GLAYの『Beautiful like you』の歌詞の深読み話〜置き忘れていたことがあった〜
仕事に専心し、子育てに没頭する中でふと「何か置き忘れているような気がする」と思うことがある。「とはいえ目の前のことを片付けるぞ。締め切りは待ってくれない」とスルーする日々。流されている自覚は、ある。でも何を置き忘れたのかはわからない。なんなら、置き忘れたことがあったことすら忘れる。
そんなときに聴いたのがGLAYの『Beautiful like you』です。TAKUROさん作詞作曲のこの曲のこの一節で、忘れたくないものを思い出したように思います。
愛から嘘を取り除いてくれる歌詞
どちらかというと、私はいわゆる「恋愛ソング」とは距離を置いています。恋に恋焦がれる年齢は過ぎましたし(『グロリアス』は好き)、愛を振りかざす歌詞は説教に聞こえちゃうような性格です。
でも『Beautiful like you』の歌詞はすっと入ってきて残ってくれます。子どもと一緒に「びゅてぃふぉーびゅてぃふぉー」と口ずさんでいます。何でなんでしょう?考えに考えた末にわかったのは、「愛の表と裏の両方」を表しているからかもしれません。
人並みに愛について悩む経験を重ねると、「愛=よいもの」とばかりは思い出せない出来事にたくさん遭遇します。実家がゴタゴタして「確かにここに愛はあったはずなんだけど憎しみになっちゃったね」なんてこともあります。「愛」という言葉が企業理念や社風に入っている組織でひとが病んでいるなんてことは、もはや耳にしても「いつものこと」と思ってしまいます。
「愛」という言葉を聞くと「嘘」や「憎しみ」という言葉が先に思い浮かんでしまうほど、「愛」を信じられない状況はそこらじゅうに転がっています。聞き飽きた、見飽きた。愛なんて綺麗事でしかない。
その中で『Beautiful like you』は愛をもう一度信じさせてくれます。思い出させてくれる、の方が正確かもしれない。本当は愛に従っていきたいんじゃなかったっけ?
なぜそう思えるかと言うと、現実的なんですよね。表と裏の両方を教えてくれます。表は「私はいつでもそばにいる」です。でも、この言葉がどれだけ軽く扱われているかは、誰もが経験しています。「セールストークかな?」「何か売られるのかな?」と思うほどすれてしまいました。でも、本音ではこの言葉を捨てるような人間にはなりたくないわけです。
愛の裏には、愛の土台には、愛から嘘を取り除く何かは何なんだ。どこにあるんだと思ったときに『Beautiful like you』は教えてくれています。「雨に打たれ 雪に埋もれ 夢にやぶれたとしても」です。愛することとは、「私はいつでもそばにいる」ことだけどそれだけだといつの間にか嘘にすり替わっていく。「雨に打たれ 雪に埋もれ 夢にやぶれたとしても」の歌詞があるから、現実的に感じられます。
愛という言葉から綺麗事をなくしてくれるのがこの一節です。
愛が試されるときを教えてくれる歌詞
「雨に打たれ 雪に埋もれ 夢にやぶれたとしても」に支えられて、「私はいつでもそばにいる」が心の中に飛び込んできます。
健やかな時に愛は試されないのかもしれません。目の前のひとが調子良いときに愛することは簡単です。一緒に喜べばいいし、楽しめばいいんです。
では病める時は?
「私はいつでもそばにいる」と誓えて、実際にそばにいられるか。愛が試される瞬間です。
文字通り病気のときにも、悲しんでいるときでも、怒っているときでも、そのひとの良さがまったく思い出せないようなときでも、「私はいつでもそばにいる」ことができるのか。
いつ愛が試されるかを教えてくれています。愛が一時的な感情でもときめきでもないことを教えてくれています。愛は行動なんでしょうか。
愛は何に向かう行為かを教えてくれる歌詞
ここまでくると、「いつでもそばにいる」ことの重みをどんどん感じたくなります。なぜ「そばにいる」という言葉が選ばれたのか。他にも候補ならあるはずです。「支える」でも「あなたといきていく」でもあったはずです。
なぜ「そばにいる」なのか。「そばにいる」から感じ取れることは何なのか。この意味を考え続けたいです。
「そばにいる」ことって難しいんです。目の前のひとがよくない状態のときには、ひとは何かしたくなります。それは「このひとのために何かしてあげたい」という善意のときもあれば、「早く気まずいこの状況を抜け出したい」という自分本位なときもあります。
待てないんです。そのひとが、そのひとのタイミングで、そのひとのやり方でそのときを過ごすことを待てない。口を出してしまう。手を出してしまう。関与してしまう。変わることは本人にしかできないのに。変えたくなってしまう。
「そばにいる」は言い換えれば「何もせずにいる」です。言ってしまえば、そばにいる「だけ」です。この積極的な受け身とも言えるような行動がどれだけひとに勇気を与えるか。愛を感じさせるか。
なぜなら「私はあなたが何もしなくてもそばにいるよ」と伝えることであり、それは「あなたの命そのものが、存在そのものが愛しいから。何も有益なことをしなくても、生産性だの効率だの利益だのといった価値があるからそばにいるわけじゃないよ」と伝わるからです。
言葉にした側から砂のように消えていく伝わってほしいと願っていることが、「そばにいる」でようやく伝わる気がします。「口先」なんて言葉があります。言葉にすることなんて、簡単なんです。秒でできます。5分だけでも何もせずに「そばにいる」ことがどれだけ難しく、どれだけのことを伝えてくれるかを忘れていました。
これほどまでに純度の高い愛の表現があったんですね。『Beautiful like you』は聞き手の心に愛の表と裏、愛は行為であること、そして「命や存在」を思うことを教えてくれているように思います。
エーリッヒフロムの『愛するということ』を読んで、「そうか!愛は行為なんだ!」と学んだはずなんですけど、忘れる忘れる。『Beautiful like you』が定期的に急に流れる生活を送りたい。
この歌詞、GLAYの何の曲かわかりますか?
長々と書いてきましたが、本当はいつもこんなことを考えながらひとに接していたい自分がいることを思い出させてくれました。もっと子どもに、妻に、仲間に、仕事に『Beautiful like you』の精神で専心できたら。気が散り過ぎなんですよね。
こんなことを考えている自分がいることも「逃げたな」なんて考えている自分がいることもわかりました。ビジネスに没頭しているとこういった精神性に通じることは「金にならない」「ビジネスの世界で負けた奴の逃げ場」として退けられます。絶対に表では言われないですが、そんな場に触れたことがあるひとは多いはずです。「まだ音楽聞いてるの?」とか「音楽聞いてるやつは弱い」とか。心に正直なだけです。
でも、GLAYはもっと昔に「愛なんでしょ」と教えてくれていたんですよね。
何の曲かわかったら、コメント欄にでも教えてください。あなた、GLAY好きですね♪
歌詞の深読み話・佐野創太
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