ネオコン・ネオリベには社会には無い。まさに天皇制である。天皇撲滅日本復興。


政府と個人が直列でつながる・・・政府と個人があるだけ・・それが新自由主義

ちょうど「天皇と個人があるだけ」っていう天皇カルトと親和性がある。

通俗道徳自体も・・・


通俗道徳が支配する社会とは、「努力が必ず報われる」という建前のもとで、勝者と敗者が存在する社会です。しかし、個別の人生1つひとつを取りあげてみれば、そこには多くの偶然が介在しますので、実際には努力が必ず報われるという保証はありません。それにもかかわらず、人びとは、自らが通俗道徳を実践したことを証明し、社会的な承認を勝ち取るために経済的に成功しなければなりません。

その結果、勤勉、倹約、自己規律を求める通俗道徳は、逆説的に、生き馬の目を抜くような、「万人の万人に対する戦争状態」としてのホッブズ的世界を招き寄せてしまうのです。

個人と天皇&政府と直列に繋がっているので、社会など手助けする余地もない。そもそも社会・国家による共助=公助を除外しているのが、ネオリベ&通俗道徳。

なので当然に修羅で鬼畜の国に、天皇国がなったのである。いや天皇が地獄の魔王だからな・・

「勤労国家レジーム」のもとでは、勤労者への減税と勤労の機会を保障する公共投資を骨格とし、社会保障には多くの予算を組みませんでした。社会保障は就労ができない人向けの現金給付に集中し、サービスすなわち現物給付の占める割合は「限定」されることになりました。しかも、限られた資源を配ろうとすれば、低所得層や高齢者、地方部といった具合に、分配の対象を「選別」せざるを得なくなります。そして、この限定性、選別性の背景には「自分でできることは自分でしなさい」という「自己責任」の論理が徹底的に貫かれています。

このことは、現役世代にとって、生活の必要、すなわち、住宅、教育、老後の生活等に必要な費用を、自分たちで稼得しなければならないことを意味していたのです。

しかし、バブルが崩壊後、状況は一変します。減税と公共事業に支えられた勤労国家の発動も虚しく、国際的な賃金下落圧力が景気回復を妨げ、巨額の政府債務が積み上がりました。また、少子高齢化が進み、専業主婦世帯と共働き世帯の地位も逆転、近代家族モデルは完全に破綻しました。さらにバブル崩壊に追い打ちをかけるように、市場原理や競争原理、自己責任論が持ち込まれました。

今、日本社会は通俗道徳の実践にエネルギーを費やした多くの敗者で溢れています。働くことは苦痛でしかなく、勤労の先に待ち構えるのは貧困のリスクなのです。まさに「獣の世」の再来と言えます。


自己責任論・通俗道徳で、「天皇アンド社会に期待するな」だからね。

しいていえば、氷河期の辛酸の、唯一の自己責任は、「天皇家を皆殺しにしなかったこと」だけなのである。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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