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天皇と言う最古参のナチスに皆殺しになる日本人。


より

上記文抜粋
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政権と政治責任と「天皇無答責」問題の考察
「混沌堂主人雑記(旧題)」の最新記事が天皇論でなかなか興味深いので、少し考察してみる。
それは「政権と政治責任」という問題だ。
世界史的に見て、失政の責任を取った政権や王朝というのは存在するのだろうか、ということである。ほとんどは失政に乗じて起こった反乱軍の前に滅んだのである。その反乱軍もまた基本は権力狙いの私利私欲からの蜂起だろう。で、ほとんどは次の反乱で滅んでいく。
失政の責任を取った事例として唯一存在するのが「江戸幕府」の「大政奉還」だろう。つまり、世界史的な奇跡であるわけで、私はここに「日本人の基本的な真面目さ」を見る。それはまた「江戸幕府の根幹である幕藩体制では今の時代の趨勢に対応できない」ということを自ら認めた、「自分自身を知る」という叡知の行動であるわけだ。この行為によって明治維新での民間の被害がほとんどゼロだったことは言うまでもない。奉還後にも維新勢力に抵抗して出血した各藩は自分で勝手に傷ついただけである。
ここで、「自ら失政の責任を取った政体や政権はほとんど存在しない」という事実に戻ると、私は「天皇無答責」というのは実は非常に賢明なシステムなのではないか、と思うわけだ。ただしそれは「天皇は政治権力を持たない」というところにポイントがある。そこを理解していない天皇が出現して世間が争闘の巷になったのが「応仁の乱」である。(これは武家同士の争いに馬鹿な天皇とその弟までが後継天皇問題の件で両派の神輿にのって惨状を招いた事件である。)
その逆に、日本史における天皇の存在意義を明確に見抜いてそれを利用した(この「利用」に悪い意味を私はこめていない。国民にとって有益な判断だったからだ。)のがGHQが容認し米国が容認した「日本国憲法」の「象徴天皇」という位置づけである。
「天皇無答責」は「天皇は権力を持たない」ことと表裏の関係なので、混沌堂主人のように「そんなの意味ねー」とは私は思わないのである。権力を持たないのだから責任も無いのは当然で、あなたがある役職就任を提示され、「その地位にふさわしい権力は与えないが責任は取ってもらう」と言われてOKするだろうか。まあ、巨万のカネを与えられたら引き受けるかもしれないが、今の天皇家が豪遊散財しているという話は聞いたことがない。
なお、昭和天皇の場合は「君主としての天皇から象徴天皇への地位の引き下げ」と交換条件の「戦争責任における無答責」だと見ればいいのではないか。つまり無答責の前払いだとも言える。これが戦後の日本を社会混乱の災禍から救ったと私は見ている。下手をしたらソ連の革命のように巷が血に溢れたかもしれないのである。まあ、それで上級国民が生き延びた面はあるが、当時の上級国民を全部殺しても、別の上級国民が生まれただけだろう。

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抜粋終わり

結構理にかなっていますよね。

ただ「で、庶民は、そのまま泣き寝入りすべき」なのかね。

まあ、カラー革命って似非革命もあるし、終戦後は、プーチンも嫌う「ソ連型共産主義」か、それとも「天皇を残すか」って、「カレー味のウンコ」と「うんこ味のカレー」のどっちを選ぶかの究極の選択だったわけで。

残念なら、日本にはマンネルヘイムは居なかったのだよね。


ここで、「自ら失政の責任を取った政体や政権はほとんど存在しない」

これもほぼ正しい。

では、なぜに他国では「自己改善たる、政権の打倒・帝王の廃位」など可能だったか。

それはその国の社会に「革命ってありよね」って社会学的な知見が、一程度定着したからと言える。
「やっぱり、天皇が居ないと不安」ってのが、強くて、それ変る権威なり正当性を、日本人は作れなかったし、まあ地政学的ガラパゴスで、必要も江戸時代までは必要なかったと思える。

まあ、清朝の末期ぐらいになると中国でも「天子がいないと庶民が不安」ってことで、袁世凱と孫文が取引をしたようなものだから、それくらい「洗脳と、それなりに安定した社会」の合わせ技では、「革命」って発想は、必要ないか、究極の非常手段ってなるようだ。

なお、昭和天皇の場合は「君主としての天皇から象徴天皇への地位の引き下げ」と交換条件の「戦争責任における無答責」だと見ればいいのではないか。つまり無答責の前払いだとも言える。

裏の事情{731部隊の免責・原爆の起動装置の開発・英国元帥天皇}ってのが、まだ明白には見えないし{英国元帥天皇と英国領日本てのは、英国の資料にあるので、確度は結構ある}
その段階では、無難な対処だけど。

で、国内の「失政の責任」をどうなの?って話が消えない。

A級戦犯は、
1「海外の侵略の責任」で死んだのか?
2「天皇の代わりの処刑」なのか?
3「敗北して万民を殺した失政の責任」での処刑なのか?

1なら、国民に一切責任も取ってないし、国民など草に過ぎないってことの証左。
2なら、首相や大臣の任免の責任もあるので、これも誤魔化しに過ぎない
3なら、2と同様で、これも天皇にも責任がある。

無答責なら、そもそも「天皇の印璽」に何の価値也意味があるのか?なら、押さなくても、勝手に決めても問題ないよね。

天皇は、命令権者ですよな、無答責者でも。

より

上記文抜粋
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大日本帝国軍のあり方を見てみよう。大日本帝国憲法の記載はシンプルだった。
天皇は、陸海軍を統帥する。(第11条)
日本臣民は、法律の定めるところに従い、兵役の義務を有する。(第20条)

ここから分かるのは、天皇が唯一の統率権(軍事大権)を有することと、主権を持たない臣民が兵役義務を負っていた点だけであり、軍隊が誰のために何を目的として設置されているのか分からない。

・・・・・・・中略・・・・・・

朕は汝ら軍人の大元帥である。朕は汝らを手足と頼み、汝らは朕を頭首とも仰いで、その関係は特に深くなくてはならぬ。朕が国家を保護し、天の恵みに応じ祖先の恩に報いることができるのも、汝ら軍人が職分を尽くすか否かによる。国の威信にかげりがあれば、汝らは朕と憂いを共にせよ。わが武威が発揚し栄光に輝くなら、朕と汝らは誉れをともにすべし。汝らがみな職分を守り、朕と心を一つにし、国家の防衛に力を尽くすなら、我が国の民は永く太平を享受し、我が国の威信は大いに世界に輝くであろう。

ここから分かるのは、天皇は唯一の国家守護者であり、軍隊は天皇の守護責任を補佐するための道具であるという考え方だ。その前の文では、長期にわたって武家に預けていた(奪われていた)軍事権が天皇に帰したことを受けて(明治維新)、二度と軍事権が他者に渡らないようにするという誓いが立てられている。
これは近代絶対王政の考え方で、王権神授説に基づき天皇が統治権と軍事権を占有するとともに、国防の責務を負うというもので、臣民は天賦の軍事権を占有する国王の責務を全うする道具として兵役徴集されることになる。言うなれば、「人民のものは王のもの、王のものは王のもの」というジャイアニスムである。

・・・・・・中略・・・・・・

話を整理すると、明治帝政下では、無答責(責任を問われない、憲法第3条)の天皇が国防の義務を有しつつ、軍事大権を占有、帝国臣民は天皇が負っている義務を全うするために奉仕すべく義務兵役が課されていた。つまり、天皇=国家であり、臣民はこれに奉仕する道具に過ぎず、帝国軍は天皇の私軍であると同時に国軍という位置づけだった。例えば、日露戦層の開戦詔書には、
朕茲に露国に対して戦を宣す。朕か陸海軍は宜く全力を極めて露国と交戦の事に従ふへく朕か百僚有司は宜く各々其の職務に率ひ其の権能に応して国家の目的を達するに努力すへし。

とあるが、要は「朕(天皇)はロシアに宣戦布告したから、朕の陸海軍は国家目的を達成するよう全霊努力せよ」ということである。第二次世界大戦も同様で、天皇の名において宣戦布告し、天皇のプライベート・アーミーが全アジアを廃墟と絶望の淵へと追いやったわけだが、天皇が戦争責任に問われることはなかった。

・・・・・・・中略・・・・・・・・・

以上で重要なことは、大日本帝国憲法は西欧の絶対王政に倣って天皇に軍事権と外交権を帰属させた。これは欧州の法律解釈に倣えば、天皇が国防義務を担い、それを果たすために軍事権と外交権を有するということになる。だが、実際の運用については輔翼者の助言の下に駆使するとされ、外交権については外務大臣、軍事権については参謀総長などが輔翼者となった。そのため、天皇は最終責任を負わず、輔翼者は天皇に対して責任を負う立て付けとなった。
ここで重要なのは、輔翼者の責任はあくまでも助言者としての責務であり、国防の義務自体は天皇にあるということである。
敢えて補足しておくが、戦前の法体系において国防の義務は天皇にあって、臣民は義務を担っておらず、天皇が果たすべき義務に対して忠実に従うことのみが求められた。それが特攻のような自殺攻撃の根拠となっていく。

・・・・・・・中略・・・・・・・

そのため明治法制下では、失政の責任を問うシステムが存在せず、日本市民が革命を起こすか、外国勢力による処断を待つことしかできなかった。
連合軍司令部(GHQ)は、日本で共産革命を起こさせないために、同時に休戦条件(ポツダム宣言)を履行するために、敗戦の責任者を自ら処罰するという選択を行う。根源的には、日本政府あるいは国民が自ら処断すべきだったが、明治日本にはその仕組みも概念も無かったため、放置することはできなかっただろう。

・・・・・・・中略・・・・・・

現在のところ、自民党を中心に憲法改正の主張が高まっているものの、仮に「自衛隊は憲法9条二項に違背しない」旨を書き加えてみたところで、「国防の義務と責任は誰が負うのか(天皇か国民か)」という大命題は残り続けることになる。そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。
にもかかわらず、国連は機能不全、米軍の撤退は時間の問題、中露韓台とは領土紛争を抱えているという日本の安全保障環境は危機的状況にある。
やはり明治帝政はもはや詰んでいるとしか思えない。

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抜粋終わり

戦前の法体系において国防の義務は天皇にあって、臣民は義務を担っておらず

これ大きいよね。

天皇ために死ぬのが義務で、国を守るのは義務では無かったのだ。ってやはり「民は草」

もっというと、天皇すら国土・国民を守る義務がない。ってのが天皇制の根幹にあるのだよね。


まあ、天皇はなんせ「責任取らん」もの。責任取る奴が、一番偉いわけだ。
それがいない=国家のしての体が無い。てことで、日本列島は最低でも150年は天皇家の植民地でこの70年は、天皇家と外資の人間牧場だったってわけで。

ともわれ、これも「日本の社会学的なレベルの低さ」が大きな原因でもある。

まあまだ明治初期の方が「天子様とは言え、叛旗候」って反学校・反徴税の一揆があった。

レベルの低劣化と、ほねぬきで「唯一の統治権者」が、責任を放り出しても、問うこともできる知能も識見も失ったのが、明治以降の150年の外資の侵略の精華だった。

まあ


だけど、70年経ってそれも消えた。

あとは、自然に日本人が死滅するだけだろう・・・。

追記

ところが、明治帝政においては、現代日本の「自衛隊法」やロシアの「国防法」のような根拠法や基本法が存在しないため、法律に根拠を求めるのも難しい。

これって、如何に明治帝政の「社会学的レベルが低いか」ってこの傍証になると思う。

多少、それが「天皇が象徴」ってことで、「こりゃ足りない」ってことで、「自衛隊法」を戦後は作った。

て、この程度のことも理解できない、低レベル{っていっても私よりもはるかに賢いけど}連中が、明治帝政を建設したのだから、まあ普通に「外資によるクーデター」が明治維新だよね。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

追記


天皇を、恨み・憎み・怒る ことだ。

でも過ぎると、またこれも癌の元になる。

が、少なくとも、現時点のように無防備に殺されるよりも長生きできるし、対処することもできる。


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