【観劇レポ】全ての結果は私のもの ミュージカル「イザボー」
観劇レポ。本日はミュージカル「イザボー」大阪公演のレポです。
狂気王 と呼ばれたフランス王・シャルル6世の王妃にして、フランス最悪の王妃と呼ばれるイザボー・ド・バビエールという女性を題材にした、日本オリジナルの作品。
大阪はオリックス劇場での開演。僕は今回A席なので3階席。オリックスは、傾斜があるので3階でも比較的見やすいのですが、音は若干聞き取りづらい場面もあるんですよね…あと椅子が固い。
それはさておき、フランス題材のミュージカルは多いですが、多くはフランス革命前後のものなので、この中世フランスが舞台の作品は珍しいかも。ジャンヌ・ダルク題材のエンタメは多いですが、イザボーはその敵対勢力側です。ビジュアルやプロモーションの雰囲気から、今まで見てきた作品とは少し毛色が異なる印象を受けたので、ドキドキしながら観に行きました。
最悪の王妃
題材であるイザボー。バイエルンからフランスへ嫁ぎ、シャルル6世との間に12人もの子女を設けました。精神を病んだ夫・王を支えながら、彼女なりにフランスをイングランドから守るためにできることを考え、行動します。
「最悪」と呼ばれる所以は、貧しい民衆をよそに贅の限りを尽くす生活を送り、政敵を含む数々の男性とも浮名を流し、最後にはトロワ条約により娘をイングランドへ嫁がせ、フランス王の称号を憎きイングランドへ明け渡す羽目になった、ということが大きいのだと思います。
それぞれの行動の意味は、彼女なりに考えたものであるということも描かれます。ミュージカルの題材にされるにあたって、特に女性からの同情を誘うような描き方もできると思いますが、本作では必ずしもそんな印象は持ちませんでした(僕が女性だったなら見方も違うかもしれませんが)。
イザボーは彼女なりに考え行動し、その結果を時にもがきながらも受け入れていました。清濁併せ呑んで、自分の悲劇のヒロインにするわけでもなく、かといってエゴにまみれ傍若無人に振る舞っているようにも見えません。史実のイザボーがどうであったのかはわかりませんが、「最悪の王妃」というレッテルから想像していたキャラクターとは、異なりました。
この物語では、彼女の「最悪の王妃」というレッテルを剥がそうとすることも、貼り直すこともしていないように思います。ただ彼女がしたことを、彼女なりの視点で語る。そこには、歴史の捉え方、あるいは人の評価やモノの見方の相対性も感じます。
冒頭およびフィナーレの歌詞の通り、すべての富、希望だけでなく、「絶望」すらも私のものと謳うイザボー。自分の人生、自分の行動の結果、それがどんな評価をされようと、どんな結果を招くとしても、自分が選んだ道なのだから、受け入れるしかない。そして、ただそれだけでいいのだと、そんな風に語っているようにも聴こえました。
ミュージカルでは多くの王妃が題材にされています。後に彼女と同じく外国からフランスへ嫁ぎ、赤字夫人と謗られ処刑されたマリー・アントワネット。「王族が贅沢をやめれば敵国に付け入られる」という感覚は、マリーの時代の描写にも見られます。そして最期こそ異なれど、それが民衆・政敵の怒りに薪をくべることになるのは共通。
奇しくもイザボーと同じ名前であるハプスブルク帝国皇后・エリザベート(※イザボーはエリーザベトのフランス語形)。イザボーを観た後にエリザベートの描かれ方を思い返すと、シシイの方がよりエゴイスティックで、「すべてのものは私のもの」と謳うイザボーと、「私の人生は私だけのもの」と謳うエリザベートでは、似たようなことを言っているようで全く違うなと感じます。シシイは自分の自由を脅かすものから自分を守ろうとする側面が強いですが、イザボーの方は清濁両方ニュートラルに受け止めている感じがします。
マリーにしろエリザベートにしろ、あくまでクンリー作品ミュージカルの描かれ方として、ですけどね。
ストーリー・演出・楽曲
イングランドとフランスの100年戦争という時代を背景に、イザボーの息子でのちのシャルル7世となる息子と、その義母(妃の母)ヨランダが回顧録的にイザボーを語る構成。シャルル7世がタイムリープして母の人生を覗くような感じもあります。
ちなみにフランスとイングランドの伝統的な仲の悪さは、世界史的にも有名ですね。物語の中でも、登場人物からたびたびイングランドへの敵対心が垣間見えます。海に囲まれた日本では、感覚的に理解しづらいところもありますが、ヨーロッパにおける王位正当性の証明の重要性や、隣国に自国が脅かされる恐怖心は、ヨーロッパ系の時代物では重要なポイント。
全体の印象として、お話の寄り道もあまりなく、断片的なストーリーではあるものの、回顧録的に整理されているのでわかりやすい。1幕・2幕それぞれの開幕前に客席いじりがあったり、ラップ調の曲があったり、ミュージカルらしいエモーショナルな曲やロックな曲も両方あって、伝統的なミュージカルぽさと、ちょっと歌舞いた感じとがあった印象。
曲調やダンスの雰囲気、照明の使い方は、ミュージカルというよりミュージシャンのライヴに近いかもしれません。回想の再生のようなストーリーなので、ある意味ライヴっぽい演出はマッチするのかも。
それもあってか、若干2.5次元チックなところを感じましたが、キャストのパワーと、題材がおおむね史実なのもあって、あまり2.5次元系が得意ではない僕でも観れました。
深紅のイメージカラーと、少しゴスロリ感のある?ビジュアルが印象的。特に、最後の場面で赤い花をステージ上から大量に落とす演出は、フィナーレ感と視覚的なインパクトがあってよかった。
舞台装置としてお馴染みの、通称「盆」、舞台の真ん中にある回転する円形の舞台ですが、今作は3重?くらいの壁(コロッセオみたいなイメージ)になっていて、グルングルン回転。一歩間違えればケガも免れないと思いますが、美術や大道具さん、そしてキャストさんの技術と鍛錬に脱帽。
キャスト談
どこのムーランなルージュかと思ってしまうようなメンバーですね。
イザボーは望海風斗さん。実は初見。登場しただけで華が煌めくような、スター性をお持ちの方。今回は3階席からの観劇でしたが、舞台を一気に掌握する力強さを感じました。王との絆・愛、享楽的な場面、政争と策略、絶望と幸せ、様々な顔を描く中での強かさがお声にも表れていました。あとスリットから覗く御脚が美しい。
夏のムーラン・ルージュは、再びあーやのサティーンが見たくて望海さんの出演回はまだチケット未入手なのですが、望海さんのサティーンも観たくなりました。
シャルル7世の甲斐翔真氏。母イザボーを敵と憎みながら、先王の妃である彼女の生き様を、王位継承者として知り、飲み込もうとする若き王。
メインストーリーを傍らから見ているという演出上、前半は感情の機微が読み取りづらい役でもあり、ストーリーテラーのような中立的雰囲気もある役。それでもなお、やはり彼の存在感は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのエネルギーを放っています。
途中で黒い羽を生やしてペストの象徴を演じていて、トートデビューかと思っちゃったじゃないか。あれは…ギャグ演出なのですよね…?急にセフィロス出てくるんですもの。
シャルル6世は上原理生さん。精神を病み、「狂気王」と呼ばれた王。ストーリー中の大半が錯乱状態という難しい役。錯乱と狂気の中に、イザボーへの愛と苦しみが垣間見え、見ていて中々つらい役です。
余談ですが、上川さんが演じる「オルレアン公」という単語だけ聞いて上原さんを見ると、後にフランスの断頭台の露と消えた方のオルレアン公(「マリー・アントワネット」)を思い出しますね。
イザボーを取り巻く3人の諸侯。
オルレアン公の上川一哉さん。飄々としていてむかつくけど憎めない、という感じ。(何のイメージなのか)勝手に爽やか青年のイメージだったので、こういうキャラクターもお似合いなのが意外でした。物語が進むにつれて、彼のキャラクターに惹かれる自分がいます。
ところでオルレアン公というのは代々こういう飄々とした人間を輩出する家系なのでしょうかね。
ブルゴーニュ公フィリップの石井一考さんは、序盤こそ優しい雰囲気を醸しながら、狡猾さとの二面性が魅力的。その息子・ジャンの中河内雅貴さんは、狡猾さをそのまま受け継ぎながら、良くも悪くも生真面目で不器用そうな感じ。
シャルル7世の義母であるヨランダを演じる那須凛さん、若きイザボーであるイザベル(とジャンヌ・ダルクも?)を演じる大森未来衣さんのお二人も、今回がはじめましてだったのですが、セリフの時も歌の時も素晴らしいお声で、とても良かった。那須さんのちょっとハスキーでカッコいいお声好き。
総括
2月一発目の観劇。東京公演は配信もあったので、予習してから観に行ってもよかったなと思います。イザボーやシャルル7世という人物自体のことも勉強してから観ると受け取り方も変わる気がします。
ミュージカルというと、やはり海外制作の輸入版が人気で、かくいう僕自身もそんな作品が好きだったりもするのですが、本作のような日本のクリエイターによる日本生まれの作品も、もっと増えてほしいなと思います。