儒学を無邪気に信じるのも、マルクス主義を無邪気に信じるのも、リベラルデモクラシーを信仰するのも アホである。
上記文抜粋
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孔子はマルクスと結婚するだろうか? 中国政治における正統性の追求
<記事原文 寺島先生推薦>
Will Confucius Marry Marx? The Quest for Legitimacy in Chinese Politics
筆者:ぺぺ・エスコバル(Pepe Escobar)
出典:Global Research
2023年1月5日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2023年1月23日
この記事の初出は2020年10月11日のアジア・タイムズである。
中国の学者であるランシン・シャンは、『中国政治における正統性の探求』(The Quest for Legitimacy in Chinese Politics,) という本を書いた。この本は東西の政治的・歴史的格差に橋をかけようとする、ここ数十年で最も素晴らしい取り組みである。
本書が喚起する議論の妥当性を短いコラムで示すことは不可能である。ここでは、その重要な論点をいくつか取り上げてみることにする。特に、それが中国恐怖症にいろいろ心を揺さぶられている環太平洋地域の事情通の読者の心に届くことを願いながら。
シャンは根本的な矛盾に切り込んでいる:中国は、40年にわたる持続可能で歴史に残る好景気を享受しているにもかかわらず、民主的な正統性を欠いていると多くの西側諸国から非難されている。
彼は、中国問題の主要な原因を2つ挙げている:
「一方では、習近平が「儒教的正統性」や伝統的な「天命」を回復しようとする文化復興プロジェクトがある;他方、習近平はいかなる政治改革も始めない。なぜなら、既存の政治体制、すなわち、主にボルシェビキ・ロシアという国外に源を発する支配体制を維持することが最優先であるから。」
そう、そこが難しいところ:「2つの目的は全く相容れない」。
シャンの主張はこうだ。大多数の中国人(その国家組織と国民全体)にとって、この「国外に源を発するシステム」を永久に保持することは不可能。特に今は文化復興が「中国の夢」に焦点を当てているから。
言うまでもなく、西側の学者たちはこの筋書きを完全に見逃している。西洋の政治学と「ヨーロッパ中心主義の歴史学」下での中国解釈にしがみついているからだ。シャンが本書で試みたのは、「ポスト啓蒙主義の用語法が生み出す概念的・論理的な罠に嵌らないよう、注意深く舵取りをすること」である。
そのため、彼は「複数のマスターキーワード」の分析に重点を置いている。これは表意文字からそのまま取り出した素晴らしい概念である。そのキーワードとは、正統性、共和制、経済、外交の4つである。本書では、正統性(中国語で「hefa」)に焦点を当てている。
法が道徳を目的とする時
シャンが「政治的正統性問題の元祖思想家」マックス・ウェーバーを論破していく様子を辿るのは楽しい。ウェーバーは「儒教の体系をかなりいい加減に研究した」と非難されている。彼は、儒教は平等、調和、良識、美徳、平和主義だけを強調するものであり、資本主義的な競争心を育むことなどあり得ないと主張していたからだ。
シャンは、ギリシャ・ローマの伝統の始まりから、政治は常に空間的な概念―ポリス(都市や都市国家)という言葉に反映されている―と切り離せないと明言する。他方、儒教の政治概念は、「完全に時間的なものであり、支配者の日々の道徳的行動によって正統性が決定されるという動的な考えに基づいている」。
シャンは、hefa(正統性)が実際には二つの概念を含んでいることを示す:「適合」と「法」―「法」は道徳に優先する。
中国では、支配者の正統性は天命(Tian Ming)に由来している。不当な支配者は必然的に天命を失い、支配する権利を失う。これは「手続きに基づく議論ではなく、行為に基づく動的な議論」だとシャンは主張する。
本来、天命とは、「天 tian (キリスト教の全知全能の神を擁する天ではなく)が、その道徳的資質と善良かつ公正な統治能力に基づいて皇帝に統治権を与える、という古代中国の信仰」である。
その優れた点は、天命は神とのつながりや高貴な血統を必要とせず、時間的制約はまったくないことだ。中国の学者たちは、天命を権力の乱用に対抗するための手段だと解釈してきた。
全体的に重要なポイントは、西洋と異なり、中国の歴史観は直線的ではなく、循環的である: 「正統性とは、実際、終わりのない道徳的な自己調整プロセスである」。
関連記事:中国パワーの限界。米中関係は2020年の大統領選挙に左右される
シャンは次に、正統性についての西洋の理解と比較する。彼はジョン・ロックに言及し、ロックは、政治的正統性を被支配者の明示的・暗黙的な民衆の同意から導き出すとした。その違いは、中国人はキリスト教のように制度化された宗教を持たずに、「民衆の一般意志という世俗的な権威を通じて、つまり、彼らは人権の神性や『社会契約』といった架空の政治理論の力を借りずに正統性という動的な概念を」作り上げたことである。
シャンの説に耳を傾けると、ライプニッツは、これを「中国人の自然神学*」と表現し、それはたまたまキリスト教の基本的教義と衝突しなかったことを、私たちにどうしても思い起こさせる。
*訳註:原文では出生神学(natal theology)となっているが、natural theologyの誤記と思われる。なお、ラテン語の表記は、theologia naturalis である。(Wikipedia)
シャンは、また、天命が帝国とは無関係であることを説明する:「国民を移住させるために海外領土を獲得したことは中国の歴史上一度もなく、そんなことをしても支配者の正統性を高めることにはほとんどつながらない」。
結局、天命は「『東洋の専制君主』の釈明にすぎない」と断じ始めたのは、大半はモンテスキューが原因だが、啓蒙主義者たちであった。シャンは、「近代以前のヨーロッパと非西洋世界との豊かな交流」が、「啓蒙主義以降の歴史家たちによって意図的に無視された」ことを指摘している。
このことは我々を苦い皮肉に誘うことになる:「現代の「民主主義の正統性」はひとつの概念として、他のタイプの政治体制の正統性を否定する機能しか持ちえないが、 「天命」には他の統治モデルを軽んじる要素はまったくない」。「歴史の終わり」*なんてその程度のものだ。」。
*訳注:米国の政治経済学者フランシス・フクヤマに『歴史の終わり』(原題The End of History and the Last Man)という著作がある。彼はそこで、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説を提示している。(Wikipedia)
産業革命がないのはどうして?
シャンの根本的な問い:「中国の成功は、欧米主導の世界経済システムに負うところが大きいのか、それとも自国の文化資源に負うところが大きいのか?」。
そして、経済成長は西洋の自由民主主義のもとでのみ可能であるという神話を彼は丹念に論破していく。この神話は、繰り返しになるが、儒教は経済成長という任務には適していないとした啓蒙主義の遺産なのだ。
1980年代から1990年代にかけて、シンガポール、香港、台湾、韓国といった東アジアの虎が台頭してきたとき、我々はすでにその神話の誤りを予感していた。さらに進んで、多くの社会科学者や歴史学者たちが、儒教は経済成長の刺激になり得ることを認めるようにさえなった。
しかし、彼らは表面的な部分、つまり勤勉や倹約といった儒教の「核」とされる価値観にしか注目していない、とシャンは言う:「本当の「核」となる価値、儒教的な国家観や経済との関係はしばしば無視されている」。
西洋において、一部の非欧米系の学者を除けば、中国が12世紀から19世紀後半まで世界を支配する経済大国であったことは、事実上、ほぼ完全に無視される。
シャンが私たちに思い起こさせてくれるのは、私的所有権、自由な土地取引、高度に専門化した移動労働力など、市場経済が紀元前300年には中国で確立していたことだ。さらに「明時代の中国は、18世紀のイギリスの産業革命に不可欠だった大事な要素はすべて獲得していた」。
このことは次のような根強い歴史的な謎に私たちを誘う:産業革命の開始が中国でなかったのはなぜか?
シャンはその問い方を反転させる:なぜ伝統的な中国が産業革命を必要としたか?」
再度シャンは次のことを私たちに思い起こさせる:「中国の経済モデルは、啓蒙主義の初期に非常に大きな影響を与えた。儒教的な経済思想がイエズス会によってヨーロッパに紹介され、自由放任主義(laisser-faire)などの中国的考え方が自由貿易思想につながった」と。
シャンが示しているのは、どうして中国の政治・経済にとって対外経済関係はあまり重要でなかったのか、「中国の伝統的な国家観は、産業革命の基本的合理性と相容れない。というのも、産業革命の大量生産方式では国内市場だけでなく外国の領土征服も目指すことになるから」ということである。
またシャンは、アダム・スミスの『国富論』のイデオロギー基盤が個人主義の自由主義に傾き始めるが、「孔子は個人主義に反対する立場を崩さず、経済の役割は特定の個人ではなく、全体として「人を豊かにする」ことにある」とも述べている。
これらをまとめて考えると次の事実につながる:「現代の経済学では、西洋と中国の間の真の対話は最初からほとんど存在しない。なぜなら、啓蒙主義以後の西洋は、経済発展における「普遍的真理」と秘密を所有しているのは自分たちだけだ、と頭から信じて疑っていないから。だがそんなことは西洋以外の世界にとっては眉唾物とされてきた 」。
中国で「経済」(jingji)が何を意味するのかを見てみると、もう一つのヒントが見つかる:「経済」(jingji)は、「単なる経済活動でもなく、商業活動でもないことを表す2文字の略語。「経済」は、「社会の日常生活を管理し、国家に十分な資源を提供すること」である。この考え方では、政治と経済は決して機械的に2つの領域に分離することはできない。政治体と経済体は有機的に結びついている」。
だからこそ、中国が古代のシルクロードで大活躍していた頃も、対外貿易は 「経済全体の健全性や国民の幸福にとって重要な役割を果たすことはできない、と考えられていた 」のだ。
「無為」と「見えざる手」
ここでシャンの主張の基本に立ち返る必要がある:西洋が自由市場を発明したのではない。自由放任主義(laisser-faire)は、アダム・スミスの「見えざる手」の前身であるフランソワ・ケネー(Francois Quesnay)が最初に概念化したものである。ケネーは当時、不思議なことに「ヨーロッパの孔子」と呼ばれていた。
ケネーは『国富論』の9年前に書かれた『中国の専制君主』(Le Despotisme de la Chine)(1767年)で、学者に政治的権力を与えるという能力主義の考え方を率直に支持し、「啓かれた」中国の帝国制度を賞賛している。
さらに実に興味深い歴史的な皮肉として、laisser-faireは道教の「無為自然」の概念から直接着想を得ていることをシャンは我々に思い起こさせてくれる。
シャンが指摘しているのは、「アダム・スミスが、この laisser-faire(自由放任主義)を学ぶためにパリで出会ったケネーから深い影響を受け、「見えざる手」を考え出した時、wu wei(無為)の意味を正しく理解するようになったかもしれないこと、受動的ではなく主体的な経済システムを提案していること、そしてキリスト教の神学的側面は脇に置いたこと」である。
シャンはロック、モンテスキューからスチュアート・ミル、ヘーゲル、ウォーラーステインの「世界システム」論までを検証し、驚くべき結論に到達した:「中国を典型的な「後進国」経済モデルとして捉えるのは、歴史的現実というよりも、西洋の文化的・人種的優越性の想像力に基づいて作られた20世紀のでっち上げであった」。
しかも、ヨーロッパで「後方視的」という考え方が確立されたのは、実はフランス革命以降のことである:「それ以前は、"革命 "という概念は、常に "進歩的 "というよりもむしろ循環的な、つまり直線的な歴史的展望という側面があった。革命の本来の意味(「回転」を意味するラテン語revolutio)は、社会の進歩という要素を含んでいない。というのも革命とは、時の権力者に対して国民が反旗を翻したときに起こる政治権力や組織構造の根本的な変化を指すのだから」。
孔子はマルクスと結婚するか?
そして、そのことは現代の中国に私たちを誘う。シャンは、共産党が「マルクス主義でも資本主義でもなく、その道徳的基準は儒教的価値体系とはほとんど関係がない」というのが中国の大衆的合意であることを強調する。その結果、天命は「深刻な損傷」を受けている。
問題は、「マルクス主義と儒教を結婚させるのは危険すぎる」ということだ。
シャンは、中国の富の分配の根本的な欠陥の実態は「富の生産に労働力を提供する人々からそうでない人々への、不公平な(そして違法な)富の移転の構造的プロセスを保証する制度にある」と指摘する。
彼の主張:「儒教の伝統的価値観から逸脱しているから中国における所得分配の根源的な問題が生じる、という説明は、民主主義と公正な所得分配との間に明確な関連性を確立しようとしたウェーバー理論よりもすぐれた説明になっている」。
それでは何をすべきか?
シャンは、19世紀に西洋が中国の問題に取り組んだ方法について、きわめて批判的の論じている:それは「ウェストファリアの権力政治の道を通って、暴力と西洋の軍事的優位の誇示によって」行われた。
それがどのように裏目に出たか、私たちは誰も知っている。正真正銘の近代革命と毛沢東主義を招いたのである。シャンの解釈では、革命によって「平和と調和の伝統的な儒教社会が、凶暴なウェストファリア体制国家に変質した」ことが問題なのである。
だから、1917年10月(訳注:ロシア革命)に触発された社会革命を通じてのみ、中国国家は「西洋に接近する本当の進展を開始した」のであり、我々西洋人が「近代化」と定義するものなのである。ちなみに、鄧小平ならどう言うだろうか。
シャンの主張:現在の中国の複合制度は、「ロシア・ボルシェビズムという癌のような異質な器官に支配されており、多元的な共和制を構築するための抜本的な改革なくしては持続不可能である。しかし、この改革は伝統的な政治的価値を排除することを条件にしてはならない」。
では、中国共産党は儒教とマルクス・レーニン主義をうまく融合させることができるのだろうか。中国独自の「第三の道」を切り開くことができるのか。それは、この後のシャンの著書の大きなテーマであると同時に、短期間では解答の出ない問いでもある。
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抜粋終わり
面白いですよね。
そもそも近代民主主義の片親は、儒学だったのだよね。
同感。
だいたい明でも鄭和の大航海の後、明は再びその大航海を行わなかった。そんなのをして国内が貧しくなるのが、亡国の道だからで。
大遠征の果ての衰亡・・てのを中華帝国は何度も体験している。
また鄭和のような人材は得難いし、そういう英雄は、北方の騎馬民族の対応に使った方が、合理的なのですよね。
民主主義の「民意」も、一種の天意だし、逆に、天意も一種の民意と言える。
天命には他の統治モデルを軽んじる必要も無い。喰えない・生活ができないで、暴動で革命や、外からの侵略も「民意=天意」を失ったのだし。
面白い見方。
「天皇」と「バチカン教」という異質な器官に支配されているってのが日本。