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仏性あり・・・なら通じるところもある。あるいは「日本人の生存と正義のための大きな変化」か・・。

上記文抜粋
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新しい領解文は、仏性論の問題である


改めて、新しい領解文は、仏性論の問題として議論していくのが良いのでしょう。

仏性のありか、なしか。

ありとするのが新しい領解文の本丸と考えてよいでしょう。

大きくには反空華派による教義転換が行われたと言えることになります。

仏性があるとするならば、自己開発も当然に可となります。

仏性がないのであれば、自己開発は不可となります。

宿善もそこから考えるとよいわけです。

宿善自力は、仏性ありを根拠とし、宿善他力は、仏性なしを根拠とするとして。

仏性ありでは、ある段階までの有功となる自力をありとして、仏性なしでは、一切における自力の有功はなしとするのです。

この方がすっきりとするわけです。

新しい領解文により、本願寺派は、仏性ありでいくとの意向となったと考えられるわけですが、当然に従来における機の側の問題については見直す必要があるということにはなるでしょう。

門主が翻意するか、代わらない限りは仏性ありで今後いくのだと思われるのであります。

他宗派は仏性ありとなりますから、会通は図りやすくなると言えるでしょう。


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抜粋終わり

そういうことか、、、少し納得いくよね。。

自分の中の仏性が命じるから「世俗の善行をする」のは、浄土に行く妨げにならない・・・

てかな・・・


ただ、真宗にも深く多くの「宗論・教学」の蓄積が有るので、素人の私にはわかりきらんです。


仏性が無ければ「阿弥陀さん助けて~」って言わんでしょうからね・・


これ自体、凄い転換かもしれない。。。





私は「宗教は消えない」と思う。本物だから・・・・でも変わるだろう。。。

変わって、、存続する。。「宗教」って生き方ソノモノでもあるのだから、変わるし、変わらない。


その「変わる」が、まず浄土真宗で顕現したのだろう。

この

仏性ありでは、ある段階までの有功となる自力をありとして、仏性なしでは、一切における自力の有功はなしとするのです。

これではなんなら「門主がそういうても、私の仏性と阿弥陀さんが許さんのや!」って教団の統制が現状のまま続くはずがない。

今の特に「国家」と敗戦前ほどでないが密接している仏教教団が
「天皇」とかいう売国奴に反旗を翻す仏教徒を
「門主の命令」
とか
「これが教義」
とかで抑えきれるはずも無いし。
抑えきれたら、日本人は絶滅し日本の仏教も消滅しますからね。



天皇家を根絶して 日本人国家を建設する


天皇の無い 蒼い空を取り戻す


慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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