ダイアリー22/08/23 バースデーブルー
もはや、愛なんていらない。ただ、この生きづらい世界を生き抜くために、手を組む相手は欲しいと思う。
何の話やねん、というところですが、つくづく思うに、自分の脳には世間の多くの人が経験する恋愛的なパーツが抜け落ちているのでしょう。20代後半男子、もはや人を好きになるとはどういうことか分からなくなってきました。アセクシャルというわけではないと思うんですが、昔からそういう欲は同世代の男子よりも弱い気がする。
こういう風に拗らせると、いよいよ周囲の結婚ラッシュが台風のように僕の心を荒らしまくって過ぎ去っていく。ご祝儀という名のお札はその風に乗って飛んでいく。風が過ぎ去ると、ポツンと一人、荒野に取り残されたような感覚に陥る。
かといって自分が恋愛・結婚を強く求めているかというとそうではないのでは、と思えてきました。気が付けば20代も後半で、この先孤高の独身貴族で生きていく人生も悪くはないと思いつつ、人生の終わりの頃を見据えると、たとえ愛はそこになくても、パートナー的な相手はいた方がいいのではないかと思う。セフレならぬ、「ライフフレンド(ラフレ)」とでも言おうか。
僕が好きな作家に、朝井リョウさんがいるのですが、彼が何かのインタビューで結婚について語っていた時、すごく共感したのを覚えています。一言一句覚えていませんが、「僕らは互いが生きやすくなるために手を組んだ」的なことだったかと思います。まさに今僕が思うのはこういう形かもしれない(もちろん朝井さん夫婦の間には愛はあると思うんですが)。
心地よく生きるための生存戦略としての結婚・パートナーシップっていうのもありなんじゃないだろうか。仮面夫婦とかそういうのではなく、「手を組んだ方が得だよね」という感覚。損得で言うと味気ないけど、一昔前にニュースを騒がせた「戦略的互恵関係」という言葉に通じるかもしれない。
なーんて、人の左手薬指に光る輪っかがやたら目に入ってきた帰りの電車で思うなどした僕は、もうすぐ27歳の誕生日を迎える。ついに20代半ばではなく、アラサー、になる。
年齢は記号かもしれないですが、そして自分の心持ち次第で若々しくいられるのも分かっていますが、年々誕生日が来るのが嫌になる。
そう感じてしまうのは、世間という得体のしれない何かから、年相応の一般的な幸せを押し付けられている気がするからなのか。こどもの頃に思い描いていた20代後半は、こんなことで悩まないような、もっと大人だと思っていた。
迫るバースデーに心はブルーに。でもそんな気持ちにウソはないから、受け入れてあげたらいいのかもしれない。
26歳の僕よ、思ったより未熟な27歳を受け入れるんや。
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