無能の働き者・・・という悲劇。

より

上記文抜粋
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ネット情報の活用法 その1832

巷はアメリカ大統領選挙で、アメリカが内乱で分断するなどの大騒ぎだが、「強いアメリカを取り戻す」というトランプのフレーズは、この国では、どこかで聞いたような、お馴染みのCMのようなフレーズで、「強い国をとり戻す、美しい国ニッポン」で死んでいった某総理の弔いでもないだろうが、また懲りずに、トリクルダウンのトランプノミクスなどでもやるのかな、とか思いながら、昭和の、♪夏が来れば思いだす、遥かな空、赤尾敏♪の街宣車運動の、どこか懐かしくけたたましい犬の遠吠えのように聴こえてしまう、のは私だけだろうか?

そんな風に、空風が吹きはじめる、秋の米国大統領選挙をみていると、私には、米国が日本にしたことの繰り返しのようにもみえるわけなんである。性懲りもなく悪魔のやる事は古今東西代わり映えのないものなんだろう。エックスジアンがこの地球を支配したときから、それは何度も独裁者となった悪魔の僕により繰り返されてきたダメ押しの芸当で、現に何度も千日手で繰り返されているなかで、何も学べない学ばない人たちにより、何万回となく永遠に繰り返された憎しみの連鎖なのであろう。

まるでハロウィンの笑いを忘れた米大統領選挙だった。選挙そのものが醜悪なハロウィンという人もいるだろうが、最後に笑う者の笑いが最上なのを肝に銘じることである。ハロウィンというよりも、悪魔そのものを選ぶ日だったようにもみえる。果たして誰が笑えるだろうか?プーチンやネタニヤフなどの独裁者が笑っているかもしれない。

さて、あえて高次の宇宙人の視点に立ってみれば、人間という生き物は失敗から学ばずに、直接経験し、努力しないとわからない生き物なのだろうか?とも思うわけでもある。エメラルドタブレットで、トートは、宇宙の重要な法則の一つが、人間が生きる全ての行為はその人間が全責任を負う、ことだと戒めている。

だから自分のしたことは必ず自分で贖い償わないといけないわけで、誰かを虐げれば、必ず誰かから虐げられ、ハンムラビ法典にも、「目には目を歯には歯を」と書かれているわけで、キリストは、だから「目を失った人には目となってあげなさい。歯を失った人には、歯となってあげなさい」と、憎しみではなく、愛で物事を解決する、愛の学びを説いたわけなんである。

米大統領選挙をみていると、アメリカも無秩序な混沌としたカオスの海に堕ちていくようである。いまでは幻影ともいわれている、かつてのカオスの英国病と、非常に似通った状態になっているのは、いまの日本が英国病に倣って日本病と呼ばれているのと同じだろう。英国病をググると、その背景には、経済の停滞があげられる。そして、無責任な奴ほど、自分たちを棚に上げて、他者を見下し批判するのが、巷での賑わいで、その賑わいに乗じて興味深いので、英国病を例にして紹介する。


英国病 - Wikipedia
『国際競争力の低下
1960年代になると、国有化などの産業保護政策はイギリス資本による国内製造業への設備投資を減退させることとなり、(セカンダリー・バンキングで)資本は海外へ流出し、技術開発に後れを取るようになっていった。また、国有企業は経営改善努力をしなくなっていき、製品の品質が劣化していった。これらの結果、イギリスは国際競争力を失っていき、輸出が減少し、輸入が増加して、国際収支は悪化していった。
特に多くの労働者を抱えていた自動車産業は、ストライキの慢性化と日本車の輸出が活発化した時期(1970年代)が重なったことで壊滅的な状況となり、2000年代には外国メーカーのブランド名としてのみ名前が残っている。』

この英国病の一因に、「国有化などの産業保護政策が、国内製造業の設備投資を減退させ、労働意欲を削いで、経営改善努力をしなくなり、製品の品質が劣化し、国際競争力を失わせた」とあるように、保護策で経営者を甘やかしたツケで、国全体が病気になったわけで、人体も自我を甘やかすことで、肥満体質になって、運動しなくなり、疾患に罹りやすくなるのと同じ道理なのがわかる。つまり、人智学で読み解けば、企業経営者という自我を甘やかしたせいで、社会全体が病気に罹ったわけなんである。

この英国病に準えて、日本病と呼ばれているのは、「バブル崩壊以来の日本では、低所得、低物価、低金利、低成長の4つの低い状態が続いており、このような状態のことを言う。 1960年代から1980年代にかけてのイギリス経済を例える言葉として英国病というのが存在しており、日本病は英国病になぞられて名付けられた。」というわけで、その要因の一つが、日本の特に大企業の経営者を、政治家への賄賂の、企業献金で、法人税減税し、代わりに消費税を導入したせいで、格差社会を拡げて、いわば英国の産業保護政策と同じように、政府が税金で経営者を優遇し、競争から隔離したせいなのがわかる。

それはドラマ水戸黄門の悪代官と悪徳商人の馴れあい故の年貢徴収の村民虐めのパワハラ構図となんら変わりがないのである。政治家と経営者で「お主も悪よのう」と、悪を競い合っている搾取の構図なのである。

この構図を、人体に譬えれば、血液を頭部に集めすぎて、手足などの末梢や末端部に届かなくなり、手足から腐りかけてきて、生命力を失い、固体化し、その血栓が、心臓を通じて脳に流れて、脳梗塞状態に陥っているわけで、私見では、これは旧大蔵省の現財務省の責任にあるとみられるわけなんである。

企業献金などは政治家の権力の自己保身にのみ役立つもので、社会の成長や発展には全く何の役にもたたない、既得権益確保だけの無用で無能の長物だからである。だからモラルで禁じられているわけなんである。自分たちだけ得をしようという生き方は、まわりまわって、憎しみを増加させ、宇宙の法則では、自分だけ成長が止まり、置いてけぼりをくらい、自分たちの霊魂を退化させてしまうからである。

今生きているのは、自分の霊魂を成長させ、発展させるためである。だから、自分の生の行い全ては自分の全責任となるわけなんである。死んでも罪は消えない、次の生へとその罪が持ち越されるだけである。

つまり英国病は、英国資本で経営者を無能な働き者にしてしまったせいであり、しかも、その英国病を日本に金融ビッグバンで輸出し、金融ウイルス感染で日本病にしてしまい、日本の経営者を無能な働き者にしたせいで、日本の経営者は無能な金融資本ウイルスの感染者というべきかもしれない。なんだか媚びっと感染と似たような、また「欧米化」とタカトシの漫才でツッコんでほしいくらいでもある。

経営者が無能だと、競争力を失うのは当たり前の論理である。以前、ゼークトの組織論を紹介したが、組織において最も危険な奴が、無能な働き者で、無能の働き者の経営者が、この論理で、無駄な仕事を増やしてしまうので、馬鹿らしくなって誰も働かなくなり、労働意欲がなくなるのは当たり前で、しかもいくら働いても、階級制度のせいで、世襲制度で決まってしまうような官僚社会体制では、共産主義の失敗の繰り返しで、共産主義体制から移行した独裁体制から、独裁者をつくりあげて戦争を誘発し、起こしてきた失敗の繰り返しなわけなんである。


日本病 - Wikipedia
ゼークトの組織論とは|無能な働き者の特徴、4分類についてわかりやすく解説 | オンライン研修・人材育成 - Schoo(スクー)法人・企業向けサービス
このように英国資本が、英国病を日本に感染させたというわけで、同じように米国病として感染しているのは、米国の格差社会からも明らかで、このような階層社会では、強い権力者を求める幻想論が跋扈し、英国病が鉄の女と呼ばれたサッチャーで益々悪化したように、そのような人物が権力についても、恐らく、ハーメルンの笛吹きのように、大事なものを奪われた町民となるのが運命だろう。


ハーメルンの笛吹き男 - Wikipedia
その後、英国は北海油田で英国病を脱したといわれているが、近年のGDPの成長率をみても、日本よりは遥かにマシだが、前年比マイナス成長もあり、低迷と言ってよい状態である。同じことを言っているトランプがアベノミクスの安倍にならないように、米国民は、経営者を甘やかしてしまった日本国民の経験から学ぶべきだろう。

安易なコストカットに走った無能な日本の経営者がいま人手不足に悩まされるのは過去のツケがまわってきたせいで、自業自得というほかはないだろう。カルロスゴーンなどの経営者が話題になったときに日本経済の日本病がはじまっていたのである。いま思えば、金融バブルは、ウイルスに感染された患者がバブル熱に浮かれすぎて踊り明かした感染舞踏病だったわけである。


イギリスの成長率見通し、G20で最低に=IMF - BBCニュース
世界銀行が「アベノミクスは成果あげていない」と日本経済の成長率を下方修正=アメリカやイギリスの4分の1の低成長がアベノミクス3年目の結果で今後の見通しも同様 | editor
GDPは? 株価は? 意外と知らないイギリス経済 - MonJa〈もんじゃ〉お金と暮らしの情報サイト
無責任に政治に期待しても、自分のしたことは自分に返ってくるわけで、無能な働き者は、本人を無能にたらしめるだけなのである。というのも、経営者が、金銭勘定に夢中になり、かえって労働者に憎しみを増加させ、労働者に愛を与えるのを怠ったせいである。労働者に愛情を注がない経営者などは無用で無能の働き者でしかないからである。無能であるのなら、経営の資格、権力を行使できる能力がないのだから、一介の労働者として働くべきである。巷で偉そうに説教や講釈を垂れ流す経営者は、その前に、現場で働くべきである。トランプでさえも一日だけだがマクドナルドの現場で一介の労働者として働いている。

権力にふんぞり返り、胡坐をかいて憎しみを買うよりも、現場に出て愛を注ぐべきである。現場こそカオスの縁で生き物だからである。米大統領選挙の流れで、経済成長の話になってしまったが、そもそも生き物がなんで生きるのかを解き明かさない限りは、経済成長の話をしても絵に描いた餅で、無意味となるだろう。

エメラルドタブレットによれば、我々地上人は、地球の物質界に愛を学びにきているわけで、生命は、愛の意識から生まれるからである。神智学では、愛の意識を、ポジティブなエネルギーと呼んでいる。そして、愛の意識は、人体の太陽神経叢に蓄えられるのがわかっている。憎しみはネガティブなエネルギーである。

だから、経営者というのは、誰よりも、この愛の意識を太陽神経叢に蓄える必要があり、誰よりも愛を学ぶ必要がある。それが経営者の責任である。ただし、ここでいう愛とは、恋の欲望ではないので、色欲と錯覚しないでもらいたい。愛というと日本人のほとんどは色欲と捉えがちなんで、仏教の慈悲である。

愛を色欲に捉え、走るのも、日本社会の間違った男尊女卑教育のせいで、男らしく、女らしく生きようとして、性バランスを失わせ、かえって異性を求めるようになってしまい、精神的なバランスを欠いてしまうためともいえる。本来は、男女差別のない、人間らしく生きるバランスの道徳教育が重要である。時と場合において、男性らしく、女性らしく使い分けられるのが生命の本来の発情である。

というのも、憎しみを中和できるのが愛だからである。欲望は憎しみを増すばかりで、愛ではない。愛が無ければ人間の生命は成長しないのは、子育てでもわかる。だから経営者が愛人をつくったり、不倫などをするなどはもってのほかで、ドラマの世界だけで十分である。そういう経営者は組織をダメにするだけだから、江戸時代は穀潰しと呼ばれた。家族という最小単位の組織すらも破壊しているから、穀潰しなんで、穀潰しを脱し、日本のGDPを向上させたいのなら、経営者の意識改革が急務なのがわかるが、以下の記事などがそれを物語っている。


日本は、「無能な経営者」から改革するべきだ アトキンソン氏「働き方改革よりも急務」 | 国内経済 | 東洋経済オンライン
さて、前回は、1つしか脳をもたない脳科学者が、9つの脳をもつタコを越えられるか、超弦理論のトーラス構造から紹介してみたが、生命がバランスを現象化させることからもわかるように、脳は、愛の太陽神経叢と対極をなしているのがわかる。心臓が、愛のエネルギーを、時間を通じて送り、脳が、愛のエネルギーを、空間を通じて送っていると考えれば、太陽神経叢は、愛のエネルギーを宇宙から集めて貯める、時空ポテンシャルなのである。

エメラルドタブレットによれば、宇宙から愛のエネルギーを貯めるための入口は、頭頂部の大泉門だという。愛のエネルギーの次元、つまり意識の次元は、9つあるという。タコの脳の数と同じである。我々の宇宙は、8次元の壁によって仕切られているらしいので、9次元の愛の意識には到達できないという。我々の愛の意識は、9次元の壁により押し返されて反射され戻ってくるらしい。そして、我々の意識は、上から8番目の愛の意識で、上に7つの意識と、下に1つの意識があり、この上の7つの意識を、七福神でも有名な7つの神意識と呼んでいるらしい。

いま数学的な次元を使って表現しているが、この次元とは、数学的にいえば、一次元が線で、二次元が平面で、三次元が空間である。四次元には、時間が加わり、時空となり、5次元以上は、人間の覚醒意識ではもはや分解できないので、認識不可能である。5次元以上は、いってみれば、自他の存在がない世界といえるかもしれない。地上人の覚醒意識は、物質を破壊することで認識できる意識なので、破壊行為を超えた創造の、再生の行為を基にした認識らしく、それは潜在意識のことらしい。

人間も睡眠中に人体の再生を行っているので、4次元以上の潜在意識をみているはずなのだが、そのままでは3次元では分解できないので、起きたときに覚醒意識の記憶を用いて、この世の経験から、空間や時空を数学的に力学で割り当てて、夢のように解釈するしかない。非線形現象を、線形解釈し、線形思考を身に着けるしかできないわけである。そのために数学を構築したわけである。しかし、あくまで解釈できるのはカオスの縁までの線形思考だけである。

つまり、早い話、4次元以下の愛の意識しか感受できないので、自分勝手な個人の推測の、欲望に囚われてしまうわけなんである。そのかわり、経験と努力で、4次元以下の肉体には移り変われる。動物は自我の霊魂をもたないので、数学もなく、肉体から生まれる個性もないが、愛を直接感じ取れるので、家畜を除いて、個体的な欲望はない。

だから、人間が動物に生まれ変わる事もなく、動物が人間になることもない。もしそれが可能ならば、サルが人間に生まれ変わり、動物が人間に生まれ変わる、のもあり得るわけである。ダーウィンの、サルからの進化説は厳密には誤りで、サルと人間の共通の祖先から分かれたというよりも、人間の霊魂が、地上に暮らすのに適した肉体を選んで転生してきたといえるだろう。

このようにエメラルドタブレットにかかれた宇宙論によれば、9次元の愛の光の意識が集約した、宇宙微粒子コスミックダストが、オカルトで有名な不老不死のエーテルであるようである。だから、超弦理論は、エーテルを表現する数式なのかもしれない。つまり、タコの姿を超弦理論で再現すると、エーテルの実像が再現されるかもしれない。

タコの吸盤が丸くて引っ付くのは、愛の証なのかもしれない。そういえば、フーテンの寅さんには、有名なタコ社長が出ていたなぁ。貧しい生活でも愛情溢れる世界が演じられていたドラマだった。

♪今日も涙の日が落ちる。日が落ちる。自由には愛がつきものなんだよなぁ。寅さんは恋に破れ、家族の愛に救われるんだよねぇ。

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抜粋終わり

久しぶりにこの人の記事を引用します。

そもそも「日本の学校教育」は、無能の働き者を作るのが使命です。

自分で考えるようになると「天皇」など存在できないので子、ブラック労働やブラック校則など存在できないからです。

ようするに「日本人の家畜化」が日本の学校教育の肝心で、当然にその日本人の経営者も家畜になったのです。

人智学で読み解けば、企業経営者という自我を甘やかしたせいで、社会全体が病気に罹ったわけなんである。

多くの経営者は憤慨するかもしれない。でも現状はそのものでしかない。

その要因の一つが、日本の特に大企業の経営者を、政治家への賄賂の、企業献金で、法人税減税し、代わりに消費税を導入したせいで、格差社会を拡げて、いわば英国の産業保護政策と同じように、政府が税金で経営者を優遇し、競争から隔離したせいなのがわかる。

結局は「経営者」としては「無能だった」のは間違いない。ほかの仕事なら「有能」ってなってたかもしれないけど、それに気づかないのも「無能」

英国病を日本に金融ビッグバンで輸出し、金融ウイルス感染で日本病にしてしまい、日本の経営者を無能な働き者にしたせいで、日本の経営者は無能な金融資本ウイルスの感染者というべきかもしれない。なんだか媚びっと感染と似たような、また「欧米化」とタカトシの漫才でツッコんでほしいくらいでもある。
経営者が無能だと、競争力を失うのは当たり前の論理である。以前、ゼークトの組織論を紹介したが、組織において最も危険な奴が、無能な働き者で、無能の働き者の経営者が、この論理で、無駄な仕事を増やしてしまうので、馬鹿らしくなって誰も働かなくなり、労働意欲がなくなるのは当たり前で、しかもいくら働いても、階級制度のせいで、世襲制度で決まってしまうような官僚社会体制では、共産主義の失敗の繰り返しで、共産主義体制から移行した独裁体制から、独裁者をつくりあげて戦争を誘発し、起こしてきた失敗の繰り返しなわけなんである。

結局は、そういうことになる。。

世襲で富や生活をつなげるのはそんなに悪ではない。悪なのはその能力や人徳にかかわらず、地位や権力を世襲することなのである。
同じ生活を子供に続けてほしいのなら、世襲でなく「その子にあった稼ぎ」を見つけて教育するべきだが、それに気が付かないのも「無能」なのである。

無責任に政治に期待しても、自分のしたことは自分に返ってくるわけで、無能な働き者は、本人を無能にたらしめるだけなのである。というのも、経営者が、金銭勘定に夢中になり、かえって労働者に憎しみを増加させ、労働者に愛を与えるのを怠ったせいである。労働者に愛情を注がない経営者などは無用で無能の働き者でしかないからである。無能であるのなら、経営の資格、権力を行使できる能力がないのだから、一介の労働者として働くべきである。巷で偉そうに説教や講釈を垂れ流す経営者は、その前に、現場で働くべきである。トランプでさえも一日だけだがマクドナルドの現場で一介の労働者として働いている。

権力にふんぞり返り、胡坐をかいて憎しみを買うよりも、現場に出て愛を注ぐべきである。現場こそカオスの縁で生き物だからである。米大統領選挙の流れで、経済成長の話になってしまったが、そもそも生き物がなんで生きるのかを解き明かさない限りは、経済成長の話をしても絵に描いた餅で、無意味となるだろう。

無能な統治者の「天皇」を無能な経営者が崇拝する。当然の構図である。

少し別のはなしになるけど・・・

上記文抜粋
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百田氏の発言

こんなことは普通私は言わないが、こんな発言続けるようなら社会から姿を消していただきたい。女性を何だと思っているのか。命を何だと思っているのか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/22d672b990da7640b39be86c60e4eef486105057

日本の「保守」と呼ばれる中の一部には、こうした意見が少なくないらしい。以前、仕事でお世話になったことのある人から久しぶりに電話があって、今は日本会議で楽しく活動しているという。私は日本会議のリアルな話が聞けると思って、いろいろ興味深そうに質問を繰り返した。

で、どうやら浮かび上がってきたのは、定年退職して、妻や娘、嫁などから総スカン食らって腹を立てている高齢男性の慰めの場となっているらしい、というのが見えてきた。「今の女性は貞淑さが足りない、我々はそれを取り戻すべく、運動しています」と胸を張っていた。

どうも、家族のために一所懸命に働き、定年退職したら「あなたのおかげで私があります」と、妻や娘、嫁などから感謝され、尊敬される余生を送れると思っていたらしい。ところが「あ、そう」くらいの扱いを受けて、不当だ!俺はもっと尊重して扱われるべきだ!と怒っているらしかった。

別の、経営者が集まる会合で講演する機会があった時、似たような憤懣をぶつけられたことがあった。今の若い女性はけしからん、と怒っていた。自分に対する敬意が足りない、と。お金もあって社会的にも敬われる自分が、家族から尊敬受けないことに不満らしかった。

どうも、日本で「保守」を名乗る中の一定数で、「金も名誉もある自分がなぜ妻や娘、嫁から尊敬を受けられないのか」という日常の不満から、「保守」という看板のもとに「女性は貞淑であるべきである」という主義主張を政治運動として掲げるようになっているケースが少なくないらしい。

で、私はズルいから「そうですか、ほう、そうですか」と興味深そうに聞くから、データとしてかなり収集できたように思う。そして、その人たちには申し訳ないけれど、「そりゃ妻や娘、お嫁さんから拒否されて当然だわなあ」と、内心思わざるを得なかった。

結局はその人たちは、「家族のため」と思って働いたのかもしれないけれど、「お金さえ持って帰れば尊敬もされ、感謝もされる」と、浅はかな考えを持っていた気がする。でもそれ、女性の立場になって考えれば、札束で頬を叩かれているようなものではないだろうか。それで心を勝ち得るとは思えない。

女性に敬意を抱かず、常に下に見、昔で言う下女のように考えているのがわかるから、妻や娘、嫁から総スカンを食らうのだろう。自分の考え方、生き方、ものの見方に原因があって起きることなのだが、それを「女性が貞淑さを失った」と一言言えば、自分が正義に変わると信じているらしい。

しかし、そんな考えで、女性を何と思っているといえるのか。自分の母親まで、札束で頬を叩かれたら頭を下げ、尊敬し、感謝する人間だと考えているのか。自分の妻を、娘を、嫁を、そんな人間だと考えているのだろうか。そんな人をコケにした話はない。

そうした男性からしたら、「家族のためを思って身を粉にして働いてきたのだ」と言うだろう。実際、そうした人からそうしたフレーズを何度も聞いたことがある。そう思ったのは事実だろう。しかしこれまでも私は書いてきたが、「あなたのためを思って」はだいたいろくでもない。

「家族のためを思って」というフレーズには、大概、陰に陽に、意識してか無意識か、「期待」がある。家族のためを思って、あなたのためを思って何かをしたら、その見返りはきっとある、と、どこかで期待している。そしてその期待が裏切られると勝手に落胆し、失望し、そして怒る。

「あなたのためを思って」シリーズは、だいたい、「なのにあいつらは感謝もしない」と怒る感情とセットになっている。本人は「そんな期待などしていない、無償の愛だ」というのだけれど、無償の愛にしては怒っている。結局、期待した反応がないから怒っている、としか私には見えない。

本人からしたら、尊敬と感謝なんてお金のかかることじゃないんだし、何より実際に世話になったんだから感謝することくらい当たり前じゃないか、といういい分なのだろう。しかし札束で頬を叩かれた場合、私は、心の底から感謝はムリがあるように思う。内心は唾棄したい思いが湧き上がるだろう。

家族でいるということは、互いの敬意がなくてはならないと思う。けれど、お金を渡しているという自分の優位を信じている時点で、相手を軽んずることになっているということに気がつかないらしい。「お互いさま」ではなく、「金を払っている方が優位なのは当たり前だ」という考え方。

まさにこの考え方が、札束で頬を叩く行為だと気づいていないらしい。それが相手の尊厳を傷つけ、深く恨まれることになっても当然だということに気がつかないらしい。もし自分がそれをやられたら、たぶん歯噛みして悔しがるだろう。そのことに思い至っていないらしい。

百田氏の今回の暴言(いくらSFの話だとごまかしてもムダ)で、そうした日本会議に参加する高齢男性たちの話を思い出した。みんながみんなそうではないと信じたいが、そうした人たちは、女性の敬意を得ることは難しいだろう。そして拒絶され、結婚してもらえなくても当然だろう。

私が思うに、百田氏は日本を滅ぼしたいのだと思う。SFとごまかしたところで、日本の一定数の男性が、このような考え方を持っていることを明らかにしてしまった。ごく最近も、Facebookで似たような発言を別の人から私は目にしたばかりだった。どうも、こうした男性は少なくないらしい。

もし、たまたま結婚しようと思った男性がこうした考え方だったとしたら?あるいは舅がそんな人だったとしたら?女性は怖くて結婚をためらうだろう。百田氏が愚かでないならば、そこまで計算に入れたうえで発言している可能性がある。つまり、日本で結婚する人を減らしたいのだろう。

そして少子化を進めたいのだろう。百田氏は口では少子化を食い止めるため、と言っているが、その実、少子化を進めたいがための暴言と考えると、百田氏は実に見事に戦略的な発言をしているのだと言える。

もしそうではなく、百田氏が少子化を食い止めるつもりで本気で言っているなら、愚かである。百田氏が賢くて少子化を進めたいのか、愚かで少子化を停めたいのか、そのどちらかなのだろう。そのどちらにしろ、ろくでもないことは確かだ。

追伸

厄介なのは、恐らく百田氏は批判が来ることも承知の上で、「そうだそうだ!よくぞ言った!」と共鳴するおじさんたちの発掘をするのが狙いだろう、という点。そのおじさんたちも鼻白むような批判が来なければ、百田氏はむしろ味方を増やすことになるだろう。

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抜粋終わり

上記文抜粋
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家族という関係性に社会的成功もお金も関係ない


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という俳句そのものの人物もいる一方で、社会的に成功した人の中には、差別主義的な人が少なくない。「功成り名遂げたらみんなからチヤホヤされるはずだ」と考えていたらしく、自分をチヤホヤしない妻や息子の妻(ここではあえて「嫁」と書いておく)に怒ったり。

実業家と言われる人、成功している人は、周囲からチヤホヤされがち。もちろん社員などの部下はチヤホヤするし、社長同士の会合でも互いに相手の功績を称え合い、夜のお姉さんたちはもちろんチヤホヤしてくれる。チヤホヤだらけの環境で、すっかり勘違いしやすいらしい。

で、大金さえ渡せば家族からもチヤホヤされるはずだと考えて、アテが外れるというパターンに陥る様子。ではなぜ家族の場合、お金を渡しても尊敬されないのだろうか?チヤホヤしてもらえないのだろうか?それは、家族とは、お金とはまた別の、特別な関係性を結ぶものだからだと思う。

世の中には、最初から金目当ての女性もいるかも知れない。そういう場合は、ある意味、お金さえ家に入れれば尊敬し感謝してるフリを演技してもらえるだろう。でもたぶん、社会的に成功した人物は、そんな仮りそめの尊敬や感謝を求めているのではないだろう。真の尊敬、感謝を実はほしいのだろう。

ところが家族の関係性は、お金とは全く異なる次元で構築する必要がある。お金なんか埒外に置いて、相手の様子をよく観察し、必要なアプローチを重ねる。時に失敗し、素直に謝罪し、対応を改める。そうした歴史を繰り返し、積み上げることで家族の歴史は紡がれていく。しかし。

「カネを稼いでいるのはオレだ、家族はそのおかげでメシを食えている、ならば自分に従属し、屈従するのが当然だ」という考え方をすると、家族は反発する。家族は奴隷ではなく、家族だからだ。なのに、まるで会社組織の社員であるかのような屈従を家族に求めてしまうらしい。

こうした人たちは「説教くさい」という、不思議なほど共通した特徴を示すようだ。社会とは厳しいものだ、お金を稼ぐのは大変なものだ、お前は社会の厳しさ、お金を稼ぐことの大変さを知らない、と説教する。しかし、その説教は「その両方を実現した自分を尊敬しなさい」という裏メッセージが貼り付く。

しかし、社会的な成功も、お金を稼ぐことも、家族からしたら「外側」の話でしかない。あなたと私の関係性の中に、それらが何の関係あるの?という話。それよりは、パートナーが料理を作っている間に子どもの宿題を見たりお風呂に入れたりする歴史を紡ぐことが大切。外側のなんか関係ない。

「偉そうにしたい、お金さえ出せば尊敬され、感謝されたい」という、「外の世界」で通じた方法は、家族では何の役にも立たない。なのに家族にそれをし、空回りする。その空回りへの苛立ちが、差別主義的な世界観を持つ原因になっているらしい。「カネを出してるのになんで尊敬しないんだ!」と。

有名な女優が実業家と結婚した、というので話題になることがあるけど、離婚する事例がとても多い様子。これは、結婚前こそきれいだ、とかチヤホヤする側になり、優しくもするけど、いざ結婚すると、「オレを尊敬しろ、感謝しろ」という欲求が頭をもたげるからではないか。

家族の関係性を築くのに、社会的成功やお金は全くと言ってよいほど役に立たない。家族として過ごすその一瞬一瞬で、相手と優しさの応酬ができるかどうかで決まる。これは、これから社会的成功を願う人たちは、みな知っておいた方がよいと思う。社会的成功は家族には何の関係もない。

社会的には平凡でも、なんならそんなに尊敬されていなくても、家族を大切にし、家族が苦しんでいればどうやってそれを和らげられるかと奔走し、寂しそうならそばにいるようにし、そっとしてほしそうなら距離を置き、遊んでほしそうなら一緒に遊ぶ。相手との関係性を楽しむ気持ちがある人は、

家族から、かけがえのない人として認知されるだろう。それが家族なのだろう。

社会的成功をおさめた人は、家族を社員扱いしてはいけない。自分をチヤホヤする商売人と同じとみなしてはいけない。あなたの目の前にいる人は家族だ。家族は、社員でも商売人でもない。優しさを求め合う関係性だ。

家族とは、決して一方的な関係性ではない。必ず双方向的な関係性だ。もし「お前なんかいなくても代わりはいくらでもいる」なんて考えを少しでも持つなら、それはもう家族ではない。家族はかけがえのない、代わりの効かない関係性なのだから。

社会的成功を収めた人の中には、自分こそがかけがえのない存在だけど、家族の人間はそうでもない、自分に従うべき存在だ、と捉える人がいる。こうした人は、どれだけ社会的な名声を上げようと、お金を稼ごうと、家族には恵まれないだろう。家族を家族扱いしていないのだから。

家族の中では、「あなたのおかげで自分がいる」という感謝と敬意が必要。なのに、社会的成功を収めた人は、家族と言えど感謝したり敬意を示したら負け、と考える人が一定数いる様子。でも、それでは「家族」になれない。家族は必ず双方向的なのだ、ということを、ぜひ弁えて頂きたい。

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抜粋終わり

5dolphinンさんの言い草ではないが、「経営者~おやじ」に愛が無いか足りないのだ。

愛があっても、それを伝える法にかける・不足すると、伝わりきれない。下手すりゃただの自慰的満足に終わる。
ゆえに「親しき中にも礼儀あり」「主君は礼をもって使う」
その辺は、荀子や孟子とかは偉いな・・て思う。

その辺がわからない‥のが「無能」っていっても間違いはないかもしれない。

老子に「其の師を貴ば不、其の資を愛しま不らば、智きと雖も大ひに迷ふ」

「先生を大事しない・その道具や弟子を大事にしない・・なら迷うよな」

ていうのだよね。

かりに家族を道具扱いしてもそれを愛さないのなら、旨くいくはずもない。

まあ神妙な奥義とはよく言ったもので。。。「礼は往来を貴ぶ」なら、家族相手の無礼や無慈悲は、当然に無礼・無慈悲に帰ってくるのだ。
それに何世代も気づかない。それを無能という。

無能な経営者に無能の統治者の天皇。当然に日本は滅びます・天皇を根絶しない限りに。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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