リベラルデモクラシーは、夢だったのだ。夢をうつつで行う者は、バカである。
より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・
あのエリツィンが後継者に選んだのがプーチン (宗純)
2022-12-28 15:52:49
ホメイニ革命への干渉戦争を引き受けたイラク(汎アラブ主義のバース党)のフセイン大統領が、アメリカから格別の褒賞が貰える計算だったのは、ほぼ間違いない事実です。
ところが、
元CIA長官だった悪賢いブッシュ大統領に嵌められてクエート侵攻に踏み切り、褒美どころか逆に湾岸戦争でぼろ負けする。このイラク軍クエート侵攻では直前にアメリカ大使と面会して合意を取り付けたとフセイン大統領は考えた。8年間のイライラ戦争の褒美がクエート占領なのです。ところがフセインにゴーサインを出した女性アメリカ大使は1年間も雲隠れして公の場に出てこない。湾岸戦争で勝った勝ったの戦勝気分で浮かれている間にコッソリと復帰するが、そのころには極悪フセインの評判が定着しいた。
しかも、最後は息子ブッシュに無残にもなぶり殺しに会っているのですよ。今回のゼレンスキー大統領がイラクのフセイン大統領と同じ役回りなのですが、・・・
ただし、プーチン革命への干渉戦争は大間違い。そもそも、ソ連をぶっ壊したあの酔っ払いエリツィンが後継者に選んだのがプーチンだったのですから、絶対的な正義を掲げる革命家ではなくて、
堅実だけが取り柄の実務政治家か有能な官僚程度の人材です。ゲバラやカストロなど本物の革命家とは正反対の人物ですね。そもそも元ソ連共産党員のプーチンは左翼や共産党が大嫌いだったのです。悪く解釈すればロシアのナベツネ
そして今のドネツクのロシア系武勢力の中核が、第二次世界大戦当時のイタリアのパルチザンやフランスのレジスタンスと同じ左翼共産党だったので、プーチンとしてはロシア系「自国民保護」の建前から支援しなければならない義務があるが、ウクライナ共産党政権も阻止したいとの相反する方針で、それでドイツのメルケル首相と同じ「時間稼ぎ」を行っていたのですよ。
なんと、ミンスク合意は最初の段階からロシアとNATOが左翼共産党のドンバスを騙して時間稼ぎすることだけが目的であったとの不真面目なオチ
ロシア(プーチン)の正義、米NATOの悪逆非道を主張していたアジア記者クラブ(APC)
@2018_a
https://twitter.com/2018_apc
が一月ほど前に、ロシア連邦共産党について書いているが、その後明らかに態度が変わっていたDEEPLY JAPANもほぼ同じ態度なのですから、記事にしないだけで真相に気が付いたが、それとも近づいているのでしょう。単純な悪と正義の戦いではないのですよ。知られたくない醜い裏が隠されていた
アジア記者クラブ(APC)@2018_apc·11月17日
本稿は「見せかけの野党」と揶揄されてきた連邦共産党(CPRF)と戦争の関係、政府の軍事介入にどのように関与したのかを解説した論考である。ドンバス紛争に関するCPRFの積極的姿勢と商業メディアの報道に左右される左翼党の迷走の好対照にも言及する。
jungewelt.de
Kommunisten im Krieg
Die Haltung der KPRF zum Krieg in der Ukraine ist in der deutschen Linken kaum bekannt. Die Partei treibt die russische Regierung vor sich her
①ドンバス紛争に対するCPRFは2019年3月のモスクワでの抗議集会以来、ルガンスクとドネツクの「人民共和国」の承認を政府に迫ってきた。2014年2月にキエフで起きた違憲クーデターに対する南東部の幅広い抗議運動から生まれたと考え語を話す住民に食糧などを届ける101人道輸送隊を組織してきた。
②政府は「人民共和国」の独立を含めドネツクの地位について議論すらしない立場を取ってきた。CPRFはドンバスをソ連時代から最もソビエト的地域と認識し、その為に8年間の攻撃に晒されたと考え、2022年1月19日、政府に最終決断を迫り、プーチン大統領は1カ月の熟考の末、2月21日に承認した。
③CPRFは与党「統一ロシア」と違い、ミンスク議定書Ⅱ以降、政府と西側スポンサーはドンバスの地位について譲歩する気はないと早くから判断していた。2月24日の軍事侵攻はCPRFの提案ではないが、党内には即時停戦から特別軍事作戦支持まで複数の意見がある。
④CPRF議長ジュガーノフは9月13日下院で、特別軍事作戦と戦争の違いを「軍事作戦はいつでも終了することができる。戦争は、勝利で終わるか敗北で終わるかのどちらかだ。負けるわけにはいかない。には『総動員令』が必要だ」と述べ、その1週間後、プーチン大統領は部分動員を発表した。
⑤ジュガーノフは9月上旬、党機関紙『プラウダ』での国内情勢に言及し、政府の白々しさと対照的に、「輸出収入の減少と資本逃避が『国民の貧困化』を深刻化させており、極めて危険だ」と警告。30年に及ぶ社会経済政策の失敗の中で「戦略的経済部門の国有化と強制的な再工業化」の必要性を説いた。
⑥ジュガーノフは部分的な要求を押し通すために共産主義者を政府に参加させることを目的として「民衆の信頼に応える政府の樹立」を呼びかけた。その一方で9月20日、外交面では今、上海協力機構に「の4つの文明」の民族を集めていることに関して、プーチン大統領に謝意を示した。
⑦ジュガーノフ:の敵であるNATOの目標は「の断片化、分裂、完全な清算」である。従って必要なのは「政党の政治的、国家的、文化的所属に関係なく、全ての人を動員すること」である。今こそ、西側軍事同盟がに武器を供給するための『輸送インフラに強力な一撃を加えなければならない』のだ」。
⑧プロパガンダは「市民に直接向けられたものでなければならない」。語を母国語とする人は数多存在する。CPRFは国民と協力する取り組みを準備していた。軍事攻撃の政治的目標について国民に明確なメッセージを発していない政府とプーチン大統領の行動には大きな欠陥がある」と指摘する。
CPRFが戦争で無視できない存在であることが理解できる。注視する必要がある。 ドンバスは「ロシアとの結びつきが強く残り、共産主義の拠点があったの石炭と鉄の地区」とのブルジョワジャーナリストの洞察にも及ばないと左翼党の情勢認識を酷評。日本共産党レベルのお粗末さ。(了)
【写真説明】愛国心の動員。東部の部分動員や住民投票に関するイベント「We will not leave our people behind」で、CPRFのゲンナジー・ジュガーノフ党首(左端)と民族主義「自由民主党」(故ジリノフスキーが創設者)のレオニード・スルツキ党首(左から2番目)。2022年9月23日、モスクワ
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
プーチンの哲学・思想が、そもそも共産党とか左翼に合わない。
あと、西欧的な「変革志向者」でもない。
地道にロシアを立て直そうとしたら、革命的になってしまった。て思う。
で、反対にその理想にも燃えて・・というか西欧的な理想に燃えすぎて、自他を焼き尽くしたのが、近代西欧思想なり、20世紀くらいからのリベラルデモクラシーだった。
毛沢東もそれの劣化過激版のポルポトも、元来は人道主義的改革志向者にすぎなかったし。ナチスも一種の「西欧近代文明」だったのだ。
ネオコンも、まあ西欧王侯貴族や天皇家がパトロンになって悪用するのが主因だけど、まあ西欧近代思想の「設計主義」的な発狂も、その惨禍の一因だったよね。
日本で「改革・改革」と叫んでも、その改革の対象の状況や都合や長所などみずに「改革」の理屈を現実に押し付けるて、「温和なポルポト」や「食人趣味の無い天皇真理教」だったわけで。
まあ、天皇家が、ナチスだからね。
そういえば・・・
より
上記文抜粋{太字は私の編集}
・・・・・・・・・・・・
劉秀は女性を男性のように優れていると考えて尊敬するのではなく、男性とは違った女性性の中に尊いものを見ていたようだ。
もちろんこれは劉秀がフェミニズムのような思想を持っていたことを意味しない。劉秀は、理念から演繹する理想主義者ではなく、すべてを体験から帰納的に考える現実主義者である。劉秀はもともと世話好きで、人を支えることを何よりも楽しみとする人間であった。そのため家庭の中で男たちを支えた女性の行為を、人間の営みの中で真に重要なものと考えていたのである。劉秀は女性によるシャドウ・ワークをよく理解していたと言えるだろう。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
鄧禹の最大の功績
ここまで書いてみたが、実は鄧禹の最大の功績については触れていなかった。それは鄧禹が見い出して推薦した最高の人物のことである。鄧禹がわずか十三歳の少年のときに、誰よりもいち早くその異才に気づき友人となった人物、すなわち、光武帝こと劉秀、その人である。
「官につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」
格好いい仕事について美人の妻を持つ。楽しむことをモットーとする、悪く言えば軽薄で政治思想もない若き劉秀。
家では農耕に励み、作物を時期を選んで売ってはもうけ、学生時代は運送業を営み、あるいは親戚の税金を下げる交渉をするなど、もっぱら金儲けの好きな商売人気質。大志よりお金──これが当時の劉秀の姿であった。
この中国史上の異色の英雄である劉秀を、天下に皇帝として推薦したこと、これこそまさしく鄧禹のなした最大の功績なのである。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・
夢
劉秀は悪く言えば主体性がなく、周囲の期待を吸い上げて生きてきた。劉秀の生涯からは、彼自身の意志や願望がほとんど見えない。
劉秀はいったい何を望み、何を夢見て生きたのか。
劉秀は一貫して他人を喜ばせることで自分も喜ぶという人間である。劉秀の言葉には次のようなものがある。
「人とともに楽しめばその楽しみは長く続くが、自分一人で楽しむのは長く続かず無くなるものだ(楽人者其楽長,楽身者不久而亡。)」
劉秀は天性の世話好きであり、お節介な人間である。酒も飲めないのに宴会好きなのも、他人が喜ぶ姿を見るのが楽しいのである。自分自身で楽しむよりも、他人と楽しむのがよいというのは心からの実感であった。
家庭でも、家計を破綻させそうな兄の劉縯のため農業に努めて稼いだし、税金の減免交渉に出たり、姉の結婚相手を探すのに協力したりと、ここでも他人の世話ばかりである。長安での学生時代も同級生のために解説してあげたり、郷里から上京してきた人に情報を与えたりしていた。いい人づくしである。
侠客とつき合いがあり裏社会に通じているという裏の面があると思ったら、そこで行ったことも逃亡者を匿って逃がしてあげることだった。どこまでも困っている人を助けるのが何よりも好きな性格なのだ。
河北へ脱出したとき、自らのことを考えれば河北の有力者と連携し独立の準備をすべきなのに、そうせずに、王莽の新法で法律にかかって困っている人々を救済する作業を始めた。
王郎との戦いが終わったとき、敵に内通した者の内心を思いやって許してやり、銅馬軍との戦いの後は自分の命をかけて不安におびえる銅馬軍を安心させた。皇帝に即位すると兵士たちの家族との再会の願いを叶えるため奴婢の解放令を出した。隠者を招聘しても相手が拒絶すれば強要せずに、相手の志に従った。
皇帝になっても相手の気持ちを考えて喜ばせるという劉秀の行動原理は変わらなかった。
死に際しての遺言が「朕は百姓に益するところなし」という衝撃的な言葉で始まるのも、自分が他人に何ができるかということを常に念頭に置いていたことを示している。最後の瞬間まで他人に対して何をできるかを考えていたのだ。劉秀の言葉や行動には、常に相手の視点から見て考え、相手の望みをかなえるという思想がこもっている。そしてそれを自分の喜びとして取り込んでいくのが劉秀なのである。
この劉秀の性格をかつて馬援は、人にしてあげられることがあればすべてしてあげようとする人だ(極盡下恩)と評したほどである。
ただ人の望みをかなえることばかり考えて、人に与え続ける生涯を生きた劉秀は、逆説的にも世界のすべてが自分のものになってしまう。それも文字通りの世界帝国の支配者としての物質的なものだけでなく精神的なもの――国民からの厚い信頼、美しい妻と愛する家族、生涯変わらぬ戦場の戦士たちとの友情……。
しかしもちろん劉秀にとって何が本当に欲しかったものなのかは明白だ。
無数の押しつけられるように得たものの中で、ただ一つ、公言して自ら望んで得たもの。
ところがこのただ一つの願望を実現するには、信じられないほど大きなことを成し遂げなければならなかった。離ればなれになった陰麗華と再会するためには、皇帝になって郷里に帰る以外に道はなかったのだ。
陰麗華との息子である明帝劉陽は、母親思いでしばしば両親の夢を見た。そこでは劉秀と陰麗華がいつものように楽しく会話していたという(先帝太后如平生歓)。"歓"とは声を出してにぎやかに騒ぐことを言う。冗談を言うのが何より好きな劉秀と、時にはその冗談が嫌いと反発した陰麗華。二人がどんな愉快で楽しい会話をしていたか想像に余る、二人の仲睦まじさが偲ばれるエピソードである。
劉秀は、その夢を実現したのである。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
下手に理想を実現させるとか考えるよりも
てのが、実はもっと効率的に有効に、世界を変革できるのかもしれない。
あまりにリベラルデモクラシーは偉大でかつ傲慢で私利私欲でもってなされてきたのだ。それがリベラルの終焉の一因だろうね・・・
それの親戚の「共産主義・社会主義」をプーチンが敬遠するのは、已む得ないことと思う。
まあ、
天皇ってやつは「理念」だけあって、日本人の生活・伝統など、一切無いからね。
だから、前の戦争に負けても、戦争責任を取る気が一切なかった。
まあ「天皇」も、明治から「西欧近代文明」でその精華の一つの「ナチズム」だったのですよね。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように