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スポーツは心身を壊す。



選手たちは、日常的に試合の勝敗や大観衆の前でプレーする重圧を抱えている。オーストラリアの研究者が2015年に発表した論文によると、同国のトップ選手224人を調査したところ、46・4%がうつや摂食障害などの精神面の健康問題を経験していたという。


ある意味当然だよな。


これもいい。

上記文抜粋・・・・・・

それでは何故、あえて「体に悪い」スポーツを行ったのかの理由とはIOCのバッハ会長と同じで「今だけ、金だけ、自分だけ」

紀元前776年の第1回大会から、紀元後393年の第293回大会まで、1200年近く にわたって、ギリシアのオリンピアの地で行われた古代オリンピックが中止された原因も同じで、「悪貨は良貨を駆逐する」で、参加者の全員が「今だけ、金だけ、自分だけ」で勝ちに走りどんどん道徳的に劣化。到底応援できない水準まで堕落した(★注、今のIOCとそっくり同じ)金儲け一辺倒の「商業主義」だったので一般市民が見放したのである。そもそも苦しいスポーツを他人のために行うものなど一人もいない。

・・・・・・中略・・・・・

抗いがたい「今だけ、金だけ、自分だけ」の誘惑
スポーツの弊害は体を壊すだけにとどまらない。
誰も指摘しないが、競争相手を倒して自分が勝つ「競技スポーツ」では必ず選手の全員が「今だけ、金だけ、自分だけ」になるように出来ていた。健康や寿命を犠牲にするだけではなく道徳的、精神的にも弊害があるのである。厳しいトレーニングの繰り返しで自分を高めることで勝つことが出来るが、それではスポーツ障害で寿命を縮める諸刃の刃。(★注、アメリカの選挙戦で常用されるネガティブキャンペーンと同じ原理で、自分を高めるよりライバルの足を引っ張って勝つ方が安全でもあり簡単だった)

チームのために自分を殺すことが褒められる高校野球で多用される犠牲バントですが、これはスポーツというよりも日本の悪弊である連帯責任や精神論。純粋に確率論だけで判断すれば犠牲バントはプラス効果よりもマイナス効果の方が大きい(得点機会を減らす)らしい。

・・・・・・・抜粋終わり



結局「スポーツ」は延々と、「名利」を追い求めていくと、それでは疲労し破綻するのは当然。

「戦いで巧みに長いのは聞いたことない」と孫子。

あれだけ日々戦わせるのなら、当然疲弊し壊れる。

「力屈し財中原に殫き、内家に虚なし。百姓の費、十に其七を去る。」

だな。


孫禄堂の

「あなたが心身の健康を求めるなら、責任をもって指導します。天下に武名を上げて富貴を得たいのなら他の師匠へ行ってください」

とか

楊露禅の

「わしがこの道を習い、他人にも教えているのは、けっして人を敵とするためではなく、身を守り、ひいては国を救うためなのだ。いまの教養人は、わが国の病根が「貪」にあるのみに思い「弱」にあることを知らない。「弱」の積み重さなりが「貧」となる。すなわち、「弱」こそが「貧」の源なのだ。国中が病人ばかりだとしたら、どうして救国という重任をになうことができようか。
 また、ひとりの人間が教えうる範囲には限りがあるように思うかも知れないが。しかし、「愚公、山を移す」という古くからの故事をおまえも知っていよう。たったひとりのひとつひとつの動作が、いかに世を動かす原動力となっているを、この故事はよく教えているのではないか」

とかあるけど。


スポーツは、そういう意味で「慈悲」や「世界観」が、全うでは無いと思う。









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