナゼにはなかったような独裁主義であった。

 例えば、サアカシュヴィリは「超大統領」機構に代わって、さらに権限を集中した「超々大統領」機構を導入し、主要な分野で彼に一方的な権力を付与した。この権限を使って、自分の政策に反対する政党を追放しようとするなど、独裁的な策略が目白押しであった。

 さらに深刻なのは、ザルブ・ジュバニア首相のような不審死への関与も疑われていることだ。サアカシュヴィリはグルジアの治安部隊に指示して、オリガルヒのバドリ・パタルカツィシヴィリなどのライバルを暗殺させたことで知られ、サアカシュヴィリの命令で刑務所は拷問とレイプの政治的温床となった。サアカシュヴィリの在任中、同国の受刑者数は4倍の2万5千人に達し、国民一人当たりの受刑者数はヨーロッパのどの国よりも多くなった。

 2012年10月の大統領選挙では、サアカシュヴィリの死に物狂いの不正工作(NEDの必死の支援があった)にもかかわらず、彼は政権を失った。それ以来、政党「グルジアの夢、ジョージアンドリーム」率いる連合がこの国を統治している。国内の反対派および海外のキエフ支持者は、ジョージアのこの政党が親クレムリンであると非難している。NED出資の「恥の連合、Shame Network」は最近の反政府運動の先陣を切った。

 しかし、実際には、「ジョージアンドリーム」党は、EUおよびNATOへの加盟を推進しながら西側との関係を強化、そしてモスクワとの共存を維持するという微妙なバランスを常に取ってきた。ロシアのウクライナ進攻の後、これを維持するのはますます難しくなり、トビリシに対して、はるかに大きく豊かで強力な隣国、すなわちジョージアにとって最大の貿易相手国の一つ、ロシアに制裁を課し、キエフに武器を送るようにという欧米の圧力が常に高まっている。

 2022年12月、イラクリ・ガリバシビリ首相は、同年2月24日以来、キエフからロシアにたいする「第二戦線」を開くよう繰り返し要請されたがそれを拒否したことは、温かくは迎え入れられなかった、と述懐している。

 トビリシ(ジョージア政府)が全面衝突を避けたいのは当然で、それは特に2008年8月のロシア=グルジア戦争における悲惨な敗走のためである。この戦争は、サアカシュヴィリが米国の後押しでアブハジアと南オセチアの民間人陣地を攻撃し始めたことに始まる。わずか5日間であったにもかかわらず、20万人もの人々が避難し、数百人が死亡した。

 政権党「ジョージアンドリーム」が特に外国代理人法を導入しようとしたのは、ロシアにたいする「第二戦線」を開いてロシアに制裁を加えることを従順に受け入れる政府のつくろうとするNEDの画策を阻止するためではなかったか考えられる。

あえてクーデターと呼ぶ?

 控えめに言っても、NEDとUSAIDの指紋は、2014年2月のウクライナのマイダン・クーデターの至るところに付着していた。カッコ付きの「革命」(すなわち政権転覆・クーデター)のあらゆる段階で、両団体が資金提供した個人や組織が主役を演じていた。

 オレフ・リバチュク(Oleh Rybachuk)は、マイダン・クーデターに至るまで、何年も、USAIDが資金提供したいくつかの反対派集団を引き回してきた人物だが、洗脳して騒動を起こしてきたことをあからさまに語っている。その2年前のマイダン・クーデターについても、キエフの10年前の「オレンジ革命」についても、「もう一度やりたい、是非やりたい」と言っているのだ。その資金を提供した大富豪ジョージ・ソロスも、2014年5月、自身のオープンソサエティ財団がマイダン関連の事件で「重要な役割を果たした」とCNNに語っている。

 しかし、現在のところ、メディアは、マイダン・クーデターを煽動したことに対して米国が果たした役割を無視するか、あるいは、それはロシアの「偽情報」だとか陰謀論だとして、この命題を否定している。ウクライナ紛争が始まって以来、欧米のジャーナリストたちが躍起になって否定しようとしているのは、この騒動が(普遍的に受け入れられるものではないにせよ)圧倒的人気を博した「民衆反乱」以外の何ものでもなかったいう意見である。ミロシェビッチやシュワルナゼらの打倒にワシントンが果たした役割を自慢するような主流メディアは、明らかに以上のような事実を抹殺している。

 このような動かしようのない事実の抹殺は、世界中でNEDやUSAIDに対する敵意が高まり、政府がこれらNEDやUSAIDの活動を制限したり全面的に禁止したりしようとする動きが広まっているからだろう。特にワシントンが特に敵意を抱いている政府が、そのような動きに出るのは当然だろう。だからこそ、NEDやUSAIDの存在理由と活動方法のおぞましい実態を、欧米のジャーナリストが語らなくなっただけでなく、激しく否定すらするようになった。

 だから結局、大手メディアは、敵国と目されている国の指導者の言うことは真実であると認めることができなくなったのである。その代表例が、2015年7月の英紙ガーディアンの報道である。ガーディアン紙は、モスクワが外国代理人法に基づいてNEDを禁止し国外追放した件では、驚くべきことに、NEDの活動を説明するために自分で事実関係を調べるのではなく、NEDのウェブサイトから引用した短い文章を丸写しただけだった。その一方、2004年11月、その同じガーディアン紙は、その年のウクライナの「オレンジ革命」はNEDとUSAIDによる完全な画策だったということを、とくとくと自慢げに説明していたのである。

 したがって今や、強い政治的圧力をかけて海外での騒乱に外国が介入しているという主張は、大手メディアでは、ほとんど常に反撃の対象となっている。つまりデモ参加者には「行為主体性」があり、彼らの訴えは「正当な不満」だとアピールし反撃する。要するに、彼らは外国勢力によって指示されたとおりに行動しているわけではなく、抗議の内容も正当な不満であり外国勢力による入れ知恵ではないというわけである。しかし、最近トビリシで起きた扇動的な出来事では、このような訴えはまったく空虚に響く。米国政府高官の非難や声明と軌を一にして、外国代理人法の比較的些細な規制改正にこれほど大きな関心が組織的に沸き起こったことは想像を絶することだ。

 しかし、今のところ政権交代の流れは再び明確になっており、今回の抗議行動は単なる警告射撃に過ぎないように思われる。政府がこれほど簡単に屈服したのは、NEDが支援する現地の人的資産(NGO)によって革命が勃発する切迫した危険性を認識したからにほかならない。しかし、アメリカ帝国をなだめることができたとはいえ、脅威がなくなったわけではない。NEDがトビリシで活動する限り、この脅威は日常的な存続の危機であり続けるだろう。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

> しかし、今のところ政権交代の流れは再び明確になっており、今回の抗議行動は単なる警告射撃に過ぎないように思われる。政府がこれほど簡単に屈服したのは、NEDが支援する現地の人的資産(NGO)によって革命が勃発する切迫した危険性を認識したからにほかならない。

日本は、なんと米軍が、天皇と霞が関官僚に懇願されて、首都や沖縄に居座っている。

まあ、グルジアの「バラ革命」が、胡散臭かったのは、シュワルナゼ氏のキャラや、選挙結果を覆す「暴動」を見ても、一目瞭然。

ようするに、その程度のことも見抜けない「アホで知識もない」人間が学者だの知識人とか言われる、猿の王国日本。

天皇皇族絶滅で、日本開闢

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

いいなと思ったら応援しよう!