改めて、、、この国の「正義」の欺瞞なり無理が見えてきた・・・
より
上記文抜粋
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“自分は正しいと信じて疑わないバカ” がもたらす災厄…生物学者が語る「厄介おじさん」大量発生の訳
「マウンティングおじさん」「説教おじさん」「ぶつかりおじさん」……
近年、カスタマーハラスメントが社会問題化している。報道されるケースを見ると、ハラスメントをする人の多くが“おじさん”だ。労働組合「UAゼンセン」の’24年度調査(カスタマーハラスメント対策アンケート調査)でも、カスハラ加害者の7割が男性で、推定年齢は40代以上が全体の9割を占めた。ちなみに全世代で最も多いのが、60歳代(29.4%)だった。
おじさんの迷惑行為はカスハラだけに留まらない。公私にわたってマウントをとりたがる「マウンティングおじさん」、説教を始めたら止まらない「説教おじさん」、邪魔だと言わんばかりに人にぶつかって歩く「ぶつかりおじさん」など、ネット上には他人の迷惑を顧みず、自分の正義をふりかざす厄介なおじさんたちへの嘆きが溢れている。
なぜこうした厄介おじさんが後を絶たないのか。
生物学者の池田清彦先生は、自著『バカの災厄』のなかで、カスハラやあおり運転などの迷惑行為に走る人を「自分は絶対的に正しいという思いに取り憑かれたバカ」だと指摘。
人間にはほかの生物にはない「違うものを同じものと見なす」特殊な能力があり、それをこじらせ「自分と異なる同一性が存在すること」を理解できなくなっているのだと、世の中に多種多様な災厄をもたらすさまざまなレベルの“バカ”が溢れていることに警鐘を鳴らす。
例えば先日はこんな「説教おじさん」を見かけたそうだ。
「そのおじさんは、車内で携帯電話をかけている女子学生に向かって大声で叱りつけていました。『携帯で話してはいけないというルールを知らないのか』と偉そうに(笑)。確かにいけないのだけど小さな声だし、車内はがら空きだから迷惑でも何でもない。叱りつけている男性の声のほうがよほどうるさいわけですよ(笑)。
僕だって電車の遅延を家族に知らせるために車内で電話をかけたこともありますし、極端な話、自分の身を守らなくてはいけない場面ならルールより命を優先します。ところがこのおじさんみたいにコンプライアンス至上主義みたいになっている人は自分の頭で考えないし、状況を見ようともしない。こういう人は少なくありません」 (池田清彦先生、以下同)
コロナ禍のマスク警察然り。マスクをつけることが感染予防になると周知されると、その予防効果がたとえ不確実なものだとしても、マスクをつけていない人が目に入るだけでマウントを取る。
こうしたコンプライアンス至上主義のような人が多いのは、日本の教育システムに問題があるのだと考察する。
「日本の学校は先生が生徒に“ルールを守ってみんな仲良く、みんな平等に”と、教えますよね。それって、“みんなは常に平等で常に同じような考えをするべき”と言っているようなもので、こうした教えが“自分は絶対に正しく、みんなも同じ考えのはずと思い込むバカ”を大量生産しているのだと思えてならないのです。
最も罪深いのは『規則を守れ』という教えです。こんな画一的な教育を受け続けたら、上から言われることにとにかく従っておくのが人間のあるべき姿だと刷り込まれていく。まさに、自分の頭でものを考えることを否定するような教育だと思いますね」
自分の意見と人の意見を上手に摺り合わせできるのが賢い人
とはいえもちろん“賢い人”はいる。
池田先生が考える賢い人は、「自分は絶対的に正しいという思いに取り憑かれたバカ」とは真逆の「自分と他人の意見は違うということをちゃんと理解している人」のことだ。
「人の話を聞く時は相手の言い分をきちんと聞き、何か相手に要求する時は、かなり丁寧に、自分の考えをうまく整理して伝えられる。『自分の考えが正しい』ではなく、人の意見をくみ取り、自分の意見と上手に摺り合わせができる。こういう人は賢く、仕事でも評価が高いと思います。商談時に言いたいことだけを一方的に伝えて取引が成功するわけはないから当然でしょう」
例えばSNSでは誰かが発したコメントが誰かの反感を買い、歯止めがかからなくなり、常にどこかで炎上している。
「いろいろな意見があって当然」だと理解している者同士であれば、反論するにしてもされるにしても冷静に議論できるはずだが、それができないのは「自分と他人の意見は違うということをちゃんと理解していないから」にほかならない。
池田先生は『バカの災厄』のなかで「バカには異なる意見や立場の人の存在すら許さないくらいの不寛容さがある」と言及。若い世代にも思い当たる人はいるはずだ。
匿名で言いたい放題、自分の意見を主張できるネット社会も、“バカ”を増やしていると見る。
「今はSNSを通じて自分勝手に発信できるから、コミュニケーションなんてしなくていいし、するつもりもない。結果、一方的な発信能力ばかりが強くなってしまう。
その昔は、広く自分の意見を伝えるには新聞の投稿欄に投稿するくらいしか方法がなかったわけですが、今は匿名でネットに何でも書き込めちゃう。無責任に言えるわけですよ。
また、昔は対面での会話が当然だったから、反論されれば、相手を説得する言葉をさらに探して伝える術を磨いていたはずですが、その機会自体が減っている今、コミュニケーション能力が落ちるのも当然だと思います」
このまま“バカ”が増えることで最も危惧するのは「変な同調圧力が生じて、多くの人がそれになびいてしまうこと」だ。
「日本人の場合、強い信念で何かを言ったりやったりするより、みんながやっているからそれに倣うという傾向が強い。戦時中がいい例だと思います。国民全員が『鬼畜米英』『天皇陛下万歳』と叫んでいたはずが、負けた途端に『マッカーサー万歳』に変わったわけですから(笑)。
お袋から聞いた話なのですが、戦時中、電車の中で皇居に向かって『敬礼!』と大声を出している男性がいて、みんなが従った。でも実はその人が求めていたのは、国民の天皇に対する敬意ではなく、自分の命令に従わせることだった。敬礼しない人は非国民だと罵倒し、偉ぶりたかっただけなのだと。そういう面倒くさい人がいたと嘆いていました。
マウントを取りたがる人もこれと同じで、自分の信念というよりは、自分が偉そうな顔をしたいだけ。でも、先ほども言ったように、多くの人が自分の頭で考えないから、強い風が吹けば、誰もが同じ方向に向いてしまう怖さがある。こうした日本の体質は何十年経っても変わらないような気がしますね」
日本の教育やネット社会が“バカ”を生んでいるとしたら、なぜ、おじさん世代に“バカ”の災厄は目立つのか。
後編では、その理由と、若い世代が厄介なおじさんにならないための方法を聞く。
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抜粋終わり
天皇に必要な人間は「無能な働き者」
天皇は「組織の存続」「日本人の存続と繁栄」など考えないので、「無能な働き者」に全部責任を押し付けれるのですよ。で日本人などいくら死んでも無問題なのです。
り
上記文抜粋
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「自分が思う“本当の自分”は、ただの妄想です」…生物学者が説く「厄介おじさん」にならない生き方
“周囲から認められていない”という劣等感
近年、カスタマーハラスメントが社会問題化している。報道されるケースを見ると、ハラスメントをする人の多くが“おじさん”だ。
生物学者の池田清彦先生は、自著『バカの災厄』のなかで、カスハラやあおり運転などの迷惑行為に走る人を「自分は絶対的に正しいという思いに取り憑かれたバカ」だと指摘。こうした「バカ」が日本には大量発生しており、その要因として、日本の教育システムに問題があるのだと考察する。
日本の教育やネット社会が「バカ」を生んでいるとしたら、なぜ、おじさん世代に「バカ」の災厄は目立つのか。理由は、この世代ならではの「認められるはずの自分が認められていないことによる劣等感」にあるという。
「『本当の自分はこんなもんじゃない』『もっと周囲から認められるべき』はずなのに、現実は違い、評価を得られていない。おじさん世代にはそう不満を抱えている人が一定数いて、『認められるべきはずの偉い自分』を見せつけるために自分の正義を振りかざしているのだと思います。
若いうちは、『自分は偉い』とまでは思っていないから、自分を大きく見せたいとも思わないはずですが、40歳を過ぎて、同期や後輩に追い抜かれることが増えていけば、『こんなはずじゃない』といった苛立ちや焦りは大きくなります。かといってクビになったら困るから会社に文句も言えない。だから仕方なく、店員や女性など自分より弱い立場の人に『偉い自分』を見せつけることで鬱憤を晴らしているのだと思いますね」 (池田清彦先生、以下同)
世間から得ている評価が、“本当の自分”だと思ったほうがいい
若い世代が厄介なおじさんにならないためには「若いうちから自分を客観視することが大切」だと説く。だが、それができない人が多いとも。
例えば、周囲からの評価が得られないときに、「本当の自分はこんなもんじゃない」と腹を立てた経験はないだろうか。これが大きな間違いだと池田先生は言う。
「自分が思う“本当の自分”は、ただの妄想です。世間から得ている評価が、“本当の自分”だと思ったほうがいい。思うほど給料がもらえなければ、自分はそれだけの実力しかないということ。転職だって簡単にできる人はそれなりに実力があり、決まらない人は実力がないわけで、それが本当の自分なんです」
「本当の自分はこんなもんじゃない」と文句を言いたくなったときは、嫌でも現実を直視し、“本当の自分”を認めるべきだ、と。そして何より大事なことは「自分の能力を発揮できる場所を見つけること」だと強調する。
「実は人間の個性は、年齢で言うと8歳くらいで決まってしまいます。それは、脳を構成するニューロン(神経細胞)の間にある“シナプス”のつながり方が、そのくらいの年齢で完成するから。人間にとってシナプスのつながり方はとても重要で、その人の基本的な人格や賢さみたいなものを決めるともいわれている。
つまり8歳くらいまでにいかに脳に刺激を与え、シナプスをつなげられるかでその後の人生が決まるということ。小学1年生までに将棋を始めないと名人になれないとか、ピアノは3~4歳で始めないと一流にはなれないなどといわれるのはシナプスが大きく関係しているからなんです。
一方、大人になるとシナプスの可塑性は乏しくなるから、いくら情報を与えてもうまく変化していかない。だから大人にとって大事なことは、自分は何をやれば最も効率的にできるかを見極める力なんですよ。つまり、努力すれば適応できるなんていうのは間違いで、努力しなくてもできることをさっさとやるべき(笑)。自分にできること、向いていることをやり続ければ、上達も早いはずです」
必死に努力するよりも……自分にとって都合のいい環境を選ぶほうが自然
必死に努力してできるようになったことは、本人にとっては“向いていない”ということ。そこに時間も力も費やすのは実にもったいない話なのだ。
「ところが学校では努力してできるようになった人を褒めるでしょ。これも良くない。だって社会に出て、多くの人が1時間でできる仕事を自分だけ3時間かかってやり終えたとしたら、いくら一生懸命努力しましたと言っても誰も褒めてくれませんよ(笑)。
逆に1時間かかる仕事を30分でやり終えたら褒めてもらえるし、やる気も出てきてスキルも上がる。そうして戦力になれば重宝されるし出世もできます。それはその仕事が自分に合っていたということです。
人から聞いた話なのですが、ある病院に勤めている会計係の女性に患者さんから苦情が殺到したと。彼女はおっとりとした人で、患者さんの話を聞きすぎるがために仕事が遅く、窓口に人が並んで困っていたそうで。そこで上司が彼女の配属先を相談窓口に変えた。すると親身になって話を聞いてくれる彼女に患者さんは感謝するようになり、評価ががらりと変わったというんです。
生物学には、気候変動や突然変異に襲われながらも、生物自ら“生活の場”を変えて生き延びたとする考え方があります。僕は人間も、環境に合わせるのではく、自分にとって都合のいい環境を選ぶほうが自然だと思っていて、これを“能動的適応”と呼んでいます。
病院の彼女はまさにそのケースで、本当の自分を探すのではなく、自分の適した職を見つけたのだと思いますね。だから若い人も、『これはいけるぞ』と思える得意な職に出合ったら、それが自分の居場所だと思ったほうがいい」
近年、新入社員の早期退職が増加傾向にあり、賛否両論が報じられているが、能動的適応という点では、これも一つの方法なのかもしれない。
「かつて終身雇用の時代は、能動的適応なんて考えたことはなかったはずで、たとえ得意な仕事じゃなくても、必死に自分を適応させて定年まで勤め上げるのが当たり前でした。そういう時代に働いていた世代のなかには、『本当の自分はこんなもんじゃない』と思う人も多かったのだと思います。
ところが今はしばらく働いてダメだと思ったらさっさと辞める若者も少なくない。早期退職によってなるべく早くに自分に適した居場所を見つけられるとしたら、今後は少しずつバカの災厄も減ってくるのかもしれません」
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抜粋終わり
平等主義とか言いながら「いじめ得」で被害者の泣き寝入りを常態化していたのが「学校」で特に教育委員会や経団連。
そりゃ、おかしくなる。
こんな記事もある・・・
なぜ「反知性主義」の傾向に日本があるか・・・
そりゃ、天皇が無責任で有り続けて地位を天皇とその仲間が権力を持ち続けるためです。
なんせ「天皇に戦争責任が無い」など知性が猿以上あれば認めれないことを、認めているからね・・・
「天皇」という反道徳・反知性が、日本人を日本文明を滅ぼします。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みの富む社会になりますように。
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