五代前から、売国奴の天皇家と・・・



韓国軍事独裁政権KCIA下部組織の反日破壊的カルト宗教「統一協会」とズブズブの自民党政府や公安警察は半世紀以上も悪事の数々を見逃していた。(★注、もちろんマスコミも見ざる聞かざる言わざる「知らぬ存ぜぬ」で押し通す)


孫崎リツイート

①は思想の良し悪しは別として考えを変えなかった為に処刑された人で②はGHQに媚び諂い付け届けをするなどして延命を図った面々というところでしょうか?

②は読売新聞の正力松太郎もいましたね。GHQはトルーマン大統領誕生で主導権がGS (民政局)からG2(参謀2部)に移行、反共政策になったとされます。
敗戦利得者としてGHQと司法取引したんでしょうね。

東條英機と反対に釈放されたA級戦犯たちは、公開されたCIAリストに載ってますね。なんらかの約束をしたから、死刑と反対に釈放ですよね。リスト以外、一切公開してない(公開出来ない)から考えると深い深い闇ですね。
日本の右翼って、初めから米国傀儡‼️

オシッコチビりそうになって、もとい、震え上がって「なんでも米国様の言うこと聞きます」って、魂売ったんだよね。 自分の魂だけじゃなく、日本とそこに生きる人々の幸福を、自分の命と引き換えに米国に売った岸信介たち。国賊。


① 日米開戦後の1942年、岸は軟禁中の米国大使、ジョセフ・グルーをゴルフに招いた。二人はそれ以来、友人になった。岸が戦後、巣鴨から釈放されたとき、グルーはCIAのフロント組織、「自由ヨーロッバ国民委員会」の初代委員長だった。
② 岸は巣鴨から釈放されると、まっすぐ首相官邸に向かった。官房長官の弟、佐藤栄作がスーツを用意して待っていた。「なんかヘンだね」と岸は佐藤に言った、「いまやわれわれは民主主義者だ」
③ 岸は「ニューズウイーク」誌の東京支局長、ハリー・カーンから英語の手ほどきを受け、米国の政治家を紹介してもらった。カーンはアレン・ダレスの親友で、CIAの対日パイプになった人物だ。
④ 1954年5月、岸は東京の歌舞伎座で政治家として復活を果した。岸は歌舞伎座に、米国大使館でCIAの情報・宣伝担当をしていたビル・ハチンソンを招いた。
それは岸の政治的な劇場となった。アメリカの後ろ盾があることを公的にアナウンスしたものだった。  
⑤ その後、1年にわたって、岸はハチンソンの自宅の居間で、CIAや米国務省の担当者と秘密裏の会合を続けた。ハチンソンはこう証言している。
「彼(岸)は明に、アメリカの少なくとも暗黙の支持を欲しがっていた」。この会合で、その40年間の日米関係の土台が築かれた。  岸は支配政党の「自由党」を躓かせ、名前を変えて再建し、それを運営したいと言った。
彼はまた、日本の外交をアメリカの欲望とフィットするかたちに変更することを誓った。その代わり、米国の秘密の支援がほしいと岸は頼んだ。
⑥ダレスが岸に会ったのは、1955年8月のことだった。ダレス国務長官は、一対一で岸に、支持を期待していると言った。
以上まだまだ続くが後は転載もとで


アメリカが仕組んだ日本(天皇制)への露骨な呪縛 次期天皇(現上皇)誕生日だったA級戦犯処刑(12月23日)
『昭和23年冬の暗号』=猪瀬直樹・著 橋爪大三郎評
2021/8/7 毎日新聞 (中公文庫・814円)
猪瀬氏は三○代の女性から手紙を受け取る。「ジミーの誕生日の件、心配です」。偶然見つけた祖母の日記の末尾の言葉だという。猪瀬氏はさっそく謎解きに取りかかる。

祖母は子爵夫人。戦時中から昭和23年までの日記だ。夫人の子息(女性の父)は皇太子明仁殿下御学友。空襲を逃げ延び、食糧難に苦しみ、生活能力のない夫に倦(う)み、戦後を生き始めた夫人の前に、占領軍の将校が現れる。GHQ民政局のケーディス大佐。日本国憲法の生みの親だ。

日本国憲法の生みの親のGHQ民生局ケーディス大佐の愛人になった子爵夫人の手紙にある「ジミー」とは明仁(あきひと)皇太子(現上皇)である。

あざとい日付けの符号

東条英機を処刑しヒロヒト天皇を温存したいマッカーサー。新憲法と東京裁判もその画策の一環だ。
絞首刑になった東条英機などA級戦犯の起訴は4月29日。昭和天皇の誕生日だ。
東京裁判が開廷した5月3日は、新憲法が施行された憲法記念日。東条英機以下7名の処刑は12月23日早朝、皇太子明仁の誕生日(後の天皇誕生日)だ。ジミーこと明仁の誕生日に処刑がある。そう伝えて大佐は去った。戦争の罪科を毎年思いだすようにとの暗号だ。

(抜粋)2021年09月02日 | 政治・外交と天皇制 いとう?黄昏の帝国の祟りと呪い

論理的に判断すれば日独伊三国同盟と日本降伏のヒロヒト会見の二つはbefore and after 一体不可分の関係

1945年の歴史的なアメリカ占領軍のダグラス・マッカーサー元帥と日本の昭和天皇の会見の日付が偶然にもその5年前の日独伊三国同盟締結の記念日だった事実ですが、何故か日本のマスコミも歴史家も触れたく無い。ところが、たぶん、二つの日付がピッタリ一致していた不思議なこの事実こそが一番大事な意味を持っていると考えた方が辻褄が合う。
(★注、
単なる偶然の一致だったなら、今のようにマスコミや有識者の全員が必死で隠す必要が無いのである。日独伊三国同盟とその5年後のマッカーサーとヒロヒトとの会見の二者は必ず一つの例外も無く別々に論じられていた)

1946年(昭和21年)10月29日、「修正帝国憲法改正案」を全会一致で可決した枢密院本会議

主権在民の新憲法の実質的な第一条は戦争放棄の9条

現行の日本国憲法の最初の1条から8条まで全部が政治的な意味を持たない天皇条項である不思議ですが、これは主権者が天皇一人だけの絶対天皇制の大日本帝国憲法の条文の修正案(条文の書き換え)だったからに過ぎない。 

何処の国の憲法でも一つの例外も無く1条には国家にとって最も大切な事が書いてあり、明治憲法では第1条の天皇主権、第2条の皇位継承、第4条の統治大権、第10条 の制大権、第1条の統帥大権、第13条の外交大権、第14条の戒厳大権など第一章が丸ごと全部が天皇条項だったのである。

1946(昭和21)年6月25日に帝国議会に上程された憲法改正案は、4か月にわたる両議院の審議を経て、10月6日、衆議院において最終的に可決された後、枢密院に再諮詢され、同月29日、可決、上奏裁可を経て、11月3日、「日本国憲法」として公布された。

現在の日本国憲法は、それ以前の大日本帝国憲法の改正案として提出され、正式な帝国議会の形式に従って公布され、 1947年(昭和22年)5月3日に施行されていた。(5月3日は憲法記念日として祝日になる)

日本国憲法が公布された11月3日(文化の日)は大日本帝国でも明治 天皇の誕生日の天長節として大事な祝日だった(★注、これは偶然重なったのではなくて、天皇の権威を利用する目的でアメリカ占領軍が意識的に二つの日付が重なるようにしたと思われる)2018年09月27日 | 社会・歴史 日英同盟→日独伊3国同盟→日米同盟

・・・・・中略・・・・・・・・・

劇的変化の世界経済。少しも変わらない(デフレ)日本 
世界中の国々が何とも不可解な2月24日ロシア軍ウクライナ侵攻の不思議な騒動での胡乱な対ロシア経済封鎖での、ハイパーインフレ発生で大打撃をこうむり大幅マイナスになる中、30年間デフレ経済で穏やかに死につつある日本だけは全く同じ数値(墜落寸前の超低空飛行)だったのである。

アメリカは当時世界の覇権を狙うだけの実力を持っていたドイツをww1とwwⅡの二回も叩いて屈服させた。ところが1945年の第二次世界大戦終了では即座に今までの同盟国ソ連を相手に冷戦を開始している。ところが、ソ連崩壊の1991年後には同じように当時世界第二のGDP値の同盟国の日本を標的にした経済戦争を開始していたらしいのである(★注、日米委員会など、忠実にアメリカの言う通りにすると、ますます日本が悪くなる一方)冷戦崩壊から20年目の日本(初めての債務超過)  
日米戦争開戦70週年 未だ終わらない戦争の負の遺産

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抜粋終わり

まあ、150年売国奴の天皇だから、それを補翼する自民党も、自動的に売国奴。

おじいちゃんの代からCIA とナオライオンの歌で、安倍晋三氏


まあ、天皇家の「明治以降は売国奴」にくらべたら、マシかもしれんな。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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