幕府など江戸初期にはなかった・・・徳川という日本王がいた・・・天皇・・・それはちょうどローマ法王みたいなものだった・・
より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
以下の呟きがきっかけかも[後述]。
西暦(新暦)1月1日は特別な日ではないとみなして行動するのが、革命を目指す将軍未満の在り方なのでは?
私は西暦(新暦)1月1日は特別な日だとみなしてないから、特に呟くことがないからツイートしてない。
それと、「幕府」という語は、江戸時代には使用頻度が非常に低い語であり、幕末に後期水戸学によって広まり一般化したことについてはどう考えているんだろうね。徳川政権は「公儀」と呼ばれていたよ。
後期水戸学の学者が「幕府」って言葉を使った理由は以下の通りらしい。
”
なぜ彼らが「幕府」という語を用いたのかというと、徳川政権があくまでも京都から任命された「将軍」の政府であることを強調するためである。武家政権はしょせんは京都の権威に従属しているべきものだと位置づける、やや軽く見る意味あいを含んでいたのである。
”
軽んじる表現かあ。何も考えずに幕府って言うとまずいんだな。
https://x.com/prapanca_snares/status/1874015661414113589
”
それは、天皇が「日本」の歴史を通じて唯一の正統な主権者であり、徳川氏はせいぜい天皇から「委任」されていたにすぎないという、江戸時代の始めには存在しなかった歴史像と結びついていた。ある意味では、「幕府」というのは皇国史観の文脈を背負った概念なのである。
”
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
幕府ってのはそういうことだよね。「天子の権限を委譲され、それを執行する」軍隊の権限のありようを示したもの。
そんなものは、普通に考えると、曹操も諸葛孔明も「幕府」を開いていたのだよ。「仮節」とか「使持節」とかいって、天子・皇帝の権限を「使える」ってことで、政治を行っていた・・てことで。
でも、日本で「江戸政権」は「ご公儀」ってことで「政権・国家」てのの言い換えで。戦国・安土桃山・江戸初期に「日本国王・日本皇帝」って征夷大将軍が呼ばれていたが、それが正しかったわけで。
でも「将軍は、天皇の手下に過ぎない」て明の見方も、間違いではなかったわけだ。中国・朝鮮半島は、「革命」ができるほどに、「人文社会学」が発達してそれを用いれる人も数がいたからね・・・その辺も「遅れている」から、中国・朝鮮半島に対して当時は「明・朝鮮は進んでいる」って当時の日本人の認識だったし。
そう考えると西洋文明を「形而上学は、日本以下」とみていた、当時の日本人は、明治維新で狂わされた
維新志士や日本人よりも、まともだったわけで。
天皇を根絶して 日本人国家を作る
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように