天皇家とその信者は、日本の侵略者である。天皇と言う残賊。
より
上記文抜粋
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ペルーのクーデターから得た教訓とは?
<記事原文 寺島先生推薦>
What Lessons Can We Learn from the Coup d’Etat in Peru?
筆者:オランタイ・イツァムナー(Ollantay Itzamná)
出典:INTERNATIONALIST 360°
2022年12月19日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2023年1月2日
2023年1月2日
無数の暗殺事件と共に、今ペルーで起こっていることは、土着民や農家や先住民やリマっ子たちは、今もそしてこれまでも市民ではないということの証拠である。これらの人々は、クレオール(ペルーの地で帰化した白人支配者層)が支配するペルー から見れば、「国内の敵勢力」でしかないのだ。
最近ペルーで発生している恐ろしい無秩序状態は、ペルーの支配者層が生み出した政治的混乱に端を発するものだが、このことから私たちは以下のような教訓を得ることができる。それは、
「金持ち連中の唱える民主主義に期待できることはなにもない」
ということだ。ペルーでは1821年から代議制民主主義がとられているが、政治面でも経済面でもましてや社会・文化的にも、民主主義が成し遂げられたことはいまだかつてない。実際の政治は、民主主義とは真逆の国の方向性が強められてきた。それは、「金持ちの白人たちがやって来て、私たちを支配した。私たちは喜んで彼らに従い、仕えます」という姿だ。
しかしこれまでのそんな馬鹿げた姿から逸脱し、田舎に住む一人の貧しい農民が、リベラル民主主義の正当な手続きを踏んだ上で、建国二百年のクレオールが支配するこの共和国の大統領となったのだ。そしてそれを決めたのは、市民が投票で示した意思の結果だった。リマ在住のクレオール支配者層はこの農民出身大統領を、報道機関の説得を利用して手懐けようとした。 躊躇いは見せたものの、この大統領は持ちこたえていた。それで、クレオール支配者層は、政治的な罠という策略を仕掛けたのだ。そう、まさにインカ帝国のアタワルパ*(1532)に対して行われたのと同じ手口だ。そうすることで、支配者層は、新自由主義の宴を保持したのだ。その宴には、先住民の農民たちが流す血の匂いがただよっている。
[訳注]*アタワルパ(1500ごろ~33)、インカ帝国最後の皇帝。帝位をめぐる争いで兄ワスカルを破るが,スペイン人征服者のピサロに捕らえられ,絞首刑となった。
先住民の人々は市民ではないのだ。先住民や農民たちの人間的価値を認めないことが、ペルーでも、建国二百年を迎えた同地域の他の諸国でも、クレオール支配者層のもとでの共和制の骨格となっているのだ。先住民の農民たちは、人ではない。つまり市民(政治における主権者)になどなれるわけなどなく、動物のような下僕とされ、容赦なく文化的にも生物学的にも抹殺される存在なのだ。
これらの先住民や農民たちは、ご主人様に投票することは許されているが、自分たちと同類の人々を選ぶことは許されていない。そんなことをしたり、自分たちの投票権を守ろうと示威活動を行ったりすれば、 ご主人様たちから懲罰を受け、殺されることになる。しかも、その模様は生中継されるだろう。
無数の暗殺事件(既に政府の手により30件以上の暗殺が起こっているという話だ)と共に、今ペルーで起こっていることは、土着民や農家や先住民やリマっ子たちは今もそしてこれまでも市民ではないという事実の証拠だ。これらの人々は、クレオールが支配するペルー から見れば、「国内の敵勢力」でしかないのだ。
建国二百年だとも思わないし、祝う気もない。ペルーの人々は、ほかの国々の人々と同様に、覚めない幻覚の中で暮らしているのだ。人々は、ペルー国歌を(フランス国家のマルセイユの歌と同じリズムで)歌っている。まるでそのリズムが自前であるかのように、だ。 ペルーの人々が、愛国心の象徴として揚げる国旗は、真ん中が白色という人種差別的な旗だ。ペルーの人々が国家の英雄として賞賛しているのは、強姦魔や暴力的な性格の持ち主たちだ。ペルーの人々は、クレオールたちが指定した愛国記念日を祝っているが、愛する我が国が何のために、そして誰のために奉仕する国なのかを自問しようともしていない。
実際のところ、クレオール支配下で建国二百年を迎えたペルーでは、国民の大多数は、真のペルー国民やリム市民になろうとこれまでどれほど努力してきたかにも関わらず、「教育」や優生思想のもと、スペイン植民地時代の人々よりも悲惨な生活を強いられている。
大多数の国民にとっては、この200年間は侮辱、殲滅、さらなる殲滅、隷属、自己隷属の歴史だった。
人民なくして、革命はありえない。
リベラル民主主義の落ち度は、政治的勝利は個人の投票で成し遂げられるのに、それを維持するのは組織による支配であることだ。この制度はご主人様たちには都合がいいものだが、大多数の国民にとってはそうではない。人々の活動分野は、今も昔も以下の三つだ。それは、投票箱+組織+住民運動だ。
ペドロ・カスティーリョ前大統領と彼を取り巻く人々は、この基本構造をまったく理解していなかった。だから、前大統領陣営は、街や共同体や地域共同体を組織しようとしなかった。それでこの12月7日にクーデターが起こったとき、カスティーリョ前大統のそばには、一人の弁護士しかいなかったのだ。
しかし、真実は常に想像の世界を凌駕するものだ!市民と見なされてこなかった国民たちが、カスティーリョ前大統領が政治的な躊躇いを見せた中でも、ペルー中のあちこちから、蟻のように出現したのだ。その規模は大きく、クレオール支配者層のご主人様たちや、そのメイド(ディナ・ボルアルテ現大統領)が、その火を必死に消そうとしたが、逆に火に油を注ぐ結果になるほどだった。そして今、ペルーは燃えている。
盲点になってしまっている状況を防ごう
ペルーのこの政治的混乱は、新自由主義に毒された知識階級により、維持され、再生産されているのだが、これはペルー「独特の」法制度の結果、次々と発生しているのだ。現行の1993年憲法は、現在投獄されている独裁者アルベルト・フジモリ元大統領が起草し、署名したものだ。この憲法のもとでの法制度のせいで、このような混乱状態が引き起こされ、常態化している。具体的には、大統領職が空座になったり、 国会議員により行政府の大臣職が奪取されたりするなどの混乱が起こっているのだ。憲法上の規定により引き起こされているこのような異常な状態により、既にペルーは、世界で最も混沌とした国と化している。こんな憲法を持つ国は、南米大陸のどこにもない。
現時点で、ペルーは、法的にも制度的にも、盲点の国になっている。しかも危険な盲点だ。街の人々が新しい選挙や新しく憲法を改正する手続きを要求している。これに対して、クレオールが支配するこの国は、人々を殺そうとしている。議員たちは、選挙の実施を望んでいない。大統領職を強奪したディナ・ボルアルテ大統領は、ごり押しで権力を手にしたため、退位する気はない。この状況においては、ペルーの政界がどこに向かうかは、全く不透明だ。
また同じ人を選ばされることになるのだろうか?遅かれ早かれ、ペルー国民はまた、投票所に呼び出され、新しい支配者を選択させられるだろう。その決め方は以前と同じで、これまでと同じご主人様たちのお仲間の政党しか存在しない中でのことになるのだ。そして確実に、その結果もこれまでと同じになるはずだ。
街中で反対運動に繰り出している人々や勢力の中からは、人々の声を代弁する真の指導者が生まれることは間違いないが、そのような指導者たちには、自前の組織や政治的手段がない。そうなれば、(右派でも左派でも社会民主系でも)新自由主義的な政党に迎合するしかなくなる。
ご主人様を信じるのはやめよう。クリオールたちのことも 。リマの支配者たちも。リマっ子のことたちも。尊大な大ボラを吹くこともやめよう。リマやリマ当局関連の報道機関は見ないようにしよう。今この1000年の歴史と精神を有するこの国に、またとない好機が訪れている。政治的にまとまろう。自前の政治的手段を手にしよう。 自分たちの目標をしっかり見据えよう。そうすれば、人口の多数派が政界でも多数派となることができるのだ。
(ペルーの文学者)アルゲダス*の「全ての血」という呼びかけを思い起こそう。しかしもっと大事なことは、全ての血を感じ、本当であると信じることだ。そして何よりも、お互いが平等であることを認識することだ。
[訳注]アルゲダス(1911‐69)、ペルーの作家,文化人類学者。14歳までケチュア族とともに育ち,彼らをさいなむ差別と虐待に接した体験から,ケチュア語とその文学の復興,原住民の人間的諸権利の回復と擁護に努めた。代表的なものに,《水》(1935),《ケチュアの歌》(1938),《深い河》(1958),《すべての血》(1964)などがある。
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抜粋終わり
ペルーでは、先住民=国民の大部分が、国民ではない。もっというと2級市民=奴隷なのが、現状なのである。
日本も同じだ。
天皇家とその閨閥と、その優良な飼い犬たるセレブどもが、上級国民。
在日や部落の人たちで天皇家やその犬に従順な人たちが、1級市民。{背乗り}
在来日本人・非天皇の在日・外国人が、2級市民=奴隷と家畜。
もう、天皇家やその犬どもの言う政治思想は信じれない。
まずは「天皇および皇族即斬」のみが、日本人と日本の衆生の、唯一の活路である。
天皇を卒業し 供養し 浄土へ送る
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように