これは、本当に困ったことだった。でも本当は教育関係者が全員知的障害だからだろう。


上記文抜粋
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DCDは、極端に不器用で、日常生活にさまざまな困難さを抱える発達障害の1つです。協調運動の不具合で起こるため、診断がつかずに困難さを抱えたまま学童期を迎えることが多く、周囲からは理解されず、生きづらさを抱えているケースも少なくありません。

『』より、他の発達障害の陰に隠れがちなDCDの特徴について紹介。

前編記事:

「食べこぼしが多い」「お遊戯が苦手」…子どもに隠れた障害のサイン、見逃していませんか? に続き、小学校生活でDCDの特性が強く現れる実技系の科目についてお話しします。

学校でいちばんつらいのは体育の時間

どんなに頑張っても努力不足というレッテルをはられいじめへと発展するケースも少なくありません。

■味方の足を引っ張らないようにボールを避けるけんじさん

体育が極端に苦手なけんじさん(仮名)の例を紹介しましょう。

学校での体育の時間、特にサッカーなどの球技をするとき、けんじさんはいつもボールの動きを人一倍注視しています。一見、競技に積極的に参加しているように思えますが、よく観察すると、競技中は終始、ボールを避ける動きに徹し、常にボールがとんで来ない場所を予測しながら動いているようなのです。

「ぼくはチームの勝利に貢献できないので、せめてボールがとんで来ない場所を目指して動くことがチームのためになると思う」

極端な不器用さを抱えながらも、どうにかこの状況をのり越えようとするひたむきな姿勢が伝わります。チームメイトへの配慮や友だちとの関係性もみえてきます。

本来ならば配慮されるべき立場のけんじさんですが、周囲に迷惑をかけないように、またいじめられないように、繊細な気遣いで学校生活を送っているのがわかります。

他の教科と同じように、習熟度別の分け方、あるいはハンディキャップを設けるということを考えられないでしょうか? 以前、オランダの小学校を見学したとき、ある子どもが、「ぼくはいつもかけっこで最後だったから、皆よりもスタートを少し早くしてもらうことを提案したら、先生もいい提案だねとほめてくれたんだ」と自慢げに話していました。どんな子にも、楽しめること、目標がもてることは大事です。

けんじさんのような経験をした人は、実は少なからずいると予想しています。学生に聞いてみても「体育が苦手」というケースはけっして少なくありません。苦手意識を学生時代に克服する必要はないのですが、DCDのある子なりに、体を動かすこと、スポーツをおこなうことの楽しみを味わえるようにできないものかと思います。

「ふざけている」「とろい」というレッテルをはられる

学校では、体育をはじめ音楽、美術、技術・家庭科など、実技を伴う授業がおこなわれますが、DCDがある子どもは、こうした実技系の科目でつまずくことが多いものです。

国語や算数、英語などの科目には、特別な配慮を要する「学習障害」という概念が浸透していますが、実技系の科目では、なぜか配慮の必要性が認識されていません。

また、それぞれ子どもの習得度に応じた指導がおこなわれているとはいえないのが現状です。そのため、DCDの子どもは授業でとりのこされたままになっているケースも多いようです。

極端な不器用さがあるDCDの子どもたちにとって、実技系の科目はハードルが高く、習得の弊害となっています。特に体育の授業などでは、できないことを周りから理解されず、教師や大人たちからは「努力不足」と誤解されがちです。また、大人だけでなく子どもたちからも、「とろい」「運動音痴」「どんくさい」「ふざけている」などのレッテルがはられて、本人の自尊心が傷つくこともしばしばあります。

ここでは、体育の授業でおこなわれるいくつかの種目をあげながら、DCDの子どもが抱える「生きづらさ」を紹介します。

なわとびがとべない

なわとびは、上半身と下半身を別々に動かす、腕の回転運動と足の跳躍をリズミカルに組み合わせるといった難しい協調運動です。どれか1つの運動に集中すると、その他の運動の組み合わせがうまくいかず、「なわとびがとべない」ということになってしまいます。

なわを持って腕を回すときに、慣れていない子どもほど、肩を大きく動かす傾向があります。また、なわが足元に来たときにジャンプする、というのは頭では理解できるのですが、実際にタイミングよくジャンプするのは難しいようです。よくみられるのは、なわが上に上がるタイミングでジャンプをして、着地した足でなわを踏んでしまう、というとび方です。

なわとびがうまくとべない子どもに対してよく言われるのは、「なわとびができる子をみて、繰り返し練習しましょう」といった指導ですが、これは逆効果です。言われてもなかなかとべるようにならないばかりか、みんなの前で恥ずかしい思いをして、苦手意識も強くなってしまいます。

運動が苦手な子どもに対しておこなわれるアプローチ法としては、下図のような2つの方法があります。なわとびが苦手な子どもには、「課題指向型アプローチ」が向いており、段階を追って、少しずつ練習を進めていくのがよいでしょう。


「迷惑になりたくない」「目立たないように…」体育の授業で身をひそめる子どもたち。その生きづらさはDCDの可能性が DCD 発達性協調運動障害 不器用すぎる子どもを支えるヒント(2)後編 © 現代ビジネス

うまくとべない場合は、両手を上げて、なわを持った状態からスタートさせるとよいでしょう。なわが上にある位置からはじめることで、腕の力の入れ方やなわを扱うコツがつかみやすくなります。また、なわの動きを追いやすいので、ジャンプをするタイミングもわかりやすくなります。

なわを回すタイミングをつかむには、まずは片手でハンドタオルを持って手首の動きをみながら練習するとよいでしょう。

これができるようになったら、次に二つ折りにしたなわを片手で持って回してみましょう。なわがうまく回せるようになったら、今度はなわが下に来たときに、ジャンプする動きもつけてみます。

さらに、なわが上に上がるときに「くるり」、下に来たときに「ピョン」と声に出してみるとよいでしょう。かけ声の「ピョン」のときに、ジャンプのタイミングを合わせてみます。それができるようになったら、両手でなわを回してみましょう。

1回うまくとべたとしても、連続でとぶことは容易ではありません。

目標を決めるときは、実現できそうな回数を設定することも大切です。目標がクリアできれば、その日の練習は終わりとすることで、苦手意識をもたずに次につなげることができます。

小さな目標でもよいので、「できた」という成功体験を積み重ねることが大切です。

鉄棒・逆上がりができない

逆上がりは、鉄棒を利用した運動の基本動作で、体を鉄棒に引き寄せながら足を振り上げて、逆さの姿勢から回転して元の姿勢にもどる協調運動です。

逆上がりが苦手な子どもには、次のような様子がみられます。

・逆さになるのが怖い

・腕が伸び切ってしまい鉄棒から体が離れてしまう

・回転が途中で止まってしまい体が逆回転して逆さの姿勢にもどってしまう

まず、子どもがどこでつまずいているのか観察しましょう。

逆さになるのが怖い場合は、補助の人に足や背中を支えてもらい、倒立などをして、頭を下にして逆さになる体験をしてみるとよいでしょう。

腕が伸び切ってしまうケースでは、鉄棒に体を近づける練習が必要です。肘は軽く曲げ、脇はしっかり締めましょう。また、足は鉄棒の真下よりも少し前に出しておくとよいでしょう。足を蹴り上げると同時に、おへそを鉄棒にくっつけるように肘を曲げます。反動をつけようと足に力を入れすぎると、逆に鉄棒と体が離れやすくなってしまいます。力を入れすぎず、肘を曲げた状態にしておくことを忘れないようにしましょう。

また、体を鉄棒に引き寄せ、回転させるためには、腕の筋力アップも必要です。鉄棒を利用するのであれば、足をつかずにぶら下がったままで数秒間体をキープするのもよいでしょう。

さらに、目線にも注意が必要です。顎が上がり、空を見上げてしまうと首や体が反ってしまうため、鉄棒から体が離れやすくなります。目線はまっすぐ、常に鉄棒の近くをみるようにします。

回転が途中で止まってしまう場合は、足を蹴る方向が間違っていることが多いようです。

前方に向けて蹴ると体が前に行く力が働きすぎて、回転できないのです。どこに向かって蹴り上げたらよいか、目標にする場所を示すことで回転できるようになることもあります。練習するときは、上に向けて蹴り上げるように補助者が鉄棒よりやや後方に手を出して、目指す方向を指示するとよいでしょう。蹴り上げる軌跡をイメージしやすくします。

また、最初は回転するときに、補助者が背中を軽く押してあげると、回転することを実感でき、また成功体験をもつことができます。「次はできそうだ」という自信につなげることがなによりも大切です。

体育の授業では個人に応じた配慮を

体育の授業では、「体を鍛える」ことや、競争、試合を通じて「より高度な技術を身につける」ことが、目標とされているように思います。それ自体否定するものではありませんが、個々の子どもに応じた配慮が行き届いていないことも事実です。

スポーツが苦手な子どもは、学校の体育のイメージから生涯脱却できず、体を動かすことを避けることもあります。実際、授業や球技大会などでよくおこなわれるドッジボールでは、DCDの子どもが相手チームから集中して攻撃を受けることがあります。本人にとってはとてもつらい体験で、いじめと感じることもあります。

また、ボールを蹴ることが苦手な子どもは、ボールを投げること、捕ることへの苦手意識も強く、球技自体に不安や恐怖感をもっていることも少なくありません。このような場合は、他の子どもと同じ内容でいきなり授業をはじめるのではなく、ボールに触る、ボールを持って走ってみる、フォームを気にせずにボールを蹴ってみるなど、体育の特別支援教育があってしかるべきだと考えています。

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抜粋終わり

私もこれは本当に苦労したし、体育など逃げ出したかった。

逆上がりは今でもできないし。

でも、辛うじて、簡化24式太極拳は、一応できるつもり・・でも。


国語や算数、英語などの科目には、特別な配慮を要する「学習障害」という概念が浸透していますが、実技系の科目では、なぜか配慮の必要性が認識されていません。

日本の教育関係者{文科省も}が、実は全員知的障碍者ってのが正しいのかもしれない。

この程度の事は、バカでもわかるのに理解できない。
これを「知的障害」と言わずしてなんというのだろうか。
違うのなら「日本人分割統治&虐殺計画」ってことだろう。


学校なんぞ、「学校に適応できた」特殊な人間が、教える「刑務所兼奴隷製造工場」なのが、近現代日本。

そんなもの、期待するのも、アホである。


天皇の無い 蒼い空を取り戻す


慈悲と憐みに富む社会になりますように


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