左伝の良さげな話の。
左氏春秋 岩波版 より
上記文抜粋
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襄公 十四年
国君は、神の祀り手であり、民の仰ぎ望む者です。
もしも民の生活を困め、祭祀をなおざりにすれば、人々の望みは断たれ、社稷の神は祀り手を失います。
こんな{国君}は無用ですから、追い払われるのが当然です。
天が民を生じその国君を立てたのは、民を統治して本性を失わせぬためです。
国君がいてそれに補佐を設けたのは、国君を教導して度を過させぬためです。
そこで天子{の輔佐}には公が、諸侯には卿があり、卿には分家が、大夫には弐宗{次子の家}があり、士には朋友が、庶人・工・商・雑用係・牧人にもみな親近するものがいて、それぞれを輔佐し、善行があれば褒め、過失があれば正し、災難があれば救助し、失敗があれば革めさせるのです。
周王より以下には、それぞれ父兄子弟がいて、政治の得失を指摘し欠陥を補います。
史官は記録を作り、盲目の楽師は詩を作り、楽工は箴言を誦します。
大夫は意見を述べ、士は意見を伝え、庶人は誹謗し、行商人は市場で{議論し}各種工匠は技芸を献じます。
・・・・中略・・・・・・
正月孟春という時期にこれが行われるのは、常規からの逸脱を諫めるためです。
深く民を愛おしまれる天のことゆえに、一人{の君}だけを民の上にのさばらせて放恣を許し、{民を蔽い包容する}天地の本性を自ら棄て去るはずはありません。
きっとそんなことはなさまいと存じます。
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抜粋終わり