ダイアリー21/10/11 2年ぶりのライヴを終えて
2021年10月11日・12日。約2年ぶりに開催されたポルノグラフィティのライヴツアー「続・ポルノグラフィティ」大阪公演。
ファンクラブ先行のチケットは全滅でしたが、一般販売で何とか手に入れることができ、一人でひっそり参戦してきました。
ライヴツアーはまだこれからも続くので、ネタバレを含む感想は別の機会にして、この日、この想いを。
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ポルノグラフィティは「夢」である
ライヴのMCや雑誌等のインタビュー、あるいは曲中のエッセンスとして、しばしばポルノ自身の口からも語られる「ポルノグラフィティは夢である」という考え方。
因島で生まれ育った少年たちから始まった「夢」。それは彼らを支える人々やスタッフ、プロデューサー、そしてファンたちによって、様々な人の想いを取り込んで、彼らの手の中でおさまりきらないほどに大きく大きくなり、ポルノグラフィティという概念、とでも言いましょうか。一つの大きな「夢」になっています。
つまり、ポルノグラフィティとは単なるバンド名ではなく、昭仁、晴一、そしてファンを含んだポルノにかかわる全ての人たちとが共に作っていくもの。ライヴとはその最たるもので、夢を現実に具現化した象徴的なものだと思うのです。
自分ルールを盾にして
ポルノにとってライヴとは、ポルノの活動そのものです。
それはメジャーデビューする前から変わらない「柱」。ファンにとっても、新曲が聴きたい、新しいアルバムを出してほしい、それよりも何よりも、やはりライヴを見たい、だと思うのです。
でも僕は今回ライヴに参加するかどうか、かなりギリギリまで迷っていました。それは世間の状況がやはりまだ落ち着いていないということが大きくて、100%楽しむ気持ちを持てないんじゃないか、それはアーティストに対して失礼なんじゃないか。色んなことを考えました。こんなこと考えているなんて、ファン失格やな、とも。
その気持ちを察するかのように、ファンクラブ先行のチケットは軒並み全滅。チケットサイトの先行受付も全滅。ああ、引き寄せの法則というか、思ってることと現実ってリンクするんやな。そう思いました。
最終的には一般販売で、無事にチケットをゲットできました(緊急事態宣言の解除による座席開放があったのかもしれません)。県を跨いだ参加はしないと決めていて、最後のチャンスだったので、本当にありがたいことです。先行販売から1カ月近く、落選通知が続いてメンタルが壊れかけていましたからね。
とは言え参戦が決まったこの時も、まだ僕の中の迷いや不安は絶ちきれていませんでした。だから自分にルールを課しました。
人に押し付ける気はありません。考え方が違う人と争う気もありません。本当に自己満足の、自分に対してだけのルールです。
久しぶりのライヴ。本来ならライヴ友達と会い、ライヴが開催されること自体への喜びを分かち合いたい。ファン同士のコミュニティで普段仲良くしてくれている人と挨拶だってしたい。
ただ、今回は、しない。ライヴを100%楽しむためには、無事ツアーが完走されるためには、自分を律しないといけない。
そこまで思うなら行くのやめたらいいのにという意見には、返す言葉がありません。
お前はどうやねんと言われれば、もちろんいわゆる一般的な対策はしているし、リモートワークもできる仕事なのでほぼ在宅勤務。
とは言えミュージカルを見に外出したり、人とご飯を食べることだって、限りなく少ないけど0ではない。そういう意味で、感染対策が万全なんですか?偉そうに言える立場ですか?と言われたらぐうの音も出ません。
でも、こういう状況下で参加する以上、最大限気を付けようとは思うじゃないですか。夢は皆で見るものやから、ファンのせいで壊れたら悲しいじゃないですか。もし万一、このライヴで「何か」が起こったら、汚名を着るのは僕らが大好きなアーティストやから。
共に夢を見る覚悟はあったか
そんな思いもあった中で始まったライヴ。素晴らしい演奏、体が覚えていたノリ。良かった、ライヴはやっぱり来たら来たで楽しめるやん。
やっぱりポルノのライヴは最高。生で見るのは2019年以来。あの時も最高やったけど、その歌声は、その演奏は、間違いなく進化していて、ああ、ポルノは夢の続きを僕らと見てくれている。そう思いました。
前述の通り、ポルノグラフィティは「夢」です。それは時にファンが自分の人生を重ね、自分に起きたイベントと、心情と、風景と重ね、色とりどりに幾層も色を重ねられて描かれる夢。ポルノ自身が前へ進むために、時に声援を、時に叱咤激励を受けて描かれる夢。
10月11日。僕は純粋にライヴを楽しむ気持ちではなく、ある思いを持って帰ることになります。その夢を共に背負う責任を、覚悟を持っていたか、と。ポルノが提供してくれる曲を、パフォーマンスを享受するだけで、ともに夢の続きを描いていく、その覚悟があったのか。
10月11日。ライヴ中のMCで昭仁さんからこんな発言が出ました。
「君たち、声、漏れとるで(笑)」
場が白けないように、少しおどけた調子で発されたこの言葉。観客はこのツアーで、感染防止のために「声を出してはいけない」と言われていました。しかし時々漏れ出る笑い声。MCの内容が面白いから仕方がないじゃないか。まあ、そういう意見もあると思います。ついつい漏れ出てしまう笑いだってあるでしょう。
卑怯なことを書きますが、僕自身は笑い声を出すのも我慢していました。ああ、笑い声は出るんやねえ。会場の様子を見てそう思ってました。でも、昭仁の一言でハッとしました。
「ああ、昭仁にこんなことを言わせてしまった。」そんな文章が頭の中を埋めました。昭仁と晴一は夢の続きを見せてくれているのに、僕がその夢の続きを中断させるようなことがあってたまるか。
僕は覚悟が足りなかったのでは?ポルノのライヴを成功させるために、12月まで他の会場でポルノのライヴを待っている他のファンたちのために、自分を律する必要はなかったのか?あるいは、自分ルールで自分だけ守って、それでよしと思っていたのでは?できる範囲だけでも注意喚起を発信すべきだったのでは?
今回のライヴは、状況に鑑みて参戦を諦めた人も大勢いるはず。そんな人たちに、僕は顔向けできるのか。僕はしばらく、ポルノファンの仲良くしてくださる方に、顔向けできそうにありません。
あくまで私見。人に押しつける気はありません。でも。
夢に甘えていたのではないか
純粋にライヴを楽しめなかった原因はもう一つ。
10月11日。その方は、僕の斜め後ろの方の席でした。
公式に喋るな声を出すなと言われていて、ライヴ中もアーティスト本人から喋れないことを話題に出されていて、それでもなお聞こえる、明らかな生の声。アーティストの名前を呼んだり、MCに反応したり、「フゥーー!!」と叫んだり。
今回のライヴでは、声を事前に録音して歓声を出すことができるスピーカーが公式グッズで販売されており、録音した声は会場のあちこちから聞こえるのです。
でも、よく聞こえました。その素敵な生のお声が。その最高にライヴを楽しんでいらっしゃるのが伝わる、間違いなく録音でないお声が。
手拍子、フリ、コールアンドレスポンス。ライヴで観客が創り出す一体感は、ポルノのライヴの醍醐味の一つです。ポルノ本人をして素晴らしい光景と言わしめるほどのもので、僕もその中に入れることが幸福でした。
でも、声は、声だけは、今回のライヴはあかんのではないのか…?それは「マナー」ではなく「ルール」なのでは?
ポルノの120%のパフォーマンスに対して、それに応えるファン。それを見て昭仁はライヴのたびに、観客へ向けて「あなたたちは最高じゃ」と言ってくれます。「だから、胸張っていけ、自信持って行け」と。
その人はたぶんレアケースであって、ファンが全員そういう人ではないと頭ではわかってます。悪いのはその人だけや、一緒にすんな、と。
でも、昭仁の言葉に甘えていたのかもしれない。その人は僕らの甘えの象徴だったのかもしれない。
夢の続き
今回2日間参戦して、ああ、やっぱりポルノは夢の続きを見せてくれている。そう思いました。まだまだこれからも、夢は続く。
同時にその夢には、ファンがポルノに見せる光景も含まれていると思います。ファンとは言え人間の集団ですから、その中にいろんな人がいて然るべきだと思います。いろんな考えのいろんな夢の形があるからこそ、ポルノグラフィティという夢はさらに大きくなり、前へ進んでいく。
それならばなおさら、僕はポルノのファンであることを誇りに思いたい。その誇りと同じだけの責任と覚悟も持っていたい。夢の続きは、ポルノに見せてもらうだけでなく、僕からも素晴らしい夢をポルノに見せたい。そう思うのは傲慢でしょうか。
「最高じゃ」と言われるファンになるために。2021年10月11日。