その通り・・・スピには、背景になるモノが怪しい・無いので、用心すべき。信じない方が無難・・。
土台を固めないと、大きな構造物はできない。
無論「師匠につくにしろ、弟子にとるにしろ、慎重にしろ」て中国武術。
その慎重に選んだ師匠は尊重しなければならない。
学校の「教師」のような当たりはずれがあるモノは、その「尊重」に入れるべきか否かは、「相性」と「教師の資質」次第である。
論理的にがっちり固めないと神秘を論じれない・・のだよね。
空海にしろ、チベット密教にしろ、その辺の論理は、重厚で緻密。
それがきつければ、易とか老荘を読みこなせないと、まず無理だは・・。
感情も、結構容易に騙される・・・・それをわかってないと、せっかくの直観・感情も落とし穴にはまる原因になる。
「家族の面倒くささ」を理解しないと、「家族の有用性」を発揮できない・・・て孫子のパクリで言ってみる。
誰でも密教・神秘は表面は体験できる。そりゃ「世界が神秘」だからね。
でもそれを深めるのは師匠が無ければ、不可能。。そりゃ「神秘」ですから・・簡単にはわからないし、体験した経験が無いと「文字では書ききれない」ものを判別するのは、無理だからね。
多分そう思う。
まあ面倒なら、マトモな小説・推理小説の古典を読むのが意外といいらしい。
論理学の「基礎」は大事だよ・・・
ライシテ~西欧的無宗教と、儒仏の~アジア圏の神仏習合的無宗教は、全然違う。
ので、ライシテは無用。
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