水戸学と福音派・・・受験・試験はカルトの苗床でもあるし~。
負けを理解できないのが「福音派」
負けを理解できないのが「水戸学的神道・天皇教」
どっちも「耶蘇」が底流にある。
水戸学的なものは、平田篤胤の「和風キリスト教」が源流。
福音派は、「聖書主義」
どっちも「妄想」が起点だし。
追記
まあ、福音派も水戸学・神道も、権威主義思考に過ぎないのだろうよね。
そういえば、
絶対的に正しいと信じ込める「普遍的な理論」があると、それを認めず、その理論に反する行動をとるような人びとを、右派は「売国奴・国賊」、左派は「反革命・人民の敵」など呼び方は異なるものの、いずれも存在してはいけない人間と考えるようになり、極端にいくと「殺してもかまわない」と考えるようになってしまうのだ。理論の中身は違っても、思考のロジックは同じである。
「絶対的に正しいと信じ込める「普遍的な理論」」てのを突き詰めていくと、極端な考え方になる。
さらにいうと「唯一の真実・真理」を追う思考は、極端な考えにする。
これはちょうど「受験・テスト」も同じところがある。
中国史を見てて、科挙官僚が活躍しだす宋くらいから、外交政策が結構「極端」に振れやすいのを、何となく感じていた。
またそういう「極端」なモノが思想化したのが、朱子学でもあったと。
そもそも「受験」以前に、生き方として「唯一絶対」の「聖書だけ」の福音派と、
「唯一絶対の天皇を中心にする社会」を妄想する水戸学等神道が、
極端な「差別と迫害の社会」を希求するのは、当然のことであった。
日本は、さらに「唯一絶対の答え」を求める「受験・試験を中心にした学校教育」なので、さらにアホになる。それも明治からそれが始まっているのだ。
水戸学の「天皇を絶対にする、ほかは絶対平等の社会」など、不可能で、せいぜい「一見平等・内実はすさまじい格差と階級社会の西欧」くらいにしかならない。
すでに龍樹が、「そんなの無理」 て1000年以上前に喝破しているのだし。
空の思想史
https://1000ya.isis.ne.jp/0846.html
>しかし仏教、とりわけ初期大乗仏教は、すべてが空だと言ってのけたのだ。そればかりか、神の存在も自己の存在も否定した。神もなく自己もなく、世界すらない思想、それが「空の思想」である。ここを、
キリスト教のように神の存在を認めたら、他のすべてのものも実在することになる。そして、そこから神を別格に扱うには、そこにキリスト教のように実在の階層をつけることになる。
仏教はある時期からそれを拒否し、否定した。
水戸学も福音派も、実は虚妄だのよね・・・。
第一「天皇」って一切責任を取らない「最高責任者」を信じているアホの日本人に理解できるはずもない。