日本は、似非国家だった。
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
「こがね味噌事件」でも明らかになった冤罪事件を生み出す組織的な問題
1966年6月30日に静岡県清水市で「こがね味噌」専務の家族が殺されるという事件があった。被害者は専務、その妻、次女、長男。遺体には刃物で刺された傷が多数あったという。事件現場は放火されている。
その容疑者として逮捕された袴田巌は起訴され、死刑が言い渡されている。その裁判をやり直すことが決まったのだが、その公判で検察は有罪立証をするという。それなりの時間が必要になるが、87歳の袴田にとって時間は重要なファクターだ。検察は時間を稼ぎたいのかもしれない。
事件の現場見取図を見るだけでも単独犯行の可能性は小さいことがわかる。両隣は民家で、ひさしが密着しているため、一見長屋風だ。妻と長男の死体は玄関に近い八畳間、次女はその隣にある仏壇の間とピアノの間の中間、専務は土間の裏木戸近く。刺し傷の状態から考え、それぞれの人を殺すためにそれなりの時間をかけている。ひとりの犯人が周囲の家に気づかれず4名を殺すことは困難だろう。
当初、マスコミは当局の発表を垂れ流していたが、その後、少なからぬ人が詳しく調査、冤罪である可能性はきわめて高いということは決定的だ。それでも検察や裁判所は死刑判決に執着していた。警察も同じだろう。
静岡県で冤罪事件が続いていた。1948年11月の「幸浦事件(死刑判決後、無罪)」、50年1月の「二俣事件(死刑判決後、無罪)」、50年5月の「小島事件(無期懲役判決後、無罪)」、54年3月の「島田事件(死刑判決後、無罪)」、そして「こがね味噌事件」だ。
いずれの容疑者も拷問によって自白させられ、証拠や証言の隠蔽や改竄も指摘されているのだが、前の4事件には共通の警察官が関係している。国警の警部補だった紅林麻雄である。紅林はさまざまな拷問の手法を考案、部下に実行させていたと言われている。「名刑事」と言われていた警官だが、後に「拷問王」と呼ばれるようになる。
こうした手法を同僚や上司は知っていたはずであり、実際、二俣事件では捜査員の山崎兵八巡査が拷問の事実を告発、法廷で証言している。それに対し、警察は山崎巡査を偽証罪で逮捕した。「妄想性痴呆症」だとして起訴はされなかったが、退職させられている。内部告発は許さないという警察組織の意志を示したのだろう。「こがね味噌事件」の再審決定でも、警察による組織的な証拠捏造の疑いが示唆されている。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
最良証拠主義~検察に都合の良い証拠だけしか採用されない司法。
てこれってまともな裁判ですらない。
それがまかり通る。って天皇て詐欺師の国家だしな。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように
お読みくださりありがとうございます