なんかね。。。日本人はやはり「文化力」が変に低いところがあるのが如実で、それを天皇カルトがそれを守り愚劣化を続けている。


より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・

そう言いそうになったが ふと思った
私は彼に「怒るな」とは言ったけど
怒る以外にどうしたらよいのか
話していない
だから彼はこの負けた気持ちを
何に変換したら良いのかわからない
感情の行き場がないのだ

そもそも「怒るな」ということがおかしいのだ
自然と湧いて出てきた感情を止めろと
言われても大人でもできないことはある。
フィンランドの感情教育について
散々ワークショップで言っていたくせに
自分が実践できていないじゃないか!

・・・・・・中略・・・・・・・・・

でも少し前にフィンランドの
幼児教育コースで学んだ
フレンドシップスキルを思い出した

そこには勝つことにこだわる子どもには
フェアプレースキルを学ぶ必要があると
書かれていて
まさに彼らに必要なスキルだと思っていたのだ

特に印象に残ったポイントが4つあった

・そもそも、ゲームは楽しむものでありゲームの勝敗が本人の全てではない
・大人が忖度すると子どもは自分の実力を見誤り勝つことが当たり前だと感じてしまう。大人の役割はわざと負けてあげることではなく、負けた時にどのような態度をとるか教えることだ
・勝ったことを自慢したり、負けた人を貶すのはフェアプレーに反する。勝った場合は「良いゲームだった」「君のおかげで楽しくプレイできた」などお互いのよかったポイントなど伝えあおう
・負けた時に相手のせいにしたり言い訳をするのはフェアではない。「負けた! 悔しい! 今度は勝つ!」と悔しい気持ちを言葉にしたりまた挑戦してみる気持ちをもとう

これは私自身にも足りていないスキルであり
子どもだけでなく
大人の勝負の世界でも
必要なスキルではないだろうか?

目からウロコだ

子どものために負けてあげたのは
実は子どものためではなかった。
まずは私が全力でゲームをして勝った時
負けた時の見本になろう。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>・そもそも、ゲームは楽しむものでありゲームの勝敗が本人の全てではない

>・勝ったことを自慢したり、負けた人を貶すのはフェアプレーに反する。勝った場合は「良いゲームだった」「君のおかげで楽しくプレイできた」などお互いのよかったポイントなど伝えあおう

そういう「遊びの文化」がブッ壊れている。

まあこれも半分は「戦争遂行のための天皇カルトの洗脳」だから・・

さらに抜粋
・・・・・・・・・・・・・・

そうして私は彼とゲームをするとき
わざと負けるのではなく
勝った時は「やったー!」
と素直に喜んだり
「ここで君がジャンプ
 してきたら負けてたかも
 ギリギリ勝てた!」
と次にどうしたら勝てるか
さりげなくヒントを出したりしている
そして負けた時はわざと
「悔しいーーー!!! もう一回!」
「次は負けないから!」と
床をゴロゴロと転がって
全力で大人げない大人を演じる。

それをみて彼も「次も負けない!」と
笑顔でゲームをするのだ

彼はまだ時々かんしゃくまではいかないが
怒る時がある
でも、自分でお茶を飲みに行ったり
「だめだ! 今日は怒っちゃう!どうしよう」と
その日の疲れ具合でイライラしがちな時は
自分が怒りやすくなっていることを
理解して助けを求めることができるようになった

だから私もイライラしない
一緒に解決できるように考えるのだ
でも、ここまで至るのには1年かかった

一瞬で子どもが変わる魔法などない
大人も子どもも一緒に試行錯誤しながら
お互いに我慢せず心地よい関係で
いられるようにするには
沢山の練習が必要だ

最初はめんどくさい。
上手くいったと思ったら
またかんしゃくを起こして
こっちも一緒になって
イライラすることもある
やっぱり私と彼には無理なのかもと
思うこともあった

でも、今は彼と一緒にゲームをする
時間は楽しい

ゲームは楽しむためにある

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

あと


江戸時代には、まだ「子供と対等に渡り合う」ってあった・・・

明治カルトは、そもそも「統一教会」が「家庭連合」というように「家父長的独裁支配」なので、そんなのは、消されている。

日本の文化の深層まで、検証しないと、ヤバいと思うよ・・・

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


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