日本を滅ぼす「水戸学バビロンシステム」
上記文抜粋
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粛々と身を切る
霊的知性とは、いつか自分の立ち位置や身さえ
切らなければならない厳しさを持ちます。
私が初めて強烈に「身を切る」思いになったのは、
「学校」がなぜできたのか?
を調べたときでした。
たしか、24・5歳だったかと思います。
大学在学中でなかったことは確かです。
学校は、子どもたちを奴隷にするトレーニング場・・・
その頃ネットはありません。
けっこうお堅い本「日本教育小史」に堂々と書いてありました。
教育がゆがめられているのではなく、
初めからの設定がそうだったわけです。
私は動揺しました。
富国強兵
殖産興業
そのレールに乗せるために、
工場で、兵役で、
上官の言うことを粛々とこなすため・・・
運動会も
修学旅行も
すべてその不随・・・
私の衝撃は、かなりのものでした。
「身を切る」
自分が夢みていた教育の動機と現実が
いのちから一番遠い、そんなくだらないものだったとは・・・!
今の時代、ある程度、霊性に目覚めた大人の方であれば
おそらくこの「身を切る」が次々とやってくるでしょう・・・
何といっても、人類がこれまで味わったことがない
「価値観」と「方向性」にシフトしているからです。
自分が信じていたもの
あなたが信じているものが
どんどんと刷新されていく時代です。
特に、近代に作られた、
教育
医療
政治
経済
法律
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でも、それでいいのです。
身は切られても、死にはしません。
時間はかかりますが、
必ず再生します。
この「身を切る」という行為は、
単に自分の価値観を破壊するものだけでなく、
魂が成長し、再生するためのプロセスです。
大御所も
小御所も
古株も
新株も
重鎮も
軽鎮も 全く関係ありません。
霊的進化においては、とても大切な厳しさだからです。
魂は生き通しです。
あなたが、あなたの本質さえ外れなければ、
必ずよみがえります。
ただし・・・
その一連の流れの際、
決して人について(憑いて)行ってはいけません。
たとえ神(仏)であってもです。
こういう大事な時だからこそ
人類である己、ひとりで粛々と行うのです。
大丈夫です。
人類の生命力はそんなに柔(やわ)ではありませんから。
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抜粋終わり
>ただし・・・その一連の流れの際、決して人について(憑いて)行ってはいけません。たとえ神(仏)であってもです。
禅家でいう「仏に会えば、仏を殺せ」だ。
自分の良心~自分である仏神~に照らし、そとの{神仏}と照応して、ただしければ、ついていけばいい。
それなく「神だから、仏だから」といって考えず感じずに「ついていく」のなら、それは仏魔・神魔に追従することになる。
これを読んで、水戸学ってカルト宗教を思い出します。いまだ「水戸学」は邪教・カルトに認定されてないのですから、日本人が天皇家と外資に皆殺しになるのです。
上記文抜粋
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水戸学国体論の国家観とマルクス主義の国家観
菅首相による日本学術会議会員の任命拒否問題。
日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は、早くからこの問題でスクープ報道を連発し、これがいかに重大な問題かを鋭く指摘してきた。敬意を表したい。その上でなお問いたい。かりに共産党が単独政権を取ることがあった場合、同じような問題は起きないのか、と。
思い出す例をあげれば、共産党員で唯物論哲学者として活躍された古在由重氏は、共産党を批判したグループを支援したという理由で共産党を除名処分にされた。古在氏が死去した際、商業新聞各紙がその学問的業績を評価して大きく報道しているのに、かつて一緒に活動していたはずの「しんぶん赤旗」紙上では何の報道もせず、黙殺していた。当時の私は大学生だったが、「これは人間としてダメだろう」と思ったものだった。
共産党に対立したというだけで、故人の学問的業績を否定し、なかったことにするようなことがあるのであれば、かりに共産党単独政権になれば、菅首相と同じことをやることは目に見えていると言わざるを得ない。
同じ党名の中国共産党がまさにそのようなことをしている。たとえば胡耀邦のような重要な政治家の業績は、中国史において完全になかったことにされてしまっている。どうしてそうなるかと言えば、マルクス主義のプロレタリア独裁理論や前衛党理論に問題があるのだと言わざるを得ない。
学問を国家が支配している中国の共産党国家に対抗するために、自らが中国のようになっていく。日本における今回の学術会議会員任命拒否事件も、中国の軍事的強大化に対して対抗しようとして、日本学術会議に軍事研究をさせようと、それに反対しそうな学者をあらかじめ排除しようという意図で行われたことだろう。日中が対抗すればするほど、お互いに似た者同士の醜悪な国家へと変貌していく。
日本の右派の日本会議とっても、中国共産党の保守強硬派にとても、自らが国家を乗っ取るためには、敵が必要であり、互いに互いを利用し合っている。つまり日本の右翼国体論者と中国共産党の強硬派は、互いに国家権力を掌握するために協力関係にあるパートナーとすら言えるだろう。いちばん不幸になるのは、両国の国民である。
この悪循環を断ち切るには、お互いの経済にマイナスでしかない軍拡競争の愚を認め合い、軍事費の歯止めない拡大に、両者合意のもとに、互いにブレーキをかけるしかないだろう。だいたい環境破壊で足元の地球そのものが滅びそうなのに、それを上回る脅威など他にはあり得ない。仮想敵国の脅威など、明らかに地球環境の破滅の脅威の前には些細なことでしかないのだから、いまは全人類的課題の解決のために、協調・協力することを優先し、お互いに矛を収めるしかないのだ。
冒頭に掲げた図は、水戸学のイデオローグである藤田東湖の思想的影響を受けて尊王攘夷の水戸学的国体論者になった薩摩藩士の海江田信義が明治になってから著書に書いた図である。水戸学国体論の目指すところを分かりやすく示している。国家は一つの有機体であって、天皇を頭として、その指令のもとに人民は手足として使役される。15年戦争期の日本などは、まさにこの図の通りだったといえるだろう。
権力の分立を否定する国家観である。こうした体制は、柔軟で合理的な思考をする良い指導者を得たときには、うまく機能することもある。権力を分立させなければならないというジョン・ロック以来の思想は、こうした体制が、指導者が間違った選択をしたとき、とんでもない暴走をすることがあるから、その反省に基づいて発展してきたのである。
ゆえに司法・行政・立法の三権だけでなく、学問や報道なども行政権力から独立していなければならない。研究機関や報道機関の人事権を行政に握られるなどということは、決してあってはならない。NHKという公共放送や、日本学術会議のような学術団体の人事に行政府が介入しているという今日の事態は、確実に海江田信義が理想としていた国家への接近である。
中国共産党がそれを行うのは日常茶飯であるが、それはマルクス主義のプロレタリア独裁の国家観が、水戸学国体論とあまり変わらないからだ。先ほどの海江田信義の国体論の図において、頭脳となっている「元首」を、前衛党としての「共産党」に置き換えれば、プロレタリア独裁の国家観とあまり変わらない。
マルクス主義においては、階級対立が廃絶されたプロレタリア独裁の権力において、前衛党の指導は無謬であるから、それを監視する学問や報道の自立性など認める必要もないということになる。おどろくべき幼稚な政治理論であると言えるだろう。
日本共産党が「学問や報道の独立を脅かすようなことは政権をとっても決してしない」と言うのであれば、それを確約する唯一の方法は、マルクス主義を放棄して党名変更することだと思う。
人間は間違える。ゆえに権力は分立し、お互いにチェックし合わなければならない。それを認めようとしなから、右派と左派は似た者同士だと言えるのだ。
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抜粋終わり
水戸学は、「多くの日本の庶民を細胞として扱う」のだよね。
だから「学校は、子どもたちを奴隷にするトレーニング場・・・」でなければ、ならなかったのだ。
奴隷以外では「日本人を手足・細胞」にはできない。
考えて「ダメ出し」することを許さない。
それが「天皇」=奴隷主 それが、天皇・・特に水戸学的天皇なのである、
ダメ出しなくば、指導者は実は存在できない・・・て3000年以上前から言われているのにね・・・
君主・上長に、意見・批判なければ、それは滅びるのだ。
それにくらべると・・
家畜ですは、家畜。日本人の家畜化。
そうそう特に「上官の言うことを粛々とこなすため・・・」て「無能な働き者」ですよね。
それが「経営者・指導者」になりまくって、天皇日本は衰亡し死滅し始めている。
だよ。
それは英国病の伝染以前に「学校教育が、無能な働き者を作るためのもの」だから。
学校教育で、子供頃から「無能な働き者」~家畜に、日本では魔改造されてきたのだ。
西欧の経済思想に日本の水戸学に、、両方の理屈を持って。
「日本人を家畜化して、日本の指導層の永遠の繁栄」を求めていたのが、天皇・・特に明治以降の「外資の総督に過ぎない天皇」
それがゆえに、誰も指導・統率する人間ができなくなり、天皇はじめ上長・指導者に諫言も忠告もしなくなった。
あとは「天皇」をはじめ、日本人が早急に消え去るだけが、日本人の確定した未来・・・・・天皇ある限りには。
逆に「天皇」を根絶やしにすると、日本人に未来は前途洋々でしかないのである。
天皇を根絶やしにして 日本人国家を作る
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように