天皇は、ナチスだよ、やはり・・・

より

上記文抜粋
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いつもの帰り道で、なぜ知的障害がある青年が警察官に組み伏せられて命を失ったのか 支援者が事件の映画を無料公開

知的障害のある青年、安永健太さんが帰宅途中に警察官5人に組み伏せられて死亡した事件から15年。事件を風化させまいとつくられた「健太さんの会」がドキュメンタリー映画を作りました。「まずは知ってほしい」とYouTubeで無料公開しています。

いつもの帰り道で、なぜ知的障害のある25歳の青年は命を落とさなければならなかったのか。

2007年9月25日、佐賀市内で自転車に乗って帰宅中の安永健太さん(享年25歳)が、不審者と間違われて警察官5人に組み伏せられ、死亡した事件から15年。

事件を風化させまいと作られた「安永健太さん事件に学び 共生社会を実現する会(健太さんの会)」が新たにドキュメンタリー映画「いつもの帰り道で 安永健太さんの死が問いかけるもの」(今井友樹監督)を制作し、12月8日からYouTubeで無料公開を始めた。

警察官らは裁判で無罪となった。

「健太さんの会」は警察官を無罪とする根拠となった法律「警察官職務執行法(警職法)」を改正を目指しており、「まずは一人でも多くの人にこの映画を見てもらい、事件のことを知ってほしい」と呼びかけている。

・・・・・・・・中略・・・・・

健太さんは心臓が停止し、救急搬送された病院で死亡が確認された。その体には100ヶ所以上の傷が残っていた。

しかし、警察の停止要請に従わず、言葉を発しない状態が警察官職務執行法で「保護」の対象となる「精神錯乱者」とみなされ、警察官の行為は適正な職務執行として認められた。

刑事裁判では無罪となり、遺族が起こした民事裁判も警察側の勝訴で終わった。

「『障害者は外に出すな』『親が息子を殺した』と言われたように感じた」

後ろ手に手錠をかけられてうつ伏せになった健太さんの足を、警察がさらにロープで縛ろうとしているうちに、健太さんがぐったりし、顔面蒼白になり失禁、警察が慌てて心臓マッサージを始めた記録も明かされる。

孝行さんが病院に駆けつけた当初、警察は「健太さんは薬物をやっていませんでしたか?」などと尋ねてきて、知的障害者だと認識していなかったという。

・・・・・・・中略・・・・・・

「亡くならないまでも、警察官の無理解で障害者が逮捕されたり、それによってトラウマが残ったりする事例はたくさんあります」

辻川弁護士が代理人を務めたものでは、2015年10月、兵庫県で重度の知的障害と発達障害がある男性が放火を疑われて、同意がないままに男性の口の中の組織を取ってDNA鑑定をしたという事件がある。

裁判の結果、県警が男性のDNAの記録を抹消し、今後は障害に配慮した捜査を行うことを約束することで和解した。

「彼は感覚過敏があるので、口腔内からDNAを無理やり取られたことがトラウマになり、あとでフラッシュバックに苦しんでいます」

辻川弁護士はこう訴える。

「警察官らの無知、無理解、それに基づく障害者への人権軽視が、健太さんの尊い命を奪ったのだと思います。私たちは健太さんのような事件を二度と起こしてはいけない。この問題を風化させてはいけない、この教訓を今後に活かしていかなければいけないという思いでこの映画を制作しました」

一人ひとりの無知無理解が差別や偏見を助長した

NPO法人「日本障害者協議会」の藤井克徳代表は映画の中でこう語る。

「まだまだ障害者は地域で生きづらい。まだまだ偏見もあるし、無理解も蔓延しています。改めて社会のありようを問うているのだということ。そのことをこの事件から学んでいく必要がある」

・・・・・・中略・・・

健太さんの会から依頼を受けてこの映画を撮った今井監督は、「僕自身、福祉や障害に関わっていない人間で、無知無理解な社会で生きている人間の一人としてこの問題に取り組みました」と語る。

撮影中、父親の孝行さん、弟の浩太さんの話に耳を傾けていて気づいたことがある。

「健太さんの思い出話をする時はすごく柔らかくてあったかい雰囲気なんです。それが事件や亡くなった後の話になると、強張るような硬い表情になる。それが同じ人の中にごちゃごちゃになって、15年経っても残っている」

今井さんはこれまで、電車やバスに乗っている時、大声を出す知的障害者を見かけると、怖くなったり、見て見ぬふりをしてきたりして、遠巻きに眺めてきた自分に気づいた。

「今回、いかに自分がその問題を避け、知ろうとしなかった自分が差別や偏見を助長させ、それが総じて社会になっていると、構造的に問題を見ることができました。知らない人にもこの問題を知ってもらうために映像を見てもらいたい」

弁護士が最高裁で負けても諦められない事件

藤岡弁護士は最後にこう強調した。

「僕ら弁護士は、『最高裁まで行って負けたんだから仕方ないね』と諦めている事件はたくさんあります。でも、この事件に関してだけは、弁護団員全員がこれは絶対に諦められない、ということで今も取り組んでいます」

「全ての国民の人権に関係する警職法の大きな問題を炙り出しているこの事件が、ほとんどの国民に知られていない。映画を通じて、ぜひこういうことがあると多くの人に知ってもらいたいです」

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抜粋終わり

一介の市井の障碍者が、司直になぶり殺しにされた。

それを国家は過ちとは認めない。

ふと思うに、麻生太郎氏や故安倍晋三氏は、かなりの確率で学習障害だ。それを麻生や安倍のアホがアホな政治をしているときに、「漢字がまともに読めない」とリベラル系の人士すら、嘲笑した。
無論、東大や一流大学出身のエリートも、それを馬鹿にしている。政治の愚かさでなく、漢字を読めないことを。

ようするに、日本~天皇カルトは、ゴールデンバウム王朝で、ナチスなのだ。

 ルドルフは社会ダーヴィニズム主義者でしたが、同時に狂信的なまでの復古主義者でもありました。
 遺伝的に優秀とされた人物は、彼により貴族に叙せられた事は先に触れましたが、その全てが白人で、なおかつ古ゲルマン風の姓を与えられているのです。

 こうして見ると、彼は人工的手法を非常に嫌い、それこそが人類種の弱体化を招いていると本気で信じ込んでいた事がうかがわれます。
 高度過ぎる文明やその利器を排除し、出来得る限り自然状態を再現、もしくは復活させる。
 その上で、本来の適者生存や自然淘汰を働かせ、個体の優劣は自然のふるいに決めてもらうべきである。
 その試練を経て初めて、真に優秀な者と劣等な物が判明し、前者を優遇しその遺伝子を繁殖させ、後者の遺伝子は発見次第、この世から削除する。

障碍者は、無条件に「アホ」と軽蔑される。

いま、外部の目で、一応「障碍者に優しく」など言っているが、外部の目が消えると「天皇や国家の役に立たない障碍者は死んでしまえ」

てが、天皇制社会の基本道徳に通俗道徳の基本の優生思想なのである。

 通俗道徳が支配する社会とは、「努力が必ず報われる」という建前のもとで、勝者と敗者が存在する社会です。しかし、個別の人生1つひとつを取りあげてみれば、そこには多くの偶然が介在しますので、実際には努力が必ず報われるという保証はありません。それにもかかわらず、人びとは、自らが通俗道徳を実践したことを証明し、社会的な承認を勝ち取るために経済的に成功しなければなりません。

 その結果、勤勉、倹約、自己規律を求める通俗道徳は、逆説的に、生き馬の目を抜くような、「万人の万人に対する戦争状態」としてのホッブズ的世界を招き寄せてしまうのです。それが、極端な競争社会に全面化するのは、明治維新によって、江戸幕府が崩壊し、それまで人々の行動に枠をはめていた江戸時代の身分制的秩序が崩壊した後のことです。現在の「分断社会」の原型はこの明治時代に生まれています。

 しかし、バブルが崩壊後、状況は一変します。減税と公共事業に支えられた勤労国家の発動も虚しく、国際的な賃金下落圧力が景気回復を妨げ、巨額の政府債務が積み上がりました。また、少子高齢化が進み、専業主婦世帯と共働き世帯の地位も逆転、近代家族モデルは完全に破綻しました。さらにバブル崩壊に追い打ちをかけるように、市場原理や競争原理、自己責任論が持ち込まれました。

今、日本社会は通俗道徳の実践にエネルギーを費やした多くの敗者で溢れています。働くことは苦痛でしかなく、勤労の先に待ち構えるのは貧困のリスクなのです。まさに「獣の世」の再来と言えます。

 「獣の世」(「分断社会」はその顕在化の1つ)は明治日本から始まり、一時高度経済成長の陰に隠れて見えなくなっていた。しかしバブルが崩壊、そして今、近代そして資本主義の終焉が近づくにつれて、「新自由主義」などと姿を変えて再びその牙を剥き始めている。
温かみのある、情熱や思いやりに満ちた社会、他者への配慮にあふれ、仲間のために行動することをよしとする誇りある社会、そんな日本社会はもはや昔話になった。

総理や総理経験者の「学習障害」すら、バカにする。

なら、市井の障碍者など、糞にすぎないのが、天皇教なのである。

「通俗道徳」と「その一因の天皇」の除去がない限りに、日本人は死滅である。

これは、どうも絶対的なようである。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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