私は馬鹿なアラフィフなので、簡単にコメントする。
「みんな悪い」は間違いではないのかもしれない。
だが、権力・権威・権限を多く持つものが、より責任を背負う。
そうでなければ、何のために「命令者」や「それに従う人」って設定を作らねばならないのだろうか・・
「天皇」を奉じる・・・この一点で、日本はまともな国家では無いのだ。
社会の過ちは、みんなの過ちかもしれない。
でも、社会を差配する役をもった指導者・知識人・エリートは、圧倒的に知識・権限・責任を持つ。天皇とても例外なく。
それゆえに、庶民よりもはるかに巨大な責任を持つ。
なら、「みんなの責任」っていうなら、より責任の重い、天皇・その閨閥・指導者層・知識人が率先して、処刑台にあがらないと、庶民の微々たる「責任」を果たすなど、不可能なのである。
国家権力は、そもそも「教育」の中身を弄れる・マスコミの報道のコントロールできる、できないハズが無いのだ。「正しい事」を盾に国家・天皇・政権の「都合の悪い事」を消せる・誤魔化せるのだから。
考えるための「道具・方便」の教育を操作でき、考えるための情報を「コントロール」できるのが、国家であり天皇であり指導者なのである。
また、賞罰の件を握り、生死を左右できる。その権力・権力を国家・天皇は握っている。
それだけでも「庶民」比べると、その差は歴然としているのだ。
そもそも「良きリーダー」は、文句を言われてナンボのモノである。
人の、庶民の言うことの聞く耳を持たず、常軌を逸脱したナチス指導者・天皇。
その責任を、なんで庶民が背負うのだろうか。
しいていえば、奴らを、例えば日本やドイツの場合は、さっさと外征に走る前に庶民が革命蜂起して奴らを皆殺しにしてなかったことだけが、唯一の責任。
そのことをエリート様や国家や指導者にぐちゃぐちゃ言われる筋合いはないのである。
まさに
国君は、神の祀り手であり、民の仰ぎ望む者です。もしも民の生活を困め、祭祀をなおざりにすれば、人々の望みは断たれ、社稷の神は祀り手を失います。こんな{国君}は無用ですから、追い払われるのが当然です。
深く民を愛おしまれる天のことゆえに、一人{の君}だけを民の上にのさばらせて放恣を許し、{民を蔽い包容する}天地の本性を自ら棄て去るはずはありません。きっとそんなことはなさまいと存じます。
我らには責任など無い!
それが「天地の本性」に従って、指導者・天皇・権威を粛清する一つの方法なのかもしれない。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みの富む社会になりますように。