西欧近代学術の 魔術性 が見えないと、ただの猿になる・・ていうか犬以下になる。
上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:悪辣さを増す“コロナ禍”工作を斬る!!内容:「因果関係は不明」という常套句・西洋近代科学と西洋魔術・緊急事態条項・言論封殺・武漢ウイルス研究所・「理」の考察・現代版「蠱毒」
〇スレッドが長くなったのでコロナ・惑沈関連のスレッドを新たに作ります。
「前掲のサイトに「米国では、製薬会社から医師への2,000円ほどの飲食の提供で、その医師の処方が変わるという研究もあります。」と書かれてあった。2000円で処方が変わるなら1万円以上なら尚更言動に影響を与えるだろう。要するに製薬会社からお金を受け取る医師の言う事は信用出来ないという事である。」
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1397296724461318149
〇惑沈接種後に85人の方が亡くなっても「メリットがリスクを上回る」と「専門家」が“評価”と。「因果関係は不明」と並ぶ常套句「メリットがリスクを上回る」と言う「専門家」がいたら、ここ「https://db.wasedachronicle.org」でチェック!https://jp.reuters.com/article/vaccine-jp-idJPKCN2D8129
〇85人が亡くなったのはあくまでも短期。数年単位の長期的影響は何も分かっていない。リスクが明確になっていない上に、惑沈の「効果」とやらも厚労省が最近検証を始めた段階である。要するに今が治験中。「メリットがリスクを上回る」などと断定する者は製薬会社との利害関係を詮索されて当然である。
〇2000円ほどで医師の処方が変わるという研究があるそうである。治験中の薬物を「リスクよりメリットが上」などと断定する者は一切信用出来ない。メディアで言われる「リスク」は殆どが短期のもの(副反応や死亡リスク)。本当に怖いのは長期のリスクである。接種直後何事も無くても数年後は分からない。
〇惑沈接種者から周囲への影響が指摘されている。これは十分考えられる事だと思う。mRNA惑沈はスパイクタンパク質と呼ばれるウイルスの一部を体内で生成する事で抗体反応を引き起こそうとするものだとされる。体内でウイルスの一部を作り出すとなると、それが体外に漏れ出る事も素人考えでも想像出来る。
〇一部メディアは惑沈接種後の死亡事例について報道しているが、それらはあくまで短期的影響であり、管見の限りでは長期的影響に言及するメディアは殆どないようだ。やはり、これが本当のタブーなのだろう。「長期的にも安全」と断言する「専門家」はさすがにいないようだ。断定したら只の非科学になる。
〇医学者など科学者は現代の神官階級として「権威」の衣をまとい民衆を支配する事も可能。これは太古の神官階級が秘密の知識を独占して民衆を支配したオカルト支配体制の現代版と言える。秘密結社の理想。「科学」の装いになろうと本質は同じ。個を守るには「権威」を厳しくチェックする事が重要である。
〇最近のテクノロジーの発達振りや科学の発達の極に於ける魔術回帰志向など、最新のNWO構想では科学的知識や科学技術が重要な要素になっていると分析する。秘密結社が理想とするオカルト魔術的支配体制を科学知識や科学技術をフルに使って実現しようとするNWO構想。ここでは科学者は重要な位置を占める。
〇科学者は権力者に準じる存在と言ってよい。製薬会社との関係など利権関係や背後関係が厳しくチェックされなければならない。科学者の発言に「価値中立性」が担保されていると思い込むのは危うい。「科学」という体裁は全体主義の推進にも格好の口実を与える事がある。権力者と同様に厳しいチェックを。
〇西洋近代科学と西洋魔術は元々は同根の知的技術的体系である。「オカルト(秘教)」とは「隠された知」というニュアンスがある。素人が容易に近づけない科学知識はある意味特権者が独占する秘密知識に近い所がある。それらの知識と技術の体系を用いたオカルト支配体制は古代地中海世界の密儀に遡れる。
〇「因果関係は不明」と「メリットがリスクを上回る」が惑沈推進派の二大常套句である。また、この場合の「リスク」の定義についても短期のリスクに限定していると思われる。長期的リスクこそ核心問題。ここを徹底的に掘り下げる事がメディアの役割なんて建前は言わない。彼らは只の裏権力スピーカーだ。
〇CERNの中庭のシヴァ神像の前でオカルト儀式を行っていた事は、最先端科学とオカルト魔術の意外な近さを示していると言える。CERNの近くのトンネルの竣工式で演じられた儀式的見世物も不気味だった。最先端科学とオカルト魔術は意外に距離が近く、歴史的淵源を遡ると同根だという事実は結構重要である。
〇科学は魔術と違って知識が公開されていて再現性がある事が建前となっている。だが、科学者は科学者だけの閉鎖的な共同体を作っている。「パラダイム」という語は一般に普及しているが、元々はこうした科学者共同体で共有されている認識枠組みを指した。ギルド的な組織体は秘密結社と同質のものである。
〇神智学系カルトのオウム真理教はシヴァを崇拝した。オウムは科学研究者など理系信者を数多く擁し、「科学技術省」なる擬似“省庁”的な名称の科学部門を持っていた。シヴァ神像を中庭に置く最先端科学機関CERNと同様の神秘主義と科学の取り合わせ。オウムの背後に如何なる勢力がいたかを暗示すると思う。
〇緊急事態条項創設の企みは英国のTPP参加工作などメガFTA問題と並ぶ最重要問題である。緊急事態条項とは憲法を停止し政府に独裁的権限を与える条項である。「緊急事態条項が無ければ出来ない政策とは何か」という質問に対する回答の中でスガが「惑沈治験」に言及した事で緊急事態条項の怖さを知るべき。
〇緊急事態条項が発動すると、政府には「人権を保証する義務」ではなく「人権を尊重する義務」しかなくなる。何をもって「尊重」なのか定義は曖昧なので、超憲法的な独裁権を得るに等しい。憲法上国民に「惑沈接種義務」を課せなくても、憲法が停止するなら話は別である。強制接種も可能になりかねない。
〇元社会主義インターナショナル議長の国連総長アントニオ・グテーレスは「戦時体制が必要だ」と言った。それを同じ大東社系の似非リベラルがこぞって持ち上げ、緊急事態条項創設を後押しした。左右両建抗争で社会の全体主義化=NWO化が急速に進行。緊急事態条項創設でとどめになる。何としても阻止を!
〇ほんの一言二言晒すだけで一般人を社会的に抹殺出来るような影響力のある有名人やメディアが「匿名」批判をよくするが、これは「正規軍」が「ゲリラ」に対して持つ苛立ちや恐怖心に似ていると思う。「匿名」は弱者が強者に立ち向かう武器である。少数が大軍に野戦で正面からぶつかっても勝ち目はない。
〇緊急事態条項とは一見関係ない話に見えるが、実はさにあらず。「名前を晒して堂々と主張せよ」は一見正論に見えるが、これを強者が弱者に向かって言う場合はゲリラに「野戦で殲滅してやるぞ」と言っている訳である。「匿名」という武器を奪えば、言論弾圧がより容易になる。外堀を埋めている訳である。
〇裏権力は弱者が強者と戦える「匿名」という武器を心底恐れている。匿名批判はその表れ。ゲリラの恐怖に怯えて発狂した正規軍兵士の話を何かで見た記憶がある。顔も名前も出している有名人は全方位的両建批判をすると命に関わる。だから、有名人は「反FTA親SDGs」などというパターンが殆どなのである。
〇芸能人らに対する誹謗中傷問題は仕様で解決出来ると考えている。仕様で罵詈雑言が本人に届かないようにする。個人的には芸能人をスピンの生贄にして集団リンチする野蛮な風潮は苦々しく思っていたが、かといって「匿名」一般を否定するのは別の話である。匿名は弱者が権力批判するには欠かせない武器。
〇ネット言論を封殺する他の方法として「訴訟」のハードルが下げられてきた。裁判というのは金持ち程有利である。金持ちは趣味感覚で訴訟が出来るが、弱者ほど経済的精神的負担が重くのしかかる。「訴訟で解決しろ」は一見公平に見えて、実際には金持ちほど有利なネオリベ的社会設計の一部なのである。
〇新自由主義者(ネオリベ)が掲げる標語に「事前調整型社会から事後救済型社会へ」というのがある。「事後救済」とは「裁判」である。事前の規制で社会を調整するのではなく、トラブルが起きたら訴訟で解決しろという事である。訴訟は強者程負担が軽く、弱者程負担が重い。弱肉強食型社会設計である。
〇「事後救済型社会」というネオリベ化の進行で言論の自由が脅かされている。そろそろ「スラップ」について真剣に考えるべき時だろう。「SLAPP」とは「strategic lawsuit against public participation」の略。「市民参加を排除するための戦略的訴訟」と和訳される。言論封殺の手段としての訴訟を指す。
〇米国の加州には「反スラップ法」がある由。被告側が「スラップだ」と主張し、それが認められると提訴が棄却され、訴訟費用は原告側が負担する事になるそうである。我が国にもスラップの法規制が必要だと考える。さもないと資金が潤沢で何人もの弁護士を付けられる社会的強者に不当に有利な社会になる。
〇「匿名」の保護とスラップに対する法規制。緊急事態条項創設の企みなど全体主義化が進行し、言論の自由が増々脅かされてている現状に於いて、この二つは是非とも必要になる要素だと考える。米国のモノマネばかりしたがる連中は、政治活動をした宗教団体の免税特権剥奪と反スラップ法だけは無視する。
〇「誹謗中傷」と「正当な批判」を峻別する事はそれ程簡単ではない。権力に不都合な言説を全て「誹謗中傷」呼ばわりする事も出来る。芸能人らを追っかけ回し散々「誹謗中傷」してきたメディアが「誹謗中傷」問題を語るのは「ブーメラン」という以上にネット言論統制を正当化する意図に発したものだろう。
〇兵法によると、兵には「正兵」と「奇兵」があり。「正兵」で戦っても勝てるのは十分な戦力がある場合に限られる。劣勢の場合は「奇兵」戦術を取るのが上策と言えよう。圧倒的な資金力であらゆる媒体、組織、有力者を傘下に置く裏権力に、一般庶民が立ち向かう為の有効な武器の一つが「匿名」である。
〇情報が拡散し、匿名の追及者が無数に増える。どこの誰が発言しているのかも分からない。情報だけが拡散していく。これは確かに裏権力にとっては恐怖だろう。その怯え、恐怖、苛立ちがメディアを通じた「匿名批判」となって表れていると見る。芸能人を生贄にした野蛮なスピンに乗ると増々口実を与える。
〇“コロナ禍”工作は皮肉にも「本物」と「偽物」を物の見事に炙り出している。日頃「自由」「人権」を叫んできた連中の殆どが本音では「(自分以外の)言論の自由など要らない」と考えている事が露呈した。異論者を集団で通報する、訴訟で脅すなど。この上緊急事態条項が出来たら完全に収容所国家になる。
〇特に大東社系左翼・似非リべラル勢の偽善と独善と暴力には反〇が出る思いがする。似非リベラル勢は「人権」「自由」を叫んできたが、彼らの本音は「自陣営以外の言論の自由など要らない」「集団で圧力をかけて異論者を徹底的に潰したい」「ロックダウンをやって締め付けを強化しろ」「全員惑沈打て」。
〇大東社系左翼の特徴の一つは、気に入らない言論に対して、集団で通報したり、訴訟をちらつかせて脅すなどして言論の自由を奪おうとする事である。とにかく批判者を徹底的に潰したいという独善的なドグマによる暴力衝動が感じられる。他にも特徴があった。常軌を逸した暴言を吐いても凍結されない事だ。
〇個人的に遭遇した例だが、某大東社系左翼は、ここで書くのもはばかられるような暴言を連発しても凍結されなかった。虚言(デマ工作)・セクハラ(女性の人権を侵害する発言)・暴言(暴力的=バイオレンスな発言)の「トリプル」をやっても凍結されない。明らかに「保護」されているとしか思えない。
〇「言論の自由」は収容所国家であるか否かの最重要メルクマール(指標・目印)である。自由に物が言えるからこそ、政治の過ちや社会の不正を正す事も出来る。逆に自由に物が言えなければ収容所国家化する他ない。この最も重要な「言論の自由」を最も軽視しているのが日頃「自由」を叫ぶ連中という皮肉。
〇最近の言論の自由を脅かす諸々の策動。〇著作権法違反の非親告罪化〇発信者特定手続きの簡易化〇メディアの「匿名」批判キャンペーン〇気に入らない言論を潰す為の集団通報〇訴訟による脅しやSLAPP〇SNS企業による言論統制(特定言説の締め出し・凍結)...そして極め付けが緊急事態条項の創設の企み。
〇言論の自由の否定の口実によく使われるのが「芸能人への誹謗中傷」「炎上」である。少し観察すれば分かるが、芸能人の炎上騒ぎは大抵はメディアの報道がきっかけになっている。メディアが醜聞や失言等を報じ、ネット民が反応する形。炎上とは要するに芸能人を生贄にする野蛮なリンチ=スピン報道の事。
〇「炎上」という名のスピン報道は、重要問題から目を逸らせるし、ネット言論の封殺の口実に使えるしで、裏権力走狗にとってはまさに「一石二鳥」である。肝心な問題から目を逸らせるスピン報道を止めたら芸能人の炎上案件など減っていく。それをネット言論封殺の口実にするなど、お門違いも甚だしい。
〇「日本人は自由・人権が分かってない」としたり顔で語って(騙って)きた欧化主義者程それが身になってなかった事が露呈した。彼らの言う「自由」とは、あくまでフリーメイソン的な「観念」「イデオロギー」としての「自由」である。裏権力及び走狗は「自由」を掲げて民衆に「不自由」を押し付ける。
〇厳格な位階制を設ける閉鎖的な秘密結社が言う「自由」とは、観念としての「自由」である。これは「不自由」を押し付ける為の格好の道具である。例えばネオコンは「自由」を掲げて侵略する。「日本人は自由が分かってない」と言う場合の「自由」はこれ。似非リベらが言う自由とはフリーメイソンの教義。
〇本当に大事なのは、「自由」なる観念ではなく、実際に「自由に物が言える」という事実・現実としての「自由な状態」である。「自由」なる観念に執着すると、かえって「事実状態としての自由」を失う。只の観念・言葉を実体視して執着しドグマ化すると「事実状態としての自由」を失う。似非リべはそれ。
〇真に言論の自由を守るには、フリーメイソン的な「自由」観念への徹底批判が必須である。言論の自由を封殺してくるのは、ほぼ例外なく石屋的な観念としての「自由」を盲信している連中だからである。ネオコンは「自由」を掲げて侵略するし、似非リベラルは「自由」「人権」を掲げて言論封殺に狂奔する。
〇「巧言令色鮮し仁」は「自由」にも当てはまる。日頃から「自由」「人権」と連呼してきた連中ほど「(自分以外の)自由」を毛ほども重んじていない事が露呈した。「異論者を締め出せ」「ロックダウンをしろ」「全員に惑沈を打て」等々。フリーメイソンの思想的エピゴーネン共の横暴を許してはならない。
〇「本当に大事なのは、「自由」なる観念ではなく、実際に「自由に物が言える」という事実・現実としての「自由な状態」」「事実状態としての自由」と書いたが、これについて具体的に説明しておくべきであろう。権力や暴力、社会的圧力などによって脅かされる事無く発言する権利が保障される事である。
〇制度や社会環境など諸々の関係性によって実質的に保障されない限り「言論の自由」は只の観念に過ぎない。似非リベラルをはじめ、フリーメイソン的な教義・観念としての「自由」を叫ぶ連中ほど実質として「言論の自由」を守る諸関係の破壊に狂奔する。集団通報(現代版密告)やSLAPPなどが典型である。
〇矜持のある「反体制活動家」ならば「密告」など恥ずかしくて出来ないのではあるまいか。美学とか矜持とか、そういうものが欠片もないようである。「反権力」を気取る連中の多くが本当は「権力が大好き」。抑々大東社とは仏蘭西の権力者の集まりなのであるから、その思想的末端分子が同類なのは当然か。
〇「実質として「言論の自由」を守る諸関係の破壊」と書いたが、これを一気に実現するのが緊急事態条項である。言論の自由を保障する憲法を停止すれば、言論の自由が保障されなくなるのは当然である。憲法が停止すれば政府には「人権を保障する義務」がなくなる。言論の自由は厳しく制限されるだろう。
〇「言論の自由」を軽く扱う者が多過ぎると感じる。戦後の「民主主義教育」とやらも底が見えたと言えよう。言論の自由さえ保障されていれば、他の問題は言論のプロセスで正す事も出来るが、言論の自由を一旦手放すと、この過程自体が機能しなくなる。そうなれば、全体主義化・収容所国家化するほかない。
〇諸関係によって成り立つ「言論の自由」は何も近代立憲主義を待って初めて生じた訳ではない。「言論の自由」なる「概念」は近代立憲主義以来のものでも、実質的状態としての「言論の自由」は、近代以前では基督教が支配する西洋より東洋の方にあった。中村元氏はそういう評価をしているが、同感である。
〇容易に権力者の言論封殺に賛同するなど言論の自由を軽んじる者が多いのは、我が事として身になっていないからだろう。明治以来の欧化主義の流儀で観念として受容するだけなのである。言論の自由や自治の精神は、伝統的な思想や文化・固有の歴史と関連付けなければ決して血肉化する事はないと考える。
〇実質的状態としての言論の自由は春秋戦国時代の諸子百家や六師外道・六派哲学などと呼ばれた古代印度の哲学諸派など東亜の歴史に見られるが、我が国に於いても江戸時代の学者思想家の間で活発な論争が行なわれていた事を想起する。自治の精神は我が国中世の「惣」や「一揆」に於いて色濃く見出される。
〇山城国一揆では農民と国人が連合し合議制に基く自治体制を8年間維持した。こういった国史上の事例と関連付けて考察すると、本当に身になるのではないかと思う。欧化主義だとかえって近代主義特有のシステマティックな組織原理と目的合理主義に陥り、個を圧殺する全体主義に走る可能性が高いと考える。
〇国民投票法の改定は緊急事態条項の創設を主目的とする改憲に直結する。緊急事態条項は憲法を停止させ、政府が独裁的権限を持つ条項である。憲法が定める政府の人権保障義務は無くなり、全体主義化=NWO化するのは必定。国民の多くがもっと関心を持たないと非常に危ない!!https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210609/k10013076151000.html
〇「裏権力」「権力者」と言うが、彼ら単体では何も出来ない。彼らの目論見がまんまと“成功”する時には必ず多くの一般市民の「協力」がある。思考誘導されて精神的物理的に動員されたり、スピンに惑わされて最重要問題から目を逸らされたり、無関心に誘導されたりなど。これらは全て「協力」の態である。
〇独立的思考・批判的思考を無くすと、他者の意図通りに考え、動く「傀儡」と化してしまう。その為の媒体となっているのがテレビ・新聞・ネットなどである。mRNA惑沈の事を調べずに行列をなす人、緊急事態条項に全く関心が無い人、SDGsをよく考えもせずに「良いもの」と受け取っている人..キリがない。
〇“コロナ禍”工作開始当初は欧米メディアに「陰謀論」扱いされていた「武漢ウイルス研究所からウイルスが流出した」説が、欧米メディアで何故か急に“市民権”を得てきた。これをどう解釈すべきか?「世界の素人調査団が調べた」云々と言うが、裏権力メディアは都合の悪い言説は「陰謀論」扱いするのが常。
〇裏権力に都合の悪い言説を「陰謀論」呼ばわりする裏権力メディアが「武漢ウイルス研究所流出説」を「陰謀論」から“指定解除”した意味とは。2つ程「狙い」を想定する。①「ともかくコロナウイルスは存在する」と言う為。誤前提誘導の原理と同じ。「ウイルスが流出した」はウイルスが実在する事が前提。
〇ウイルスの存在や実態について疑義が呈されている状況を見て、「誤前提誘導」の原理に沿って「ウイルスが流出した」説を「認める」事で、ともかくも「ウイルスは存在する」という前提を刷り込もうという狙いが想定出来る。②米中両建抗争など中国を敵役とする新たな国際両建抗争の呼び水にする狙い。
〇裏権力メディアは裏権力(国際秘密力)に本当に都合が悪い言説は「陰謀論」呼ばわりし続けるのではないか。それが「陰謀論」“指定解除”したという事は「武漢ウイルス研究所流出説」に彼らにとっての何らかの「有用性」を見出した可能性があるという事だと見る。その狙いとして前述の①と②を想定した。
〇武漢ウイルス研究所を掘り過ぎると欧米裏権力との関係(研究所への米国の資金援助や仏蘭西政府と中国共産党のP4実験室共同開発など)が露呈するので、裏権力側としても扱いに難儀するだろう。だから当初は「陰謀論」扱いしたのだと思われる。ここへ来てそれを覆したからには何らかの事情があると見る。
〇国民投票法改定案が成立させられた。緊急事態条項に関心を持つ人をもっと増やさないといけない。8割方全体主義化してしまっていると言っても過言ではない我が国が完全に全体主義化=NWO化するか否かの瀬戸際に立たされている。裏権力走狗が牛耳り惑沈強制接種が罷り通る世の中など真っ平御免である。
〇中国の原発の放射能漏れが報道されているが、この原発を開発・運営するのは仏蘭西の企業。事実なら大変な事だが、ここにも「武漢ウイルス研究所流出説」と同様の国際情報戦の臭いを感じる。P4実験室の共同開発といい、共産中国は仏蘭西との関係が強い。大東社と中国共産党の歴史的関係性によると見る。
〇“コロナ禍”工作から徐々に共産中国を敵役とする国際的両建抗争に国際政治謀略の重点が移っているようにも見える。弁証法戦略では「対立」「抗争」は「統合」への布石。中国を含む環太平洋地域の経済統合が裏権力の当面の目標なのでG7の“対中包囲網”は虚妄。NWO化に誘導する両建抗争の演出を警戒する。
〇何事にも「潮目」が変わる瞬間というものがある。陰謀・謀略に於いては(自然に)「変わる」のではなく(意図的に)「変える」と言うべきであろう。イスラエルのグリーンパス廃止などは国際謀略の中軸が“コロナ禍”工作から徐々に変化しつつある兆候に見えない事もない。只の読みなので断言は不可だが。
〇“コロナ禍”工作から国際両建抗争にシフトしているというより両者を併用する手口と見ておく方が安全だと思う。“コロナ禍”工作がNWO化の為の目下最有力の手段である事に変わりはないからである。物事を「あれか、これか」の二者択一(両建に嵌り易い思考)ではなく複眼的に見ておくと盲点を突かれ難い。
〇また変な記事タイトルが目に入った。「医師との対話」で「惑沈への不安」が解消する?とは妙な話である。人類初投与のmRNA惑沈の長期的影響のデータは無いので、医師と幾ら「対話」しても長期的安全性が確かめられる事はない。抑々厚労省は“効果”とやらの検証を最近始めた。要するに治験中なのである。
〇長期影響が不明で厚労省が“日本人への惑沈の効果”を今から検証しようという治験の段階なのに、「リスクよりメリットの方が大きい」とも断言する。200人近くの死亡者が出ても「因果関係は不明」の一点張り。こういう道理の通らないおかしな話もメディア等を通じて宣伝すると、“納得”する人も出てくる。
〇弁証法的思考の特徴は「対立」が「対立」にとどまらず、必ず「統合」への「止揚」を想定している事だと分析する。「国際秘密力(裏権力)が常に対立を演出するのは統合に誘導する為」という前提で国内外の様々な対立軸を観察するようにすると、両建抗争に惑わされていずれかに加担するのを回避出来る。
〇敵の思考法の次元まで解析しておかないと、次々に登場する新手の対立軸に絡め取られる恐れがある。ちょっと意匠を変えた新手が登場するとすぐに騙される人は多い。「弁証法」と「両建」という国際秘密力の思考方法の特質を押さえておくと、新手が出ても構造的類似性を瞬時に見破り惑わされにくくなる。
〇物事を実体論的な「要素」に分解して理解しようとする「要素還元主義」は西洋近代主義の特徴の一つだが、国際秘密力の思考方法の一部でしかないと見る。要素に還元するのは、分解したものを組み立てる為。各敵対陣営にバラバラに分解するまでは要素還元主義的だが、そこから統合に誘導しようとする。
〇要素同士・要素と全体が緊密に結びつく関係論的構造体を要素に分解した上で新たな構造体として“再構築”するという発想。歴史的に形成された国という構造体を一旦バラバラに破壊した上で、無国境的に「統合」を図り恣意的な統一権力を作ろうとする。だからNWO化工作では国や共同体を破壊しようとする。
〇「三論玄義」に「問う:成実論の著者ハリバルマンは龍樹より後の時代なのに、何故龍樹が論破出来るのか?おかしいではないか。答える:執著を破るのが目的である。だからどうして時代の前後を言う必要があろう。先の時代の論者が後代の論者を破れないなら、扁鵲の医術は後代で通用しない事になろう。」
〇という趣旨の問答が載っていた。「前の時代の論者が後の時代の論者を破れるのは、扁鵲(古代の中医学の名人)の医術が後代の人間を治せるように、古今を通じた論理・道理の一貫性があるからである」という意味だと解釈する。物事の原理や構造を一旦理解すると多種多様な事例に対応可能だという事である
〇物事の論理・原理・構造など、要するに「理」を一旦理解・把握しておくと、次々に新手の事象が現れても正体を瞬時に見破る事が可能となる。陰謀分析にもこれが言えると思う。「両建」や「弁証法」という国際秘密力の共通した思考パターンを把握しておけば、次々に現れる新手に惑わされる事がなくなる。
〇物事の基本的な論理・法則・構造などを押さえておくと、未来に生ずる新手の事象にすら対応可能だという道理を述べた一例として先の問答を引用した。勿論新手の事象特有の性質を個別に分析する事も重要である。要するに車の両輪。少なくとも「理」を押さえておくと簡単に騙されなくなるのは確かである。
〇イスラエルですらグリーンパスを廃止する(裏の狙いを見極めない限り一概にどうとは言えないが)のに、スガ政権は今から「惑沈パスポート」の導入を狙っている。惑沈パスポートは最初は「海外渡航」を名目として徐々に国内に適用して「惑沈接種の有無」で国民を“選別”する管理統制の具になるのは明白。
〇「惑沈パスポート」は「改憲→緊急事態条項創設」の企みとも関連すると見るべきである。全ては“コロナ禍”を口実に国民を雁字搦めに管理統制する全体主義化を図る為と分析。“コロナ禍”と言えば“自ら進んで”(本当は思考誘導の結果だが)個人の自由を手放そうとする人が増えているように見える。危険!!
〇NWO化が世界でいち早く実行される「超NWO先進国」ことイスラエルが“コロナ禍”を口実とする管理統制策の目玉「グリーンパス」を廃止する裏には、何らかの狙いや別の目的へのシフトを想定しておくのが無難である。国際両建抗争への移行もその一つ。「惑沈パスポート廃止の流れ」という見方は甘いと思う。
〇「理」の説明。「理」は①人が則るべき道理・道義・規範という意味と②事物の法則性という2種類の意味があると考える。①は道義的に善いものに限られるが、②は善悪と無関係な法則性を指す。よって悪者の思考・行動のパターンなども含む。例えば犯罪学の研究対象は犯罪者の行動に表れる「理」である。
〇「両建や弁証法という国際秘密力の共通した思考パターンを把握しておけば、次々に現れる新手に惑わされなくなる」という場合の「国際秘密力の共通した思考パターン」は勿論②の意味の「理」である。①の意味の「理」に反するような邪悪なものにも法則性やパターン・傾向性という意味での「理」がある。
〇「理」に関する捉え方は古今で様々である。宋学を例に挙げる。宋学では①の理と②の理は究極的には同一とするが、宋学で悪の原因とする「人欲」にもそれなりの法則性があるという意味ではそれなりの「理」がある事になり、実体論的な「悪」が否定される。宋学の根本が徹底した性善説という事が分かる。
〇近代合理主義で言う場合の「理」は専ら②の意味に圧倒的な比重がある。一般に「合理的」と言えば冷たい印象があるのがその証左である。この「合理」は「道理に合致する」というニュアンスがない。近代合理主義では「如何に効率的に利益を最大化するか」という功利主義的視点で「理」が捉えられている。
〇近代合理主義では「損失や労力を最小にして利益や快楽を如何に最大化するか」という功利主義的観点で最も目的達成に効率的なあり方を「理」とし、そこに合致する事を「合理」とする。近代以降の日本語の「合理的」「合理主義」とはそういうニュアンスが強い。「理」を専ら②の意味と捉えた結果である。
〇やはり「理」なる語は①道理・道義・規範と②法則性・傾向性・パターンという2種類の意味の違いを意識して用いるのがよいと思う。さもなければ、目的の為には手段を選ばないという冷酷非道な「合理主義」に歯止めがかからなくなる。西洋近代文明の覇道は、②に執着し①の「理」を無視する所に生じた。
〇「合理主義が駄目なら非合理主義」という短絡的な発想が出るのも、「合理」の「理」を専ら②の意味で捉えるからだろう。「理」を②の意味でしか捉えないと「合理」はとても冷たいものに感じられる。だが、①の意味の「理」には「思いやりを持つ」などといった事が含まれるので「冷たい」は当たらない。
〇科学では①と②を厳格に区別し①を②に混入させないようにする。「価値中立」と言われる態度である。研究姿勢としては妥当であるが、邪悪な目的の為になされる②の追求は①の観点から厳しく批判されねばならない。批判すべきなのは「合理」の「理」が②の意味に限定されて都合よく悪用される事である。
〇このように①の「理」と②の「理」が鋭く対立する場合がある。国際秘密力(裏権力)のマッドサイエンティストが最先端科学を用いて各種「黒い技術」を開発するのが、②の「理」の悪用の最たるものである。マッドサイエンティストは①を②の追求の障害としか思っていない。「マッド」たる所以である。
〇②の理の追求は世の中の役に立つ一方で邪(よこしま)な目的の為に悪用する事も可能なので、②の追求が矩(のり)を超えないようにするには①の理(道理)の観点が不可欠である。「合理」という言葉の「理」が専ら②のニュアンスなので、尚更「合理」という言葉を批判・吟味し検討しておく必要がある。
〇「理(ことわり)」は「事割り」「言割り」から来たと解釈する。「事(事象・事物・現象)」を「言(こと)」で「割る」。事物事象を認識し言葉で分節化する。そうして取り出されたのが「理(ことわり)」。故に人の認識対象としての「理」は形態としては「実体」ではなく「言葉」「概念」に過ぎない。
〇「理(ことわり)」が「事(こと)」に即したものとすると「それ自体で存在する実体」ではない。認識した「事(こと)」を「言(こと)」で割って(分節化して)取り出されたのが「理(ことわり)」。これが日本・東洋の学問で言う「理」と西洋哲学で言う「ロゴス」や「イデア」との違いだと考える。
〇本居派の国学で「理」を「漢心(からごころ)」として批判したのは、それが「事」(国学者の言う事とは具体的な史実・古制・故実など)から遊離する観念に過ぎないと見たからであろう。「事」から遊離すると確かに西洋的な実体観に近づく危険がある。皮肉にも平田派国学はその方向を辿り一神教化した。
〇「理」には①道理・道義・規範としての「理」と②法則性としての「理」の2種類があると説明した。①は人が則る事も無視する事も出来る。故に善悪の評価対象になる。②は人の意思や善悪に無関係な事物事象の法則性を指す。科学の研究対象は②だが、江戸時代までの伝統的学問では①の探求が中心だった。
〇朱子学や陽明学では①の「理」の探求に重点があった。朱子学では心の本性=性を理と捉え(性即理)、陽明学では心自体を理と捉えた(心即理)。朱子学にはあらゆる事物事象ごとに「理」を極めるという姿勢があるので実は②の探求の側面もある。実際、朱子学の合理主義は近代科学受容の下地にもなった。
〇「物理学」という語は朱子学の「格物窮理」という語から作られたようである。この事が江戸時代に学ばれた朱子学の合理主義と近代科学受容の関係性を示しているように思われる。朱子学者の佐久間象山は西洋兵学の大家でもあった。朱子学の②の「理」の探求の側面が科学研究に繋がる面があるのは確かだ。
〇仏教の「空」は①と②のどちらだろうか。事物事象を「空」と見る事と「執着しない」という実践道徳は密接に結びついているので、「空」は①と②の両方に関係する「理」と見る事が出来る。かといって、宋学の如く①と②の理を「同」と見るのとは違う気がする。同でも異でもなく「不二」という事あろう。
〇古学派の伊藤仁斎は「理」は「事(気)」に即して立てたものに過ぎないとする一元気論の立場である。この見方は先述の本居派国学に通じる。そもそも、仁斎の古学派→荻生徂徠の古文辞学派→国学派という学問の流れがあるので、古学派と国学派で「理」の捉え方が似ているのも何ら不思議はないと言える。
〇「理」と「事(気)」という範疇であらゆる思想・学問を分類する事が出来る。今取り上げた学問だと「理と事の相即=理気論を旨とする朱子学」「事を重視する古学派と国学派」「理も事も空(無実体)で不二と見る仏教(特に中観派)」「理に傾き一神教化した平田派」と思想の特質を解析する事が出来る。
〇伴信友と平田篤胤は友人同士であったが、後に決裂した。篤胤がキリシタン神学など影響で国学の形而上学化を図ったのに対し、信友はあくまで厳密な考証による史学的研究を重視した。学風が根本的に合わないのである。信友が「事」を重視したのに対し、平田派は「理」に傾き過ぎて一神教化したと言える。
〇平田派門下から出た鈴木重胤は考証を重視する実証的学風によって篤胤学を批判した為に平田派を破門されたと言う。後に江戸で刺客の手により斃れている。犯人は攘夷派とされるも真相は不明であるが、思想・学問上で対立する平田派の影響下にある勢力には重胤を暗殺する動機が十分にあったと思われる。
〇明治政府の公式イデオロギーだった「国家神道」も大本教をはじめとする神道系新興宗教も平田派を源流とする。戦前の「大本教弾圧事件」は共に平田派を源流とする国家神道と神道系新興宗教の両建抗争だったと見る事が出来る。これは神社本庁と神道系新興宗教の両建として戦後に引き継がれたと見られる。
〇話を惑沈やコロナに戻す。惑沈を「安全」と断定して人に勧めているのに自分は打ってないと自己曝露した輩がいたようである。良心の痛みはないのだろうか?惑わされる事なく、しっかり自分と周りの人を守るべし。【日本でも秋口にCOVID-19ワクチンの副作用が顕在化する可能性】https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202106150000/
〇「理」は「ことわり」なので「こと(事)」を前提とする。古代の漢語だと分からないが、日本語では「理」を「ことわり」と読むので「こと(事)」が前提なのは明らかだと考える。つまり「こと(事)」あっての「ことわり(理)」。だから「理」とは形而上学的な「実体」ではなく事物事象に即した道理。
〇だから日本の伝統的学問は「理」より「事」を重視する傾向が強いのかもしれない。江戸期の古学などは特に反形而上学的傾向が強い。だが、平田派が台頭した幕末維新期を境に形而上学的傾向が強まったように思われる。猶太教・基督教、神智学などの西洋神秘主義、啓蒙主義や理性主義の流入の影響だろう。
〇「ことわり(理)」は「事割り」と書いたが、漢字の「理」は「磨かれた玉に現れる線状・筋状の文様」が語源とされる。「美しい文様を出す→整える→物事の筋道→道理」という意味になったようだ。筋状の文様には「玉」が先行する。玉があってこそ文様もある。これも「事があって理がある」に通じる。
〇「玉の文様」と言う場合、「玉」がないと「文様」はない。「こと(事)」がないと「ことわり(事割り→理)」はないのと同じ。「理」に「ことわり」という日本語を当てた先人のセンス。それこそ字義を理解するだけでなく物事の道理を深く洞察していないと、このような訓を付す事は出来ないであろう。
〇「理」には①「道理としての理」と②「法則としての理」があると述べた。西洋近代文明は専ら②に重きを置いた。西洋化が進んだ明治以後の我が国も然り。だが、最近では②すら軽んじられている。例えば通説と違う意見の科学者に罵詈雑言を浴びせて排除する。権力と利権の為に。①の無視は一貫している。
〇②「法則としての理」の追求の為には「仮説を立てる→データを集めて検証する→立証する→事実として確定する」という一定の手続きが必要である。仮説を立てただけで激高して言論封殺しようとする連中が多い。しかも、その中には「科学者」を名乗る輩も多数。「風上に置けぬ」とはまさにこの事である。
〇裏権力メディア・御用“専門家”・火消し工作員は②「法則としての理」を自ら着実に証明・立証しようという誠実さに欠けており、通説と異なる意見に対しては専ら「印象操作」「罵詈雑言」「集団圧力」で以て対応する。こういう下劣な連中ほど「科学」を重んじていると称していたりする。付ける薬は無し。
〇例えば「反惑沈の背景には疎外感がある」などとテキトーで不適当な事を言う。只の印象操作である。自分と周りの人を守ろうという心情や世の中を真剣に憂える公共的問題意識などないと端から決めつけ、全てを「疎外感」などという私的(プライベート)な感情に還元しようとする。矮小な人間観である。
〇これは“陰謀論”というレッテル貼りと同様の印象操作手法である。全てを個人の感情に還元して矮小化して貶めるやり方。人間が持つ道義心や公共心を無視する。“陰謀論者”や“反惑沈派”は極々私的な情念で物を言う矮小な人間であるとの印象操作。②の理の検証・立証とは何の関係もない人格攻撃に終始する。
〇「下衆の勘繰り」という言葉がある。裏権力メディアや火消し工作員がやっている印象操作工作はまさにこれである。自らの矮小な人間観を批判者に投影させて決めつけ人格攻撃に終始する。歴史破壊の手口にも通じる。先人を己の低劣な内面に引き寄せて同レベルと解する事である。これ即ち下衆の勘繰り。
〇「事があって理がある」という事的世界観は、古学派の伊藤仁斎の「人があって道がある。人なければ道はなし。」という考えによく表れていると思う。「人あれば必ず道あり」と考える仁斎にとって「道」とは現実から遊離した形而上学的実体ではなく、知り易く行ない易い人倫日用の道=日常道徳であった。
〇ただ、「事があって理がある」という表現には語弊がある。「事」というモノがあって「理」というモノがあると捉えると実体論的になる。実際には、個別具体的な「事(事物事象・現象)」があれば、そこには必ず何らかの「理(道理や法則性)」がある。故に「理なくして事はなし」とも言うべきであろう。
〇「事があって理がある」とか「理なくして事はなし」とは「事」と「理」をそれぞれ実体視して、いずれかを他方に先行させるという意味ではない。「事物事象には必ず何らかの道理や法則があり、道理や法則は必ず具体的な事物事象によって表れる」という意。例:質量がないと万有引力の法則は表れない。
〇ところで、最近は毎日のように“陰謀論”ネガキャンや“反惑沈派”の印象操作記事ばかりを見かける。陰謀追及者への妨害工作には「①無視→②嘲笑→③誹謗中傷→④社会的圧力→⑤暴力」という段階があると分析。影響が大きいほど段階が進むと見る。各段階は裏権力側の焦りの大きさをも示していると思う。
〇毎日のように“陰謀論”ネガキャンや“反惑沈派”の印象操作記事がアップされているのは、③~④の段階まで進んでいる事を示している。それは即ち裏権力側の「焦り」をも表しているのではないか。裏権力側にとって①無視で済ませられる段階はとっくに過ぎているという事である。庶民の発言は無力に非ず。
〇「①無視→②嘲笑→③誹謗中傷→④社会的圧力→⑤暴力」の中の最終段階⑤は、テロ・暗〇・逮捕投獄・軍事攻撃(紛争地域なら普通にあり得る)などがある。緊急事態条項とは、謂わば⑤の段階を実行する為の道具である。憲法の縛りを停止させるのは政府権力という猛獣を檻から解き放つようなものである。
〇ちなみに「国家権力」ではなく「政府権力」と書くのは、「国家」の実質は民衆の生活と文化であり、「国家≠政府」と捉えているからである。民衆の暮らしや先人から受け継いだ文化こそが「国家」の実質と捉え、近代的な公権力組織とはイコールではないと考える。公権力が民衆に牙を剥く事は許されない!
〇陰謀追及者への妨害工作の五段階「①無視→②嘲笑→③誹謗中傷→④社会的圧力→⑤暴力」の各段階について少し説明が要る。①や⑤は明白である。②はヘラヘラと冷笑する感じで、③は青筋を立てて罵詈雑言を浴びせるイメージである。④は訴訟による脅し=SLAPPや収入源の遮断=兵糧攻め等が考えられる。
〇「ブースター接種」を目論む英国は様々な惑沈を組み合わせる「Cov-Boost臨床試験」を行なっている由。これを聞いて「蠱毒」を連想した。「蠱毒」とは様々な毒虫や毒蛇を同じ容器の中に入れて共食いさせ、最後に生き残ったものを毒薬にしたり呪物にしたりするという薬学とも呪術ともつかぬ代物である。
〇「魔術の国」「オカルト魔術の総本山」たる英国が「医学」「科学」の名の下に行っている「Cov-Boost臨床試験」はさながら「蠱毒」に見える。毒虫や毒蛇の代わりにウイルス(惑沈は弱毒化・不活化したウイルスやウイルス細胞の一部を体内に注入するもの)を用いるミクロ版「蠱毒」と言えない事もない。
〇古代の日本でも中国でも「蠱毒」は厳格に禁止されていた。年間23万人もの子供が行方不明になる「オカルト魔術の総本山」には「禁忌」というものはないので、先端技術を用いる「蠱毒」もお手のものである。「Cov-Boost臨床試験」「混ぜるな危険」どころの騒ぎではない。禍々しい現代版「蠱毒」である。
〇「ブースター(追加免疫)接種」などと言って毎年惑沈を打たせて大儲けしようというのが製薬業界の魂胆だと見る。違う種類の毒を混ぜこぜにして云々...まさしく現代版「蠱毒」と言えよう。餌食にされてはならない!https://www.bbc.com/japanese/57563093
〇正論なり。引用:「死亡率が非常に低く、感染者の80%が軽症にもかかわらず、安全性もまだ分かっていない遺伝子ワクチンを国民全員に接種させる必要があるのか疑問だ」と説明。【国内の医師ら450人がワクチン接種中止を求めて嘆願書を提出】https://www.sanspo.com/article/20210624-IOQJULJCVRMBXMZXIDJG6SDUHA/
〇厚労省のHPの情報を根拠とする医師の発言を“惑沈担当大臣”が「デマ」と決めつける。これ自体がデマ。厚労省のHPに「長期安定性等に係る情報は限られている」とは書いてある。「デマ」と言うなら厚労省に言うべきである。要するに「つべこべ言わずに打て」(実際こう言った輩がいるとか)が本音だろう。
〇人の命と健康に関わるのに「つべこべ言わずに打て」と言う(又はそれと同等の態度を取る)のは極めて非人道的である。裏権力メディアは「反惑沈派」などと呼びさも特殊なイデオロギーの如く印象付けようとしているが、実際には「安全性が不明なものを接種させるな」という素朴な人道的主張に過ぎない。
〇正確には、厚労省所管の独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」のHPにmRNA惑沈「コミナティ筋注」の説明で「本剤は、本邦で特例承認されたものであり、承認時において長期安定性等に係る情報は限られているため、製造販売後も引き続き情報を収集中である。」と書いてある。https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210212001/672212000_30300AMX00231_B101_1.pdf
〇陰謀追及者や各分野で“通説”と異なる意見を持つ者は自分なりに検証・立証しようという姿勢を持つ場合が多いと思う。だが、メディアが流す“公式見解”や“通説”という名の権力・利権に好都合な説の盲信者は自分で検証・立証する姿勢に欠けており、異論を証明抜きで安易に「デマ」と決めつける傾向がある。
〇要するに“通説”の盲信者は「大勢」に胡坐をかいている横着者という事である。自分で検証・立証しようともしない。証明・反証する努力もせずに、安易安直に批判を「デマ」と決めつける。実に横着な輩。一般人ならまだ害は少ないが、こういうのがダイジン(「大臣」と書く値打ちもない)とは厄災である。
〇「死亡率が非常に低く、感染者の80%が軽症にもかかわらず、安全性もまだ分かっていない遺伝子ワクチンを国民全員に接種させる必要があるのか疑問だ」という正論を述べる医師達に対して「連中」呼ばわりする自称リベラル・大東社系サヨクを見かけた。これが「反権力」を装う大東社系の正体である。
〇米国のCSIS系勢力と、それと両建抗争を展開する大東社系勢力は共に「惑沈推進」という点では一致している。両建を判断する指標として以下の3つを挙げた事がある。①何を共通して推進するか。②共通して何に触れないか。③人脈的繋がりはあるか。上記の場合は勿論①に該当。両建の分進合撃で惑沈推進。
〇西洋近代科学と西洋魔術は元々の出所が同じと書いたが、それを証するエピソードがある。有名な経済学者のケインズがニュートンが書き残した膨大な手稿を落札した。内容は大半が錬金術に関するものだった。ケインズは「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなく、最後の魔術師だった」と述べた。
〇科学も魔術も観念の体系である。違いは再現性や反証可能性の有無、「仮説→検証→立証」という研究手続きの厳格さ等々であろうか。だが、逆に言うとこれらを無視すると大差が無くなる事を意味する。異論者には仮説を立てる事すら許さず、言論空間から排除しようとする連中は科学カルトと言ってよい。
〇西洋文明と言うと近代科学や啓蒙主義というイメージが強いのは、明治以後の欧化政策の影響だと思われる。西洋文明の他の一面、魔術・錬金術などの秘教を考慮しないと片手落ちになる。そういう思考の盲点が日本人をして西洋奥の院の正体を掴みにくくさせ、日本がいいようにやられてきた一因かもしれぬ。
〇先程述べた「反証可能性」という概念はジョージ・ソロスの哲学上の師匠であるカール・ポパーが唱えたとされる。皮肉にも、ソロス一味の思考と行動には冷静で科学哲学的な所は微塵も見られない。資金力と集団の力に頼る、ひたすら横暴な科学カルトタイプである。異論を排除する惑沈推進派はこのタイプ。
〇「精選版 日本国語大辞典」によると、「反証可能性」とは「科学の理論は、実験や観察の結果によって、批判あるいは否定され得るということ。」とされる。
https://kotobank.jp/word/反証可能性-363150
〇要するに「反証可能性」とは「科学の理論と言えるには実験や観察により批判又は否定される可能性がある事が条件である」という考えである。ソロス一味・惑沈推進派など似非リベラルに一番欠けている事では(笑)彼らは「批判」「否定」どころか疑問を持つ事や仮説すら排除する。反証以前の問題である。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1399818586072354816
(了)
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抜粋終わり
〇科学者は権力者に準じる存在と言ってよい。製薬会社との関係など利権関係や背後関係が厳しくチェックされなければならない。科学者の発言に「価値中立性」が担保されていると思い込むのは危うい。「科学」という体裁は全体主義の推進にも格好の口実を与える事がある。権力者と同様に厳しいチェックを。
〇西洋近代科学と西洋魔術は元々は同根の知的技術的体系である。「オカルト(秘教)」とは「隠された知」というニュアンスがある。素人が容易に近づけない科学知識はある意味特権者が独占する秘密知識に近い所がある。それらの知識と技術の体系を用いたオカルト支配体制は古代地中海世界の密儀に遡れる。
〇科学は魔術と違って知識が公開されていて再現性がある事が建前となっている。だが、科学者は科学者だけの閉鎖的な共同体を作っている。「パラダイム」という語は一般に普及しているが、元々はこうした科学者共同体で共有されている認識枠組みを指した。ギルド的な組織体は秘密結社と同質のものである。
科学も、一種の「魔術」なのだよね。
だいたい
>だが、科学者は科学者だけの閉鎖的な共同体を作っている。
てのが、その一端。彼らの中で行きかう言葉や思想が、そのまま公開されているわけではない。
時には「面倒な屁理屈」で、時には「隠語なり二重の意味を持った言葉の使用」とかで。
ある意味で「突き詰めた世界」に逝っちゃっているので、そうなる傾向があるのも当然だが、その自覚也認識が無いと、「魔術結社」そのものである。て今やそうなっているよね。
〇近代合理主義では「損失や労力を最小にして利益や快楽を如何に最大化するか」という功利主義的観点で最も目的達成に効率的なあり方を「理」とし、そこに合致する事を「合理」とする。近代以降の日本語の「合理的」「合理主義」とはそういうニュアンスが強い。「理」を専ら②の意味と捉えた結果である。
〇やはり「理」なる語は①道理・道義・規範と②法則性・傾向性・パターンという2種類の意味の違いを意識して用いるのがよいと思う。さもなければ、目的の為には手段を選ばないという冷酷非道な「合理主義」に歯止めがかからなくなる。西洋近代文明の覇道は、②に執着し①の「理」を無視する所に生じた。
〇「合理主義が駄目なら非合理主義」という短絡的な発想が出るのも、「合理」の「理」を専ら②の意味で捉えるからだろう。「理」を②の意味でしか捉えないと「合理」はとても冷たいものに感じられる。だが、①の意味の「理」には「思いやりを持つ」などといった事が含まれるので「冷たい」は当たらない。
〇科学では①と②を厳格に区別し①を②に混入させないようにする。「価値中立」と言われる態度である。研究姿勢としては妥当であるが、邪悪な目的の為になされる②の追求は①の観点から厳しく批判されねばならない。批判すべきなのは「合理」の「理」が②の意味に限定されて都合よく悪用される事である。
〇このように①の「理」と②の「理」が鋭く対立する場合がある。国際秘密力(裏権力)のマッドサイエンティストが最先端科学を用いて各種「黒い技術」を開発するのが、②の「理」の悪用の最たるものである。マッドサイエンティストは①を②の追求の障害としか思っていない。「マッド」たる所以である。
〇②の理の追求は世の中の役に立つ一方で邪(よこしま)な目的の為に悪用する事も可能なので、②の追求が矩(のり)を超えないようにするには①の理(道理)の観点が不可欠である。「合理」という言葉の「理」が専ら②のニュアンスなので、尚更「合理」という言葉を批判・吟味し検討しておく必要がある。
その通り。
ていうか、2だけでは、大局的な 「合理」を見逃したり、無視してしまうのである。から1で、補正なりブレーキをかけることが、必須なのである。
医療倫理で、2ばかりだと、「死んでもいいから治療する」ってなる。でも1があるから、それを防いで、より2の「合理的に病を治す」ってが進展できる・と言える。
でも西欧人やその信者の天皇とその信者は、カルト信者でアホなので、理解できない。
まああれだ・・・
みたいなもんだ。
嘘つきは、 天皇への道
人間を捨てて 天皇の臣民になろう。
それが、天皇制である。
人間は・・・・・
天皇を殺しきるのが 日本武士
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
だな。
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