日本人死滅。主因「空気を読むしか能がない」

空気を読む・忖度する・周りに気を遣う。


のが、日本人の優れたところ。


らしいけど、本当か?


「身の回りの空気」は読めて、国際情勢の「空気」は読めない。

空気を尊重して、過ちを放置して心中する。


てのが、日本人の失敗の典型で、未だにそれを是正する気も無い。


バカですは、空気読むしか能が無いから。


諸葛孔明がこう書いている。

・・・・・・・・

三国志 董和伝  より 諸葛亮の訓示

「そもそも職務に携わる者は、人々の意見を求めて参考にし、主君の利益を上げるように。

もしもわずかな不満によって人を遠ざけ、自分と意見の違う者を非難して検討しなおすことをいとうなら、仕事に欠陥を生じ損失を招くであろう。

異なる意見を検討し直して適切な施策ができれば、ちょうど破れ草履を捨てて珠玉を手に入れるようなものである。

とはいえ、人間は残念ながらそうすべててのことに気を配れないものだ。

ただ徐庶だけは、こうしたことに対処して迷わず、董和は職務にたずさわること7年、仕事上で不十分な点があれば、何度も考え直し、相談にやってきた。

仮にも徐庶の十分の一の謙虚さと、董和の繰り返し検討する態度に心をよせて、国家に忠誠を尽くすことができるのならば、私も過失を少なくすることができるであろうに。」

「昔は、はじめ崔州平とつきあい、しばしば欠点を指摘され、後に徐元直{庶}と付き合い、何度も教示を受けた。

先に董幼宰{和}といっしょに仕事をしたが、いつも言いたいことを遠慮なくいってくれたし、後に胡偉度と仕事に携わったが、たびたび諫言してまちがいをとめてくれた。

私の性質は暗愚であり、すべてを受け入れることはできなかったけれど、しかしながらこの4人とは終始気が合った。これも彼らの直言をためらわない態度を証明するのにたるものである」

・・・・・・・・・抜粋おわり


大賢者・大軍師と言われる諸葛亮でさえ

>たびたび諫言してまちがいをとめてくれた。

なのだ。

さらに

>もしもわずかな不満によって人を遠ざけ、自分と意見の違う者を非難して検討しなおすことをいとうなら、仕事に欠陥を生じ損失を招くであろう。


空気を読んで衝突を恐れていたら、これも仕事に欠陥を生じる。


インパールの悲劇の原因のひとりの牟田口中将が、敗戦後に

「察して止めてほしかった」

と。

アホか!だが、そもそも「忖度して、場の空気を乱さない」のを至高とする帝政日本社会では、当然起きる悲劇である。


ケンさんが


>忖度で動くということは、責任や命令の所在が不明確になるということであり、何か失敗や問題が発生したときも、個人の責任に課せられて問題そのものは解決しないことを意味します。天皇制の仕組みそのものですね。


と書かれているが「空気を重んじる」ってのがそれである。


宋名臣言行録で


「お互いの役所の欠陥・ミスを相互に黙認してたら、それこそ亡国への道」

と指摘されている。


空気 しか依拠するところが無いので、「空気」だけなのである。


今そこにある現実に向き合って解決する・・てのが一番大事で有効なのだけど。


なぜそうならないのか。


まずは「天皇」を始め指導者が一切責任を取らんのが、明治以降の帝政日本の社会制度。

未だに天皇は存在し、組織罰の法律も作られてない。


すべては「天皇とその皇族が無責任に居座れるために」

だ。


あと、その影響もあって、いい意味での「個我」が未熟なまま。

なので「空気を打ち破っても、過ちをとどめる」ことすら、「悪」になるし、当然にそんなこともできない。


「星野君の二塁打」が、そもそも「指導者がミスったら、だれが責任を取るの」ってのが抜けているのだ。

ましてや、天皇は国土を焦土と化し、国軍を降伏させ、万民に塗炭の苦しみを味合わせながら「責任?文学上のはわからん」


てそういうのが存在できるってこと自体が、天皇制国家は「精神疾患」である。


その「発狂空間」で発揮される「空気を読む」って行為が、まっとうに機能するとは限らない、KY同様に。









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