そりゃ、戦争に負けるし、国家も衰亡する。
上記文抜粋
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男子校の性教育から見えた日本社会の「アキレス腱」
リセマム編集長・加藤紀子による連載「編集長が今、会いたい人」。第5回のゲストは、教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏。性の多様性、包括的性教育、ジェンダーギャップなど、さまざまなキーワードが叫ばれる今、男子校の生徒が性やジェンダーを学ぶ意味とは。
リセマム編集長・加藤紀子による連載「編集長が今、会いたい人」。第5回のゲストは、教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏。
東大合格ランキングで上位を占める一方、「男尊女卑」「エリート主義」と批判され、「ホモソーシャル」の巣窟ともみなされがちな男子校。おおたとしまさ氏の最新刊『男子校の性教育2.0』では、そんな男子校に広がり始めた性教育とジェンダー教育について、実際の授業や特別講義への取材を通して、彼らがどんな対話をして何を学び取ろうとしているのかを垣間見ることができる。性の多様性、包括的性教育、ジェンダーギャップ…さまざまなキーワードが叫ばれる今、男子校の生徒が性やジェンダーを学ぶ意味とは。
「女性への偏見を育てる?」批判されやすい男子校
加藤:なぜ今、男子校における性やジェンダーをテーマにした教育が大事だと思われたのでしょうか。
おおた氏:まず、男子校に対する世の中の風当たりが強いなということがひとつ。男子校の弱点とは明らかで、異性と日常的な関わりがないという部分です。もちろんそこがアキレス腱であることを当事者たちはわかっていて、そこへの手当としてどんな取組みが行われているのか興味がありました。
また、昨今は性やジェンダーに関する議論が盛んですよね。世の中のいろいろな人がいろいろなことを言うので、偏った論調や対立も大きくなりがちです。みんながどう扱って良いかわからない、いまだに向き合いづらい「性やジェンダー」というテーマと、「男子校」というニッチな領域。それらを重ね合わせて考えたときに見えてくるものがあるかもしれないという予感がありました。
加藤:確かに男子校に対する「男尊女卑の学校文化が醸成されている」「女性に対する妄想と偏見を溜め込んでいる」といった類の批判は多いかもしれません。でも、男子校って全国の学校の中でたったの2%。圧倒的少数派なのにそうやって叩かれるのは、東大合格ランキングで上位に君臨するなど、少ないのに目立つからですよね。
おおた氏:確かに、出る杭は打たれるといった側面も大きいでしょう。みんなが羨む進学校じゃなければ、おそらく批判は起こらないはずです。男子校でどんな教育が行われているのか、よく知らないからこそ勝手な妄想を抱かれやすいんですよね。
女子東大生が少ない本当の理由
加藤:まずはジェンダーギャップについて聞きたいのですが、現在、東大合格者数ランキング上位は男子校で占められており、特に都市部の男子中高一貫校出身者たちが東大の中で幅をきかせています。一方で、現在東大における女子の割合は2割に留まっています。東大では女子の入学者が増えないことも含め、多様性を課題として積極的に取り組もうとしていますが、現状ではあまり改善されていません。おおたさんから見て今の東大の一番の課題は何だと考えますか。
おおた氏:東大になぜ女子が増えないのかという課題について、やはりジェンダーバイアスが存在している部分は大きいと思います。男子がやれ受験だ出世だと競争社会に放り込まれる一方で、女子の方は「女の子なんだからそんなに頑張らなくても良い」と抑えつけてしまう。「学歴つけても結婚できない」「男社会だけど大丈夫?」といった言葉で、女性が最難関大学に入ることを回避させようとする社会的な圧力がいまだにあるようです。
加藤:確かに、同じわが子なのに、男の子だったら進学校に行ってほしいけれど、女の子だからほどほどで…みたいな話は今でもよく耳にします。東大女子の中には「数学できる女は女じゃない、中身は男」といった心無い発言を受けた人もいるようですが、昨今は理系教育に力を入れる女子校が増えつつありますし、理工系学部出身者は就職も良い。「女の子だから東大は行かなくても」といったバイアスは、かつてに比べたらだいぶなくなってきているようにも思いますが。
おおた氏:では、そういったバイアスを打ち消すことができたときに、東大が大学として魅力があるのか、というところですよね。いろいろな大学がそれぞれの色を出して、うちの学校に来てくださいとメッセージを発信しているなかで、東大は「男子が競争社会の中で優位に立ちまわるための“箔”をつけるための場所」というふうにしか伝わってこないことが課題のような気がしています。
加藤:自分たちのブランド力にあぐらをかいているということでしょうか。
おおた氏:言わずもがな、学ぶ人の性別に関係なく、東大は名実ともに良い大学です。良い大学なのに、その具体的な良さ、中身をもっとわかりやすく高校生や受験生に伝えていくべきなんじゃないかなと思いますね。
加藤:女子に東大の魅力が伝えきれていない、と。東大に男子が多いという背景には、男子校にいると周りがみんな行くから自分も…という同調圧力で東大を目指すみたいな風潮もありますよね。「東大以外は大学じゃない」くらいの勢いで、浪人することも厭わない。
おおた氏:そういう雰囲気を醸し出している学校もあると思います。加えて、「東大=勝ち組」みたいな価値観をもつ親に育てられた子供たちが、男子中高一貫校を経由して東大に集まっているのでしょう。
かつては都立高校の日比谷や西から東大に行くのが最強ルートだったのが、今は男子進学校から東大に行くのが最強ルートになっている。その間、女子の比率は低迷したままです。そんな長い歴史の中で培われた権威主義的な「男子校の亡霊」を、いまだに東大がまとってしまっているんですよ。
「生産・仕事・競争」の重視が社会のゆがみを形成する
加藤:「東大は最強の男子校」たるイメージの所以はそこにあるのでしょうね。おおたさんはご著書の中で、「別学・共学に関わらず、もともと学校教育が男性を想定したものであって、その結果が今現在のいびつな社会を形成している。男性社会的な価値観が色濃く残ってしまっている学校文化を変えていくには、社会や教育をかなり意識して変えていくことが必要になる」と指摘されています。
おおた氏:「教育自体がジェンダーバイアスを強化している」という教育哲学者の言説を紹介します。
社会学では、妊娠、出産、保育、養育、看護、介護、家計維持などいわゆる家庭的なことを「再生産過程」分野と呼びます。家庭やケア労働といったいわゆるエッセンシャル労働ですね。それに相対するのが「生産・仕事・競争」といった分野です。
もともと男性を想定した学校教育は、このうちの「生産・仕事・競争」に重きを置いていて「再生産・家庭・ケア」についてほとんど学んでいないのです。すなわち教育をされればされるほど、エッセンシャル労働である育児や介護といったケア労働が軽視され、家庭や地域社会が弱体化し、そして少子化が進行する。これこそが、日本ではすでに92%の高校が共学になっているのに、なぜ男女平等社会にはなっていないのかという問いに対する根本的な答えなのではないかと思っています。
加藤:経済発展を優先する価値観のもとで学校教育が進められてきた結果、家庭や子供を大切にできない社会になってしまった。学校を共学化すれば男女平等が実現するかというと、そんな単純なものではないということですよね。
おおた氏:再生産というのは、次世代を育てていくこと。そこに重きを置いていない限り「生産する人は偉い」「子育てよりも仕事」といった考え方が優先されてしまう。
でも、そんなわけないんですよ。ツバメだって子供に餌を与えるために飛び回るわけだし、動物だって子供を育てるために必要な分の狩りをする。仕事というのは、再生産のための手段に過ぎないのですが、「仕事=生き甲斐」みたいな錯覚を起こしているからおかしなことになっているんです。
加藤:「家庭よりも仕事ができる方が偉い」というような発想を刷り込まれると、より高みを目指して競争が起きる。家庭でも、教育熱心になるほど、子育ての目指す先が男女問わずそのような想定になっているのではないかと感じます。
まだ社会では、旧来的な「勝ち組」教育が、東大を頂点とした偏差値教育としてまかり通っていますよね。東大という言葉には「生産・仕事・競争」を連想させる強力な力があるというおおたさんの指摘は、ものすごく腑に落ちます。
おおた氏:東大や男子進学校だけの問題ではありません。経済界は、若者の国際競争力を高めろとさらなる競争を煽ります。「競争に勝ち抜くマッチョな人材たれ」というメッセージと、「旧来のジェンダーに囚われず多様性に開かれた協調的な人間であれ」というメッセージ。このダブルバインド・メッセージからいま、子供たちは逃れられません。
この強い男子校批判の逆風のなかで男子校が男子校であり続けたいのであれば、男子校は圧倒的なレベルで反性差別的教育を行い、包括的性教育を行い、むしろ日本のそういった教育の牽引者となる覚悟を示すべきです。そうすれば自ずと東大一辺倒の風潮が弱まり、教育競争も緩和し、社会のゆがみが緩やかに解消しめぐりめぐって少子化にもブレーキがかかるかもしれない…というのは本書でも述べた通りです。
偏った価値観からの脱却を
加藤:それがいかに難しいかですよね。ただ、本書には性を理解しジェンダーギャップを解消するための男子校の取組みがたくさん紹介されています。大人のように凝り固まった考え方に固執するのではなく、しなやかな感性で受け入れる彼らの姿に未来へのポテンシャルを感じました。
とはいえ、まだまだ日本の社会には、「再生産・家庭・ケアにこそ価値がある」というところがごそっと抜け落ちていると思います。男女問わずその価値を伝えていかないといけませんし、「競争こそに価値がある」と植え付けられてしまった男子に、「競争から降りたって良いんだよ」というメッセージを伝える必要がある。他方で、女子には「もっと頑張って良い」という両方でギャップを埋めていくことも大事だと思います。
おおた氏:同時に、私たちには知らず知らずのうちに「異性愛規範」がインストールされていることも自覚しないといけません。幼稚園・保育園で「女の子はこっちおいで」と2つの性別カテゴリーにわかれることから始まって、小学校では教室内で男子グループと女子グループが生まれ、中学校では男女別々の制服があってと、みんながそれを自然だと思うような教育を受けてきたのです。そもそもセクシャリティなんて多様で当たり前なのに、私たちの社会は「2つの性別」「異性愛者」というマジョリティに合わせて整備されていて、トランスジェンダーや同性愛者といったマイノリティには、生きづらさを与えかねない社会であること、それはなぜなのかといったことにも目を背けてはいけないと思います。
加藤:本当にそうですよね。「大学や企業におけるマイノリティ優遇は逆差別だ」といったアファーマティブアクションの是非を問う論争や、「女性専用車両は男性蔑視だ」みたいな議論もありますが、そんなのってトレードオフじゃないですよね。肝心なのは、それぞれの違いを認めつつ対等な関係性を取り結べるかどうか。
ただ、自分が普通だと思って見ている世界を疑うことって、実際には結構難しい。おおたさんのご著書に紹介されている性教育・ジェンダー教育の事例や今日の対談を通じて、親自身が、無自覚に偏った価値観の中にいることを自覚していかないといけないなと痛感しました。本日はありがとうございました。
読者の中には、子供の中学受験を考えるうえで志望校選びの一環として本書を手に取る方が多いかもしれない。男女別学、共学校という選択肢がある中で、学校説明会やパンフレットで語られることが少ない、男子校の性教育やジェンダー教育の現在地を知ることができるのはもちろん、親自身の意識に潜むジェンダーバイアスや性別役割分担意識について掘り起こして考えるきっかけとなる一冊だ。
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抜粋終わり
ジェンダーバイアスってことは、私は放置しておく。
なぜに、日本は補給軽視を今も続けているのか。
何故に、日本のフェミどもは、「弱者男性」を取り込まず、叩くしか能の無いアホなのか。
それの答えが「仕事というのは、再生産のための手段に過ぎない」て観点を理解できないからであり、そのような欠陥思想を教育で叩き込んでいるからである。
劉邦が、後方支援・補給担当の蕭何を勲功第一にし、
劉秀が、女性を顕彰したが、
その知見が、2000年後の先進国の日本には無い。
さすが「天皇」を崇拝する未開人社会である。
まあ、フェミに恥じる知能と品性があれば、天皇撲滅を言うのが、良識っていうモノだ。