悪政は、ちゃんと、報復。それが出来たまっとうな過去の会津市民。それができない現在の天皇家の家畜の日本人。
上記文抜粋
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ドラマや小説で歴史を再構成しちゃダメという話
こういう意見はわからんでもないが、武士=統治者側の視点でしかものを見ていない。幕末の会津藩は京都守護職を引き受けたせいで出費が嵩んで、増税、最終的には「七公三民」以上になった。農民からすれば、「年貢半減」を掲げた新政府軍に協力するのが当然で、道案内役を務めたり、会津側の荷駄隊を襲ったりするところとなった。
同じく薩摩藩は江戸期を通じて「七公三民」だったため、西南戦争では農民がこぞって新政府軍に協力したし、西郷軍は九州各地で強制徴発を行ったため、農民はこぞって政府軍の来援を望んだ。
対象的なのは江戸幕府で、財政が大赤字になっても多摩地域は「モデル統治区」として「四公六民」が維持されたため、新選組の基盤となった。しかし、それでも大半の参加者は「京で一暴れして名を挙げたい」一旗組であった。
農民ではないが、彰義隊の場合、幕臣6万人のうち参加したのは1000~1500人程度だった。もちろん我が先祖も不参加。参加者の多くは、「幕臣のくせに公儀に忠を尽くさないのか!」などと脅迫され、泣く泣く加わったという。我が先祖も含めて幕臣の大半は「頭おかしんじゃね?」というのが本音だったろう。
ドラマや小説は何でも劇的に描かれるため、どうしても上のツイッターのような意見(仕方ないと思うが)が増えてくる。いわゆる司馬史観と同じ弊害だろう。
長州藩の場合、藩政改革によって産業と税制を育成、農民の年貢は五公五民が維持された。さらに、町人や農民を士分階級に引き上げることで、末端ながらも藩政に参画させていた。結果、戊辰戦争に出征した長州藩兵8千人のうち農民・町人出身兵は2500人以上を占めていた。
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抜粋終わり
コメント欄にこんな風に書いた
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>増税、最終的には「七公三民」以上になった。農民からすれば、「年貢半減」を掲げた新政府軍に協力するのが当然で、道案内役を務めたり、会津側の荷駄隊を襲ったりするところとなった。
同感。
そういう観点を、日本史の今の界隈からあまり聞かない。
でも、世界史ならあ、当たり前のことでしょうね。中国史ならそれは、普通の話。
まだ「天皇の臣民」意識が抜けてないのでしょうかね。
>長州藩の場合、藩政改革によって産業と税制を育成、農民の年貢は五公五民が維持された。さらに、町人や農民を士分階級に引き上げることで、末端ながらも藩政に参画させていた。結果、戊辰戦争に出征した長州藩兵8千人のうち農民・町人出身兵は2500人以上を占めていた。
なんか、これは元就公以来の精神が生きて、これは旨い事行ったのかね。
三略の昔から「金を出せば、勇士ややる気のある知識人が集まる」
「庶民をいびると、協力しなくなるし、知識人・君子は見限る」って。
なのにね・・・やはり「天皇家の臣僚」の考えることは違います。
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藩に生活が壊されたから、藩に復讐をする。
国家が家族を殺したから、復讐も兼ねて、革命をする。
真っ当な話。
みんなのために我慢する・・ていっても、そのみんなが見捨てるのだから、当然「異議申し立て」をする。
特に、あの敗戦の責任者の癖に、「しらん」で逃げて、戦後日本の悪の根幹にいる「天皇」と、
そのさらなる凶悪犯の「天皇家の閨閥・財閥」を、放免しているは、不道徳の極み。
「お前が我慢したらいいのだ」ってのが、だいたい過ちだったのが、特に小泉郵政以降の日本で明らかになっている。
我慢していると、子供だと「いじめ自殺」で大人は「ブラック企業で過労死」になるのだしな。
同じく薩摩藩は江戸期を通じて「七公三民」だったため、西南戦争では農民がこぞって新政府軍に協力したし、西郷軍は九州各地で強制徴発を行ったため、農民はこぞって政府軍の来援を望んだ
天地は、天秤だ。庶民の命を大事する方に傾く。・・・て、清朝末期から、人民中国成立までの中国の、庶民の感想。
天皇とか言う詐欺師を野放しにしたことが、日本人の最大の過ちであったのだ。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
天皇を潰して 今日こそ 日本晴れ
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