拝米保守=天皇 だからね。

【緊急対談】都知事選・大統領選にみえる悪魔とは?|及川幸久×海沼光城


より

上記文抜粋

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歴史学者のジェイソン・モーガン氏「(横田基地への米戦略爆撃機B52の突然の飛来に対して)こういうことがあって、まず大騒ぎになっていないことがおかしい」「誰が情報統制やっているかって言うと、保守側なんですよ。…拝米保守がワシントンを庇っているんですよ」

竹下雅敏氏からの情報です。

 歴史学者のジェイソン・モーガン氏がおもしろい。
 石田和靖氏は、“この間のチャンネル桜でもね、モーガン先生、日本の新聞を持ってきて、「拝米タイムスによりますと…」。拝米タイムスっていう新聞があるんだと思ったら、拝米タイムスじゃなくて産経新聞のことをね、言ってたわけですけど…”と話しています。
 7分20秒のところで、ジェイソン・モーガン氏は7月2日の東京新聞の見出し『冷戦以来 横田にB52』を見せています。東京新聞のこちらの記事によれば、“米戦略爆撃機B52が4月2日夕、…米軍横田基地に突如、姿を現した。…2日間滞在し、4日夜に飛び去った。日本側への飛来の通告はなく、B52が核兵器を搭載しているかどうか日本政府が確かめる権限はない”とあります。
 ジェイソン・モーガン氏は、“こういうことがあって、まず大騒ぎになっていないことがおかしいと思います(8分55秒)。…これは核兵器が搭載されているかも知れないという飛行機が入ってきて、日本政府がそれをやめてくれと言わないし…抗議はしないのかなと(9分19秒)”と言っています。
 石田和靖氏は、“日本がウクライナ化するっていうような話がよく出てきますけれども…アメリカにこうやって、どんどんどんどん煽られて、日本はもうロシアとか中国とか北朝鮮とか敵をいっぱい作って、アメリカは守ってくれるかどうかわからないのに、お前行け行けって、背中をどんどん押されているのが岸田さんでしょ(11分28秒)”と話しています。
 13分10秒のところで、ジェイソン・モーガン氏はコリン・パウエル元米国務長官の首席補佐官を務めたローレンス・ウィルカーソン氏にインタビューをしたと話しています。
 ジェイソン・モーガン氏は、“彼が言っているのは、ワシントンが戦争ビジネスをやっていると散々言っています。それを日本語でまとめて記事として月刊『Hanada』に投稿したんですよ。3ヶ月ぐらいが経っても何の返事も来ない…やっと原稿が戻ってきたら、1番重要なところをカットカットカットカット。要はワシントンが戦争ビジネスをやっているとか、それ全て。バッサリと。誰が情報統制やっているかって言うと、保守側なんですよ。…拝米保守がワシントンを庇っているんですよ(14分11秒)。…なんか情報統制をやっていて、私がその連中の中に入っていたんですよ。去年までですかね。なんか最近、私が転向したって言いますか、目が覚めちゃった。…私はずっと睡眠中だったなと、今振り返って考えればそう思います(20分33秒)”と話しています。

(竹下雅敏)

【緊急ライブ】NATO×日本合同軍事演習は東西冷戦以来の危機(ジェイソンモーガン×石田和靖)

配信元) YouTube 24/7/2

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抜粋終わり

そもそも「天皇」が、拝米保守ですから・・・


上記文抜粋
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Haz Al-Din曰く、

覇権に反対するなら、あなたの社会的見解に関係なく、客観的に左翼である。

覇権を擁護するなら、あなたの社会的見解に関係なく、客観的に右翼である。

Haz Al-Din @InfraHaz Jun 8, 2024


民主党は「左翼」ではない。
民主党と共和党はどちらも同じ政治的覇権の一部である。


覇権の中に政治的「翼」は存在しない。同じルールを強制するための異なる戦略があるだけだ。
これらの戦略は、米国の異なる人口を管理する要件に基づいてのみ異なる。


​​同じ覇権主義でも、若者に正当性をアピールするときは、年配者とは異なる戦略が適用される。 黒人対白人、田舎対都会などだ。


共和党と民主党は、異なる人々を管理するという点においてのみ異なる。しかし、目標は同じである。同じ覇権を強制することだ。


状況に応じて、覇権は民主党または共和党に傾く可能性がある。それは政治や国が「左」または「右」に動くこととは何の関係もない。


トランプはほんの少しの変化球だった。しかし、メディアに対するすべての騒ぎにもかかわらず、彼でさえそれに従う。


覇権の中に政治はない。政治は権力闘争である。同じ権力を代表している民主党と共和党の間で権力争いが起きることはあり得るだろうか?


私たち国民だけが、異なる政治勢力を代表できる。だから私に簡単に説明させてほしい。


覇権に反対するなら、あなたの社会的見解に関係なく、客観的に左翼である。
覇権を擁護するなら、あなたの社会的見解に関係なく、客観的に右翼である。


覇権の外にいるなら、国家安全保障に対する脅威とみなされ、FBI と DHS の標的になる。
ソーシャルメディア上では、私や私の同志に対するのと同じように、心理作戦があなたに対して繰り広げられる。


アメリカは占領国だ。国民主権はない。
アメリカを占領から解放したいなら、あなたは客観的に左翼である。

・・・・・・・中略・・・・・・・

仮にこの定義を受け入れるなら、日本だったらどうなるんだろう?

まずは「体制順応主義」あるいは「大勢順応主義」という言葉が思い浮かぶね。どちらももともとはコンフォーミズム Conformism の訳語であり、別に「権威従属主義」等とも訳される。

この「体制順応主義=大勢順応主義=権威従属主義」に反対するなら左翼、従うなら右翼というところかな。

繰り返せば、あくまで仮に先の定義ーー言葉の使用法ーーを受け入れるなら、だがね、ーー《言葉の意味は、言語内におけるその使用法である[Die Bedeutung eines Wortes ist sein Gebrauch in der Sprache.]》(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第43節)

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抜粋終わり


蚊居肢さんは、鋭いけど、「天皇」に執着があるのでね・・・

上記文抜粋
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ところで、数ヶ月ほどまえ最晩年の吉本隆明の文を偶然拾ったのだが、何だか思い出しちゃったよ、あの玄牝之門を潜るイマーゴの幽玄さに戦慄しつつ。

天皇を政治的な立場から外せば天皇制という仕組みがなくなると単純に思っているひとがいるが、僕はそうは思っていない。僕らが縁日で金魚すくいをやっている限りは、神道の名残は残ると思っています。それと同じように天皇の名残も残り続けるのです。縁日に行って神社に露店が無くなったときに初めて、日本の神道がなくなるように原始からの何層もの積み重ねが現代の日本を形作っているのです。(吉本隆明「真贋」2007年)


そもそも日本の原始的な宗教性は神道にあり精神的な活動をされる方の多くは神道にもとづいています。……


天皇の地位や存在についても起源からたどっていけばこのように考えることができるのです。……


文学でいえば柳田国男や折口信夫が僕らを満足させる考え方にひとりで到達しており感心します。(吉本隆明「真贋」2007年)

吉本隆明は昔からこの毛があった、柳田国男や折口信夫の、特に後者の大嘗祭解釈の影響が核にある。もっとも現在の学者は折口の洞察をおおむね否定しているらしいが、それはほとんど常にヤムエナイ現象である。

学者というものは、精神の中流階級に属している以上、真の偉大な問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。Es folgt aus den Gesetzen der Rangordnung, dass Gelehrte, insofern sie dem geistigen Mittelstande zugehören, die eigentlichen grossen Probleme und Fragezeichen gar nicht in Sicht bekommen dürfen: (ニーチェ『悦ばしき知識』第373番、1882年)

最後に1974年時点での吉本隆明の天皇制解釈を掲げておこう。

じっさいに〈天皇(制)〉が農耕社会の政治的な支配権をもたない時期にも〈自分ハソノ主長ダカラ農耕民ノタメ、ソノ繁栄ヲ祈禱スル〉というしきたりを各時代を通じて世襲しえたとすれば、この世襲には〈幻想の根拠〉または〈無根拠の根拠〉が、あるひとつの 〈威力〉となって付随することは了解できないことはない。いま、〈大多数〉の感性が〈ワレワレハオマエヲワレワレノ主長トシテ認メナイ〉というように否認したときにも、〈天皇(制)〉が〈ジブンハオマエタチノ主長ダカラ、オマエタチノタメニ祈禱スル〉と応えそれを世襲したとすれば、この〈天皇(制)お 〉の存在の仕方には無気味な〈威力〉が具備されることはうたがいない。わたしの考察では、これが各時代を通じて底流してきた〈天皇(制)〉の究極的な〈権威〉の本質である。(吉本隆明 「天皇および天皇制について」 『詩的乾坤』国文社 1974.9.10)

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抜粋終わり

天皇を政治的な立場から外せば天皇制という仕組みがなくなると単純に思っているひとがいるが、僕はそうは思っていない。僕らが縁日で金魚すくいをやっている限りは、神道の名残は残ると思っています。それと同じように天皇の名残も残り続けるのです。

むしろそうなら、早急に「天皇」を廃止した方がいい。

しても「思想・形而上の天皇」は生き続けれる。

神仏習合でも神道はいきのびれるし・・・

第一現状の「現人神の天皇」では、マトモに社会が機能するはずもない。


読めないニックネーム  再開版
より


わしはテンコロ一族を皆殺しにしてからが最初という「極左」であるし、そして天皇という存在が理性でしかない神学上の存在ではないと価値がないという「極右」でもある
右や左ではない、ではなく
突き抜けた右で左でもあるからが、千里の道も一歩からなのです
もっと、突っ張れ

仮に「自衛隊は憲法9条二項に違背しない」旨を書き加えてみたところで、「国防の義務と責任は誰が負うのか(天皇か国民か)」という大命題は残り続けることになる。そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。
にもかかわらず、国連は機能不全、米軍の撤退は時間の問題、中露韓台とは領土紛争を抱えているという日本の安全保障環境は危機的状況にある。
やはり明治帝政はもはや詰んでいるとしか思えない。

天皇と明治官僚はほぼ一心同体ですから、天皇の責任が問われれば、自分たちの安全も脅かされるわけで、明治帝政が名前を変えて温存された以上は、「責任を取らせない法体系」で整備する以外に無かったのでしょう。
その意味でも明治帝政は終わらせる必要があると考えます。

「ニッポンの構造は天皇機関説まんまで、その場合はてんころが物質で人格持っていると失敗するのよ」

だしね・・・



話を整理すると、明治帝政下では、無答責(責任を問われない、憲法第3条)の天皇が国防の義務を有しつつ、軍事大権を占有、帝国臣民は天皇が負っている義務を全うするために奉仕すべく義務兵役が課されていた。つまり、天皇=国家であり、臣民はこれに奉仕する道具に過ぎず、帝国軍は天皇の私軍であると同時に国軍という位置づけだった。例えば、日露戦層の開戦詔書には、
朕茲に露国に対して戦を宣す。朕か陸海軍は宜く全力を極めて露国と交戦の事に従ふへく朕か百僚有司は宜く各々其の職務に率ひ其の権能に応して国家の目的を達するに努力すへし。
とあるが、要は「朕(天皇)はロシアに宣戦布告したから、朕の陸海軍は国家目的を達成するよう全霊努力せよ」ということである。第二次世界大戦も同様で、天皇の名において宣戦布告し、天皇のプライベート・アーミーが全アジアを廃墟と絶望の淵へと追いやったわけだが、天皇が戦争責任に問われることはなかった。そして、休戦条件として軍の武装解除が、天皇免責の代償として軍事権の放棄がなされたはずだったにもかかわらず、国際情勢の変化を受けてわずか数年で「自衛隊」という形で復活するに至った。
1945年7月、連合国から休戦条件(ポツダム宣言)が発せられたものの、日本側は国体(天皇主権)護持が保証されていないとの理由から、戦争継続を選択、二発の原爆とソ連参戦を招いた。それでも、御前会議において陸軍の大臣と参謀総長、海軍の軍令部総長の3人が「国体護持」「軍の自主的武装解除」「戦犯の自主的処断」を求めて、休戦に反対、本土決戦を主張したことは、十二分に強調されるべきだろう。この事実は、帝国軍が決して「国民の軍隊」ではあり得ず、天皇に奉仕する私軍であったことを示している。
実際、沖縄戦では県民の保護よりも軍の作戦や部隊保持を優先させた事例が山のように散見される。これは憲法や法律において軍のあり方が規定されず、軍や政府内において「天皇の私軍」という認識が共有されていた結果、「県民(国民)の保護は我々の任務ではない」と堂々と主張できる根拠になってしまったことを意味している。

ようするに「宗教的意義の天皇」など、とっくに死んでいるのです。

今あるのは「強者に媚びるエゴイズムの化身」ですかない、「天皇」

宗教的意義のある「天皇」を復活させるためには、天皇家を根絶させるのが、ベストです。

今日も、仏神に「天皇を根絶して 日本が安泰になり世界が平和になりますように」って祈りましょうか。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。



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