【レポ】劇場版ポルノグラフィティ「VisualAlbum暁」
ポルノグラフィティ5年ぶりのオリジナルアルバム「暁」がリリースされてまだ1週間も経たない今。二日間限定で、全国の映画館にて「VisualAlbum暁」と題し、アルバム「暁」の全曲MVを一つの映像作品に仕上げたものが上映されました。
各曲のつなぎ目には撮りおろしの映像が差し込まれるほか、アルバム曲のMVは世界中のアーティストやクリエイターによりつくられたもの。本来バラバラの世界観である15曲を、一つの作品に昇華させてみようという新たな試みであり、ポルノが届けたい世界とはまた異なる視点からポルノの曲の世界を広げてくれた90分でした。
解釈や感じ方は人それぞれあると思うのですが、僕なりの解釈を感想を交えて書き連ねてみようと思います。
曲の記憶をたどります
0.イントロダクション
ポルノが好きなのであろう少女が、ポルノをモチーフにした工作をしているシーン。大人の女性が部屋で掃除機をかけるシーン。大人の男性が車の整備をしているシーン。
少女のシーンを中心にしながら、「ブレス」のメロディとともにこのフィルムのダイジェストのような映像が流れる。少女の作業部屋のようなところに視点は移り、少女がカメラを手で隠すと「ブレス」のMVが始まった。
1.ブレス
既存MV。ポケモン映画のタイアップもあってか、子どもたちが自由に遊びまわる中で歌う昭仁と晴一というほのぼのした世界。子どもたち視点の非常に無邪気なカメラワークになっている。
子どもたちに優しく接するポルノの二人(通称パパ仁・パパ一)を見れるということでファンからも人気のあるMV。
思いのほか、爽やかに始まりましたね。
2.Zombies are standing out
場面は変わり不穏な空気。少女の前で両親らしき人が言い争いをしている。少女は机の下に隠れるが、耐えられなくなり夜の道路を駆け抜ける。途中、車のライトに照らされ「轢かれる!」と思いきや、少女の前で停車する黄色い車。それはタクシーで、なんとまさかの運転手晴一。
「どちらまで?」と訊く晴一に、「とにかくどこでも」という少女。暗い夜道の中、曲のフレーズが不気味さを演出し、ところどころ運転手の顔がゾンビのように映る。少女が気付いた時には運転手は完全にゾンビで、車から降りておののく少女にゾンビ晴一が一歩一歩迫りくる。・・・というところで曲のMVへ。
こちらもシングルなので既存MV。最高にクールな映像であり、ポルノの歌唱シーンを中心に、踊り狂うゾンビメイクたちが画面を這いまわるハードなビデオ。この曲をウォークマンで聴き、自分もゾンビのように激しく曲にノる女性が登場しますが、図らずも冒頭の少女の成長した姿にも見えます。
晴一さん、ゾンビメイクがしたかったんだね。しかしそんなドアップで画面によられたら何人か気絶しますよ、色んな意味で。
3.バトロワ・ゲームズ
気付くとゾンビはいなくなり、夜の芝生の上にたたずむ少女。すると突然雷が少女を直撃し、MVへ。
初公開のMV。サーキットのような場所を中心として、5人組の少女によるロックなダンスとともに、ゲームの世界のようなギミック画面が織り交ぜられたビデオ。元々ダンサブルな曲ですが、銃で撃つような振り付けなどで歌詞に寄り添うところもあり、パフォーマンスと曲が非常にマッチしていてカッコいい。
少女の中での苦しみや葛藤との闘いのテーマって感じでしょうか。
4.VS
バトロワで出てきた「VS」の文字繋がりか、続いても既存MVから「VS」。下北沢の街を、二人が別々に歩きながら、ライヴ会場へ向かうビデオ。最後のサビで、会場で歌うシーンは、昔のライヴ映像も出てきてすごくエモいです。
あえて本作のストーリーに寄り添う解釈をすれば、少女の葛藤は爽やかに終わり、家に戻ったような感じですか。もしかすると家に帰って、「もうケンカはやめてよ」と両親と戦ったかもしれませんね。
5.カメレオン・レンズ
10年後、というテロップとともに場面は変わり、病院で検査を受ける男性。どうやら深刻な病のようで、医師から何かを告げられ呆然と歩く。辿り着いた先は車庫。おそらく冒頭の整備士の男性でしょう。カメレオン・レンズのMVに登場する車を見て、整備していると「お父さん」と呼ぶ娘の姿。娘の姿を見るや、ドライブに誘う男性。「どこに行くの?」と娘が聞いても返答はないが、楽し気に娘とともにドライブへ。
MVは既存。ポルノ史上最高にエロいMVであり、これで何人のファンが魂を持っていかれたことか。映画館の大きなスクリーンで流していい絵ではありませんよほんと。モノクロの画面から1番サビで鮮やかなカラーに。リンゴ、薔薇、ワイン、晴一の靴下と、赤が非常に目を惹く映像美に、ポルノの二人の恵まれたお顔立ちを存分に味わえる映像。これ1本で映画ですよ。
お父さんが整備していた車も登場。曲中では「分かり合えない二人の哀しさと美しさ」を描いていますが、前段のストーリーを見ると、病という目をそむけたくなる現実に対し、もしかすると娘ならいい意味で自分と違う解釈をしてくれるかもしれない、という希望の歌なのでしょうか。
6.メビウス
場面は変わり、二人の女性がそれぞれポツンとひとり、カラオケボックスでメビウスの一節を歌っています。失恋したのか、はたまた別の理由・・・父の病のことか。一人は先ほどの娘さん。もう一人は黒いショートカットの若い女性。なんだか寂し気な雰囲気から、MVへ。
新MV。韓国のクリエイターさん作のようです。二人の男女のキラキラした生活と、おそらく別れ話であろうシーンを織り交ぜながら、カップルが仲間とともにカラオケで盛り上がる様子が映像になっています。
映像では楽しそうに盛り上がりながらメビウスを歌っているようで、曲の雰囲気とはややギャップがあります。イメージとしては「ハネウマライダー」とか「睡蓮花」を歌っているような雰囲気。
ですが、メビウスの世界そのものを表現したというよりは、メビウスという曲が存在する世界での、とあるカップルの物語という感じでしょうか。メビウスも大きなくくりでは失恋、ないし関係性の終わりを示す曲だと思うので、曲が持つ世界とは異なる視点で楽曲を映してみた、という感じでしょうか。
何気に本人たちの歌唱シーンも登場します(登場するとは思わなんだ)。韓国っぽいネオンカラーの照明に当てられながらアンニュイに演奏する二人は、シンプルながら素敵です。
7.証言
部屋の掃除をする女性が突然踊り始めたと思ったら、部屋の中に証言を歌う昭仁が。え、ダンスしたら昭仁がお家に召喚できるの?しばらくして掃除機を抱いてソファに寝る女性。あれは夢だったのかしら…と首をかしげながらMVの場面へ。
既に公式YouTubeで公開されているMV。フランスのダンサーたちが織り成すコンテンポラリーダンス。夜明けと思しき背景の中で町並みをバックに、しなやかさの中に生命力を感じるダンス。しなやかな体、時折出てくる激しく直線的な動きから、初見ではダンサーたちが思う「愛」を具現化した存在のような印象を受けました。
今回改めて見て感じたのは、ダンサー一人ひとりが「星」のようだなあということ。ダンサーたちが愛というより、この世の愛というものを見守り証言する星たちとシンクロした。
どこまで歌詞を海外アーティストに説明しているのかわかりませんが、僕にはそう思えたなあ。
8.You are my Queen
成長した少女らしき女性がポルノグッズが詰まった大きな箱から、小さな蓄音機のようなおもちゃを取り出し、これまた小さな人形をレコードの上に乗せ曲をかけると始まるMV。
僕はプロポーズソングと捉えていたので、ギャップがありました。前予想で「ポルノな意味での女王じゃないだろうね?」と言っていたら、まさかのMVでポルノな方の女王っぽい女性たちが出てきました。おおおふ。ちょっと呼吸させてくださいまし。
歌詞をなぞったような振り付けもあり、ラスサビではダンサーたちも歌っていました。曲のリズムに合わせてヒールの足踏み音も聞こえるのですが、ポルノな意味のQueenじゃないよね?パフォーマンスはカッコイイんですが…。
9.テーマソング
前曲に続き箱から取り出されるのは「テーマソング」と書かれたチケット。チケットを見つめる女性の脳裏には、昨年行われたツアー「続・ポルノグラフィティ」のワンシーン。そして観客と思しき女性が、ライヴ会場を後にするようなシーンから、スクランブル交差点らしき街へと画面がワープ。テーマソングが始まります。
既存MV。僕は実は初見。泣けるほどのきれいな青空と、二人の歌唱シーンを中心にしつつ、就活中と思しき女性、保育士らしき女性、営業マンらしき男性が時折登場し、応援ソングであることがわかりやすいストレートなMVです。
前曲の衝撃からある意味救われる爽やかですね。
10.ナンバー
アメリカンな雰囲気で、二人の男女が車で旅をする映像。道端で用を足す男性が画面の端に映りながらMVがスタート。万引きのシーンや食べ物を口から出すシーンなど、中々にお下品なシーンもあるのですが、若気の至りですかね。
こちらも曲(歌詞)の世界を再現した映像というよりは、時間やルールに縛られずに人生を謳歌する二人の若い男女という感じで、世界観が少しパラレルな雰囲気となっています。「時間やルールに縛られず」という意味では、歌詞の世界にもつながるところはあると思いますが、曲をモチーフにした短編映画というところでしょうか。
インタビュー記事ではイギリスの音楽をイメージしたと語られてましたが、すごくアメリカンでした。解釈が海をわたりましたね。
11.フラワー
場面は変わり母と娘が病院で父を待っています。父のために選んだという花束。母にも褒められ、娘は満足そうです。花束にフォーカスされ、MVへ。
既存MV。絵具のようなタッチの鮮やかな映像に、ポルノの二人の演奏シーンが影絵のように映し出される、現実をアニメーションのコラボのような作品。
僕の「フラワー」のイメージは野に咲く一輪の花で、花束ではないのですが、彩ゆたかな映像も相まって複数の花のイメージをはじめて持ちました。お花畑のような整備された様子ではなく、いろんな場所でさまざまに咲く花。また、花を人生に喩えるのなら、人それぞれの人生があるというような印象も受けます。
アルバムの収録曲として聴いたときも印象が変わった曲ですが、今回の映像でも少しまた違う聴き方ができました。
12.ジルダ
花束を届ける相手・父が無事に登場。帰宅し退院祝いのケーキを家族で囲みます。曲でもかけようか、と娘。かける曲は「ジルダ」。ポルノの新曲だよと言いながらかけると、父が口ずさみだします。ポルノは俺の青春のバンドだからと、ヒートアップする父。それを見て笑う母と、動画を撮る娘。家族3人がそれぞれに歌い、撮り、場面はMVへと移ります。
新MV。スマホで自撮りしたような場面が繋ぎ合わさった映像。性別も国籍も年齢も様々な世界中の人たちがジルダを口ずさみます。
その中には昭仁、晴一もちゃっかり登場。晴一さん、絶対こういう若い人がやってそうなことしてみたかったんでしょ。昭仁さん、自撮り棒もってみたかったんでしょ。
この曲を聴いた時の印象は「インスタのストーリーっぽいなあ」でしたが、まんまストーリーっぽいMVが出てきてビックリしましたよ。
13.クラウド
再び家族の場面。新しいポルノのMVだよ、とDVDらしきケースを持ち出す娘と、一緒に見てみようという父(父と娘逆やったかも)。中国の人が作ったらしいよ~…というセリフとともにMVへ。
中国のとある町。タバコ屋の若い男性にライターを頼む女性客。ライターの灯をともすと、男性の脳裏によみがえる彼女と思しき女性との記憶。クラウドに保存されたような写真などは出てきませんが、確かに男性の脳裏にある思い出。そのワンシーン、ワンシーンが曲とともに流れてくる。
最後は女性客に「ちょっと?聞こえてる?ありがと」的なことを言われ、我に返る男性で映像は終了。まさに映画と主題歌のような映像でした。
14.悪霊少女
場面は変わり、かつて作業部屋だった少女の部屋に。ほどなくしてMVへ移ります。
こちらも「証言」に続き公開されているMV。アニメーションとなっており、絵本のようなタッチで描かれる、モノクロな世界の中での少女とピンク色が印象的なMV。
アルバムでは序盤に収録されているので、終盤に聴くとどこか新鮮。ポルノに関する工作に勤しんでいた少女のころから、いくばくか成長した娘が、過去の自分を振り返る・懐かしむようなイメージをもらいました。「メビウス」の時に失恋してたようにも見えるもんね。恋を乗り越えて強くなったんでしょう。
15.暁
丸い太陽のような白い影を背景に、部屋でダンスを踊る娘。最後の1曲、「暁」です。
こちらもすでに公開されているMV。非常にロックでカッコいいMVで、ダンサーさんのきびきびした動きが刃のように鋭い。オープニング感の強い曲でしたが、エンディングでもいい味出しますね。次に続く感じがします。
今回の映像、曲順はアルバムと同じだろうかと考えていたのですが、最初が「ブレス」だったので、ああ編成しなおしたなと。なら最後は「暁」やなと思っていたので、まさに締めくくりという僕の印象とぴったりでした。
アルバムトップの曲を締めに使うことで、映像が終わった後、家に帰ってファンそれぞれがアルバムを聴く世界戦に戻るようなイメージですかね。語彙がイマイチですが伝わりますか?
16.エピローグ
暁のMVが終わると再び家族の場面。ポルノがTVで暁を歌うということで家族そろってTVに魅入ります。すごい家族やな。母が「このアルバムいいわね~」と言っている傍で、演奏に合わせて父が調子に乗り始めると、インターホンが。玄関のドアを開けると、ポルノの二人の背中と、驚く家族の絵で映像は終了。
全体の感想
ポルノにとって新たな試みであった今回。最後に二人のインタビューが流れましたが、感じ方は人それぞれなので、感想を聞いてみたい、と。ポルノが描く世界とはまた違う視点で曲を再構成するというところ、そして必ずしも二人が出演しないアート作品というところで、ポルノとしてもまだ感触が分からないのだろうと思います。
ということを踏まえて僕の感想。
曲と曲をつなげる、3人の家族のストーリーは、生活・営みの中にポルノの曲が溶け込んでいるというような解釈をしました。振り返ると、おそらくケンカが絶えない夫婦と、その現実から逃れるようにポルノグラフィティの世界に閉じこもる娘が、父の病とポルノの楽曲をきっかけにして、家族として再構築していく…そんなストーリーでしょうか。
一度「当たり前」が壊された世界が、再構成されようとしている現代。その中で希望となりうる、いや、そうなってほしいと願う夜明け・暁。再構成というのは時に痛みを伴う「生みの苦しみ」があるものですが、その中で希望の灯火とならんとするイメージを「暁」というアルバムに託したとすれば、「暁」という映像作品に託したとすれば、一見バラバラの楽曲にも一連の作品群として新しい光り方が灯るように思います。
一方、MV=曲の世界を表すものであるとすると、正直解釈が違うなあという場面、映像もありました。曲を先に聴き込んでいる分、自分の中の世界観がある程度確立しているので、違和感はどうしても出てきます。
歌詞(日本語)をどこまで理解されているのかわかりませんが、特に海外のアーティストさんは、日本語のバイリンガルでもない限り、正確に晴一の世界を描き出すのは難しいでしょう。日本人でも分からないですからね!
その中で例えばメロディ、例えば昭仁の歌い方、例えば音の構成など、歌詞以外のところからインスピレーションを得て、映像にしたのだとすると、それぞれゲームや漫画で言うスピンオフ、サイド/アナザーストーリー的な感じで楽しめるのではないかと思います。
やや脱線しますが、ミュージカルもそうですが、「こうだ」と思っていた解釈が、違うキャストが演じることによって「こういう表現もあるのか」と感じることが多々あります。Wキャストの時もそうですし、再演決定時のキャスト入れ替わりの時もそうです。
「この役はこの人でないと!」という「はまり役」もある。「この演出は変えちゃだめ!」ということもある。確かにあるにはありますが、好きすぎるあまりに新たに演じられる人や新たな演出に口撃するのは、いささかお門違いだと思うのです。
否定的な言葉というのは、時に、肯定的な言葉よりも深く人の印象に残ります。批評批判は「好き」という気持ちがあるからこそ起こることもありますが、それゆえに、否定的な言葉や感想は、表現の仕方を立ち止まって考えてから発信しないと、芸術やアートの進歩を、新しい挑戦への意欲を、思わぬ形で止めかねないと思うんです。否定を否定しているのではないですよ。
いずれにしても好みの問題は出てきますが、ポルノの楽曲って、外から見るとこういう見え方をしているのかな、と想像するとそれもまた一興だと思います。
最後のインタビューでは、こういう映像芸術的な視点を次のツアーには盛り込もうかと考えている、と言及がありました。ポルノで映像というと、「惑ワズノ森」の昔話が思い浮かんだんですが…これはちょっとベクトルが違うな。
さておき、「しまなみ」ではVlog的な映像差し込みもありました。「UNFADED」ではオペラ調の導入がありましたし、ギミックとして様々な挑戦をされるのは楽しみなことです。
どうやらファンの中でも好みは分かれる映像となったようですが、色んな感想を得て、またポルノグラフィティの次の挑戦に活かしてほしいです。
ツアーまで数カ月。どんなツアーになるか楽しみです。
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