「良い伝統」も、検証や錬磨されないと悪の温床になる・・。まして「国家権力」絡みでは

より

上記文抜粋
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落語界の名跡「三遊亭圓歌」の”壮絶暴言&暴力”を弟子が実名告発

落語の世界に限らず、”師弟関係”は、厳格な上下関係を前提としているが、その一方で、師の弟子に対する愛情、弟子の師匠に対する尊敬があって初めて成立しうる全人格的な関係であるべきはずなのだが....

「落語の世界ですから、師匠の小言は弟子にとって金言だと思っています。でも、暴言と暴力は、決して“小言”ではありません。そのことに気づくのに6年、外に向けて声を上げるのに、さらに4年以上もかかった。いま師匠にはっきりと言いたい。お願いですから僕を早く正式に“破門”してください」

絞り出すような口調で落語家・三遊亭天歌(二ツ目・40)は、自身の師匠である四代目三遊亭圓歌(63)に向かって訴えた。圓歌とは、名跡「三遊亭圓歌」の当代であり、20年からは落語協会の理事も務める大物落語家である。

そんな大物の師匠に向かって、弟子の方から「破門にしてください」とは、穏やかではない。落語の世界で師匠が弟子に告げる破門は、弟子にとっては落語家の“死”を意味するからだ。それでも天歌は、師匠である圓歌に、そう訴えるしか生きる道がないと判断したのである。

憧れの圓歌に5年越しの入門志願で弟子入り

天歌が圓歌に入門したのは、09年12月のこと。

「僕が子供の頃には、師匠(当時は三遊亭歌之介)の落語を当たり前のように聞いていました。というのも、師匠は鹿児島県出身で、僕は隣の宮崎県出身なんですけど、すごい人気だったんです。どの家庭にも歌之介のカセットテープが当たり前のようにありました。こんな面白い人がいるんだって改めて衝撃を受けたのは15歳の頃。高校の文化祭に師匠がゲストで来たんです。伝統的な落語というよりは、漫談風落語とでも言うのか、当時の時事ネタや地元ネタを織り交ぜて、面白おかしく話すんです。体育館が揺れるくらいにウケましたよ。すごいな〜って。師匠のような何か表現できる仕事をしたいなーって。

大学を卒業する頃には『落語家になりたい。師匠に弟子入りしたい』と、思うようになりました。それで、『弟子にしてください』と、手紙を書いたんです。そうすると、師匠から電話がかかってきて、『親の了承がいる』と言われて、一旦は諦めました。それからアルバイトでお金を貯めて、再度、師匠に弟子入りをお願いしようと決めたんです。そして、27歳になった時、ようやくお金も貯まったので、親を説得して上京してから『弟子にしてください』と手紙を書きました。そうしたら、すぐにお電話いただいて『弟子にしてやる』と」

念願の弟子入り。しかし、暴言、暴力はすぐに始まった

天歌は圓歌の自宅近くにある事務所に住み込み、そこから毎朝圓歌の自宅に通い、掃除や身の回りの世話をするようになった。暴言、暴力はすぐに始まったという。

「こっちが何度もミスして最終的に怒鳴られるのは仕方ないですけど、よくわからない理由で突然キレられて殴られたり、坊主にさせられたり…。それ以上にキツかったのは、大声での恫喝です。師匠は突然キレて、すごい大きな声で恫喝してくるので、身体がビクッと反応してしまうんです。僕は叱られることに耐性が強いと思っていたのですがダメでした。身構えても予想の10倍、20倍を超える感じで来られるので。誠心誠意謝っても師匠の機嫌で、『正座してろ』だの、『坊主にしろ』だの…」

「弟子が悪い」が、大前提の古い体質

それでも最初は、「芸事の世界なんだからこんなものかなって思った」という。しかし、入門してから半年後、ようやく寄席に通うことが認められて、他の師匠もいる楽屋で働くことになると、自分の師匠が「普通ではない」ということに初めて気がついたという。

「他の師匠方や先輩方はミスがあっても小言を言うくらいなんです。うちの師匠とは全然違いました。他の師匠からも『お前のところは大変だな』と言われることも少なくありませんでした。特に、うちの師匠は暴言、暴力の後、『破門だ』と責めた後、頻繁に、『坊主にしてこい。そうしたら許してやる』と言うので、坊主にして楽屋に行くと、当然、他の師匠は『なんかあったんだな』と思います。ただ、そうした時に、かけられる言葉というのが『お前、なにやったんだ?』なんです。『弟子が悪い』が、前提なんですよ。これが落語界の体質なのかって思い知らされましたし、師匠のことを悪く言うことはできませんから、『なぜ罰まで受けなきゃならないんだ』と、心の中で叫んでました。本当に惨めでした」

13年1月にはこんなことがあった。当時、圓歌の弟子たちで、ある飲食店で定期的に落語会を催していた。その日、フラッと現れた圓歌は、弟子の一人がシャツの裾をズボンの中に入れていないことに激昂、天歌を含む弟子3人を板の間に正座させた。居合わせた客が圓歌に泣きながら「師匠、お願いですからこんなことは止めてください」と頼んでも怒りはおさまらず、弟子たちを晒し者にし続けたという。

「謝罪をして、頭を坊主にすれば許してやる」

そう言われて、天歌は嫌々頭を丸めた。何かあれば、暴言、暴力の後、「破門だ」と言われ、「坊主にすれば許す」ということが何度も繰り返されたという。

上野の路上で殴打され、警察が駆けつける事態に…

天歌の心が完全に圓歌から離れるきっかけとなったのは、17年7月のことだった。

「弟弟子が『あまりにつらいから他の一門に移りたい』と言い出し、僕も『じゃあ僕も一緒に行きたい』と話をしていたんです。その会話が圓歌の耳に入ってしまった。数日後、圓歌が電話をかけてきて、『お前ら今日謝らなかったら破門にする。坊主にしてから、上野広小路にある寿司屋に来い』と言われました。

これは明らかに暴力を振るわれると思い、坊主にして、初めてICレコーダーを持って行きました。寿司屋に着くと、『表で待っていろ』と。待っていたら出てくるなり、いきなり本気のビンタが飛んできました。勢いで身体が吹っ飛んで、お店のガラスにぶつかりました。たくさんの通行人の前だったので、通りすがりのサラリーマンの方が圓歌を止めてくださいました。圓歌はその足で先に帰ったんですけど、その後、警察の方が来て、『通報があったんですけど何があったんですか?』と。私たちは警察の方に『大丈夫です』と告げて帰っていただきました。それが、初めて一般の人の前で受けた暴力でした。その出来事まで暴力が当たり前だったので、それが犯罪に当たるなんて思ってもなかった。でも、『世間の人にとって手を上げることは犯罪なんだ…』と、初めて気付かされたんです。

この事件で、私の心は圓歌から確実に離れました。これまではいくら暴行されようと詳細な記録は残さないようにしていました。やっぱり圓歌への尊敬はあります。そんな師匠からの暴行は思い出したくないからです。でも、これ以後、できる限り証拠を残そうと考えるようになりました」

そこから4年以上、天歌は圓歌からの暴言、暴力を記録し続けた。以下、天歌が記録した圓歌の暴言、暴力の事例を列挙する。

○19年3月21日

四代目圓歌襲名初日、弟子が「おめでとうございます」と、声をかけると、機嫌が悪かったのか、「めでたくない!」と激昂。興行初日、何かと天歌のミスを怒鳴り声で指摘。翌日に突然、破門を告げる。

○19年11月4日

福岡駅から福岡空港に向かう際、興行担当者がタクシーを用意し、担当者と天歌は先に荷物を積み、タクシー乗り場で圓歌が来るのを待っていた。ところが、圓歌は単独行動で電車に乗り空港に向かってしまう。これは、圓歌が段取りを間違えての行動なのだが、天歌がついて来なかったことに激昂。福岡空港で、天歌の沖縄行のチケットを没収。「自腹で沖縄まで来い」と言う。天歌が了承し、「一旦キャンセルしないといけないので、チケットを渡してください」と言うと、大勢の人がいるロビーで床にばら撒き「拾え!」と強要した。

○20年1月10日

圓歌が天歌のミスを指摘。いきなり「破門」を告げる。天歌が謝罪するも、「坊主」を強要。

○20年12月14日

圓歌が仕事終わり、自身の着物を持って帰るように天歌に指示を出す。天歌はいつも通り、圓歌宅へ行き圓歌の妻に着物を渡した。だが、圓歌が深夜自宅に戻ると、妻が失念し、放置されたままの着物を見つけた。すると、天歌に対し「かみさんに、きちんと伝えなかったお前が悪い」と激怒。さらに「今後俺の視界に入るな」と激昂した。さらに大晦日に元旦の打ち合わせをすべく圓歌宅へ電話を入れると、圓歌から怒りのメールが届いた。「かみさんに連絡するな。同じ市に住むな。引っ越ししろ」と、強要される。

○21年1月3日

コロナ禍のために、おかみさんから「元旦は圓歌宅に行かなくても良い」と言われていたので、行かないで自宅で待機していると、圓歌より、「紋付袴で、なんで楽屋で待ってないんだ!」と激怒される。説明をしても怒りが収まらない。

そして、運命の22年2月20 日がやってきた。

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抜粋終わり

その三遊亭円歌氏は、才能はあっても「精神科加療が不可欠」な人間であると推測される。

もっというと、重度の精神疾患でもあろう。

弟子を取る以前に、精神科医に見てもらうべきレベルで、もっというと過去の履歴を見ると、刑務所に行くべきレベルかもしれない。



より

上記文抜粋
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破門を受け入れると決めた2022年2月20日

そして、運命の2022年2月20日がやってきた。

四代目三遊亭圓歌(63)は浅草演芸ホールでの10日間の寄席興行でトリを務めていた。この間、本来であれば、三遊亭天歌(40)と弟子たちは何日か楽屋に顔を出さなければならない。しかし、当時、東京都は『まん延防止等重点措置』に指定されていたため、協会からは「楽屋で待機しないように」と通達が出ていた。圓歌は協会の理事であり、当然そのことを知っている。その直前の興行でも、圓歌がトリを務めたが、コロナ禍のため弟子たちは1日も楽屋には行っていない。

「それでも不安だから、興行が始まる前に女将さんに『師匠に僕たちが楽屋で待機していた方がいいのか聞いていただけますか?』と伺ったんです。そうしたら、女将さんは『残らなくていい。帰っていい』、そう仰いました。念のため、5日目の前日にも女将さんに確認を取りました。圓歌はかなり亭主関白で、女将さんも怒られたくないので毎回師匠に確認を取ってくださっていた。つまり、師匠も知っていたはずです。ところが、8日目のことです。師匠から電話があって『千秋楽は残っていろ』とだけ言われました。これはなんかあるなと嫌な予感はしたんです。それで千秋楽楽屋に行ったら、いきなり頭を殴られて、破門を言い渡されました。

噺家にとって初日が一番大事なんですが、初日に弟子がいないと思ったなら、その時に言えばいいじゃないですか。それをあえて放っといて8日目まで黙っていて、キレる。これはもうキレるために意図的に仕組んだなと気づきました。人を試す人なんだと。随分前から心は離れていましたけど、初めて『はい、わかりました』と、破門を受け入れました」

師匠との戦いの日々

「そもそも圓歌の理不尽で破門させられたわけです。だから、どこか別の師匠のもとについて再起を図ろうと思いました」

ところが、2月24日、圓歌本人から天歌の携帯にショートメールが届く。内容は、

「2月中に詫びがない時は破門とす」

とある。

・・・・・・・中略・・・・・・・

これは、どういうことを意味するのだろうか。

「つまり、最初から破門にする気なんてなかったってことです。暴力で支配して、弟子が辞めそうになったら『破門』を盾に弟子を黙らせる。そういうことをずっと繰り返してきただけだったんです」(天歌)

訴訟を決意
そうして天歌は、訴訟を決意する。12年間に渡る暴言、暴力に対する謝罪と慰謝料の請求。さらに、破門を言い渡しているにもかかわらず、協会に破門届を出さないのは、『偽計業務妨害』にあたるのではないかと訴えた。3月30日付けで、圓歌と一般社団法人落語協会に対し、内容証明郵便を送付した。落語協会には、

「圓歌の暴言、暴力、そして『破門』を何度も宣告するようなやり方を『後進の育成方法』として承認・黙認しているのか否か」

「パワーハラスメント等の防止に関する普及・教育活動を行うことについてどのように考えているのか」

の2点を問う内容となっている。

落語協会会長へ告発
4月12日、圓歌の弁護士から天歌の弁護士に電話が入り、「圓歌の元に戻る気はないか?」と問い合わせが来たが、天歌の弁護士は「戻る気はない」と返答。その二日後に、内容証明の質問事項に対する回答書が届く。だが、その内容は、師匠と弟子の精神論を書き連ね、話し合いで解決するよう『お願いする』という内容になっており、過去の暴力行為に対する謝罪は一切なかった。

5月10日、今度は、落語協会からの回答書が届く。それによると、

「会員に対して、夏の寄合などの場で、パワーハラスメントの防止を含むコンプライアンスの遵守を呼びかけている」

との回答であった。しかし、「夏の寄合」は、会員が揃いの浴衣を着て行われる親睦会に過ぎず、天歌自身も何度も参加しているが、パワーハラスメントに関する講義などは一切行われたことはないという。

その後、6月10日に協会会長の柳亭市馬(60)と、協会事務局長、協会弁護士、そして天歌と、天歌の代理人弁護士の5人で話し合いが行われた。その席で、市馬は、

「(圓歌が)言うことを聞くかどうかは、わからないよ。ただ、まあ、弟子を持つ師匠たちは…まあ…ゲンコツみたいなこういうことしたらね、そりゃあもう、あり得ないことだよ。今の世の中ね」

「我々が圓歌さんに『行き過ぎでしょ。ちょっと』と、言うことはできる。できるんだけれども。うーん。それを再三再四聞かなければ、そりゃまた、えー…理事としての資格を、資格がないと考えるよ」

と、天歌に語っている。加えて協会弁護士は、天歌の主張は「法的に見ても正しい」と発言。つまり協会弁護士は、圓歌が天歌に対し2月に「破門」を言い渡したにもかかわらず、現在に至って破門届けを協会に提出しないのは、「偽計業務妨害にあたる」と認めているのである。しかし、現時点で協会がこの件について具体的に対応をしている様子はない。

圓歌による数々の嫌がらせ
その1週間後、圓歌から直接、天歌の携帯にメールが届く。

「廃業届を私に出してください。それがないと破門届が出せません」

とある。これは落語界に詳しい人であればわかるのだが、明らかな嘘である。

本来「廃業届」とは、落語家を廃業し、協会から脱退するときに出すもの。もし廃業届を出してしまうと、協会には残れず、落語家としての再起は困難になる。それに対して「破門届」は、師匠が弟子の「破門」を協会に出すもので、受理されれば師弟関係は解消されるが、協会員として残ることができる。ハードルは高いが、他の師匠のもとで再起を図る道もある。

その事実を協会理事の圓歌が知らないはずはなく、圓歌は天歌を協会から追い出そうとしたのではないかと考えられる。さらに圓歌は、

「宮崎の親御さんに会いに行きます」

と、天歌にメール。この件に関し、事前に天歌の弁護士が「当人同士連絡を取らない」「天歌の実家に通知を行なわない」ように、内容証明で通知している。それにもかかわらず、その翌日、圓歌は天歌の実家へ直接電話をかけている。そこで圓歌は天歌の父親に、

「今回の天歌の動きは、小さい頃にいじめられていたからではないか」

と、いたずらに親を不安に駆り立てる発言をしたという。

最後に訴えたいこと
「僕はこの12年間、ことあるごとに暴言を吐かれ、暴力を振るわれてきました。圓歌から破門と言われるたび、人生が終わったという絶望感を何度も味わった。それでも歯を食いしばって圓歌についてきました。今回の件の後、僕のことを慰めてくれる先輩もいます。でも、その言葉は、『お前、十何年も我慢してきたじゃないか。頑張ってたじゃないか。どうして、もっと我慢できないんだ?』といったものです。

立場が上の者に逆らえないから、業界は被害者の我慢を当たり前とするんです。でもいい加減、指導の名のもと手を上げ続けた加害者を非難すべきです。でも落語業界にいる人間は、立場が上の者に逆らえないんです。もちろん、落語家は続けたいです。でも、一度、師匠に反旗を翻した弟子をとってくれる他の師匠がいるとは思えません。改めてですが、師匠と弟子の関係だから、暴力は当たり前というその考え方は絶対に間違いだと思います。落語業界もこの事実に真剣に向き合うべきでしょう」

落語協会会長の柳亭市馬の事務所は、取材に対し、

「他の師匠と弟子の関係についてコメントを出すことはない」

と、回答。

落語協会事務局も返答を避けた。

いまだ圓歌は、天歌の「破門届」を提出している形跡はなく、落語協会の理事の座にもとどまっている。天歌の本当の戦いはこれから始まる。

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抜粋終わり

「他の師匠と弟子の関係についてコメントを出すことはない」
と、回答。
落語協会事務局も返答を避けた。
いまだ圓歌は、天歌の「破門届」を提出している形跡はなく、落語協会の理事の座にもとどまっている。天歌の本当の戦いはこれから始まる。

落語協会も「コンプライアンスが機能しないので、資格はく奪」が起きるかもしれないな。

あと、この件が示すのは

「伝統や、ギリギリの人間関係の微妙さを利用した、無限の収奪構造 も 存在しているのが現代日本」

てこと。

統一教会の「宗教法人はく奪」に腰が引けているのが、ひとつのそれで。

同様な「迫害・搾取」を繰り返してきた既得権集団は、当然困るので、断固「あいまいにして逃げる」

それの典型が「天皇」だよな。

そういえば、イスラエル人が、天皇の官僚に殺されているよね・・

横浜拘置支所で勾留中のイスラエル人死亡

まあ、侵略者に期待しないといけないのが悲惨だが、まあ侵略者どうような日本人破壊魔の天皇を駆除するには、「毒を持って毒を制する」しか、「天皇」というカルト宗教国家では、やむなしか・・

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


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