名将を使いこなせるはずもない。


抜粋
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今、ひそかに聞くところによりますと、魏尚(ぎしょう)が雲中郎(うんちゅうろう、山西省の長城付近)の太守になってから、軍中の市場の税金はすべて士卒の饗応に使い、自分に対する私養銭(しようせん)で五日に一度牛をつぶして賓客・軍吏・舎人を饗応したので、匈奴は憚って遠くにまで去り、雲中の要塞には近づきません。

過去に一度だけ侵入したことがありますが、その時、魏尚は車騎を率いてこれを撃ち、殺した敵の数が非常に多かったということであります。そもそも魏尚の士卒はみんな庶民の子であり、田畑の間から出てきて従軍しているのです。

それがどうして、尺籍(せきせき、斬首の功を示す一尺の板)や伍符(ごふ、五人の兵士の連帯誓約書)のことなど知っているでしょうか。一日中奮戦して、敵の首を斬ったり捕虜にしたりしてその功績を軍監府に上申するのですが、その文中にたった一語でも不適切なものがあると、文官が法に基づいて糾弾しその功に対する恩賞も無くなってしまいます。

しかも役人が法の名のもとに主張すると、それが必ず通るのです。私は愚か者ではありますが、これでは陛下の法はあまりにも明らかであり、賞はあまりにも軽くて、罰はあまりにも重いと思わざるを得ません。かつまた雲中郡の太守・魏尚が部下の功を上申した際、首級・捕虜の数を6つ間違えただけのことで、陛下は彼を刑吏の元にお送りになり、その爵を削って懲役刑になされました。

以上のことを総合してみると、陛下は廉頗・李牧を配下にしても使いこなすことはできないでしょう。私は誠に愚か者で、御意に障ることばかりを申し上げました。死罪に相当するでしょう

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抜粋終わり

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