今回から、読み下し文も入れていきます。
病気の悪化をしないのが、第一。
まず悪化しない・安定できる。という土台を作ってから、積極的な治療や復帰策を執行できる。
成功するか否かは、相手次第や、病状&天候やその人の生活の波乱や安定も関係してくるので、成功するか否かは、難しい面があるのだ。
治るってことはわかっても、それで完治する・社会復帰できる・てのは、容易にできる訳では無いのである。
症状が悪化しない「守り」の体制になるのは、それは体力・精神力や資力が不足しているからで、
症状を治す・社会へ出ていける「攻勢」は、体力・精神力・資力に余裕があるから可能になるのです。
その維持の方法も、治療への方策も、とらわれず自由な発想で行われることで、その目的を達成するが出来るのです。
「名医」ってのは、たいそうな手術するとか、難病を治すってのもあるが、
患者も知らぬ間に治っていて、それが格別に医師や、当人の奮闘のお蔭とも感じるようなことなく、治して社会復帰できるようにしてしまうのだ。
そもそも健康を維持するようにそれとなりに助言して実践していたら、「難病を治した」って評判など立つはずも無いし。
健康で居られる環境や生活をしていれば、容易に病気は初期のうちに治してしまう。
そうすれば、「名医だ」「凄い闘病記だな」など言われることなど無いし、それが究極の名医であり、すぐれた回復法・治療法なのです。
これまでのことを考慮して、治療が旨く行く・回復できるのは、確信できるのだ。
なぜに間違いなく回復できるのか、それはすでに「治る目算」があるからでり。
何故に治療できるのか。それは患者が回復しようとしているから出る。
すぐれた医療者は、「悪化しない・人は本来的に生きようとしている」という立場にたって、病の急所を押さえ、患者の生命力の発露を失わないのである。
名医・患者は、まず治療の過程を良くみてその治療後の姿を算定するが、ヘボ医者は拗らせる患者は、病の対症療法に追われてその治療の過程を見極めれない。
治療に関して、目算の手順がある。
病状の重さや、回復の目指すところや、患者・当事者の経済力・生活力に周囲の環境や、社会状況や、居住地域の環境や人間関係・気風や社会を見て、その治療・回復策を考量するのである。
それで成った治療計画による、治療・復帰策は、当然のように成し遂げられるのである。
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ちょっと大言壮語みたいなことも書いてしまいましたが。
それだけ、「状況分析」がいかに大事か・・・てことですよね。
その状況分析は、患者のメンタルだけ無く、その身体的な特徴や家族・友人関係だけや職場や学校の関係だけでなく、地域の習慣や気風や社会状況や、政治的な医療や雇用のありようまで、関わってくるのです。
メンタルと言う、精神・身体をまたぐ疾患・不調なのですから、それだけ総合的な判断が当然に必要になります。
そういえば、鋭い社会批評が、精神科医や心理学者から、昨今されることが多いのは、彼らが、否応なくそういう社会のひずみをもろに受けるメンヘラという立場の人たちの治療に関わっているからでしょう。
でもその精神科医も、ピンキリで、下の方が残念ながら多いのが現状に思えます・・・