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「ケーキでも食べるか?」


父は甘いものが好きだ。チョコレートなどの甘いお菓子、コーラなどの甘い飲み物(甘い お酒も)。だから当然、ケーキも好きだ。だからと言って、よくケーキを買ってくるという わけではない。甘いお菓子はよく買ってくるが、さすがにケーキはたまーにである。たとえば、うちでは何かの記念日にケーキを食べる。誕生日や結婚記念日、クリスマスも当然である。

父は、よく記念日を覚えている。といっても、家族の誕生日と結婚記念日くらいか。僕が 小さいころから、父は、記念日が近づくと、「ケーキでも食べるか?」と毎回聞く。小さいころは、そういう時に当然だというようにケーキを食べた。僕が中学生である時も、何かの記念日の時に、父はいつも通り、「ケーキでも食べるか?」と嬉しそうに家族に聞いた。父は、必要なこと以外はあまりたくさんしゃべらない。ケーキのことは、「必要なこと」の部類である。僕には姉がいるが、僕が中学生の時、姉は高校生だった。父が嬉しそうにケーキ の話題を出したのを聞き、「本当はケーキが食べたいだけなんでしょ」と言った。

たしかに、そうかもしれない。事あるごとに、理由をつけてケーキを食べたがる気がする。 記念日の時はもちろん、僕や姉が学校に入学したり卒業したり、試験に合格したり、と言ったときにも、お祝いだと言ってケーキを食べたがる。いや、表面的には、自分が食べたがっ ているというよりも、「ケーキでも食べるか?」と聞いているので、ケーキを家族が食べた いと思っている、と言う方が正確かもしれない。

お祝いをする、ということよりも、ケーキを食べるという方が目的になっているのではな いか、ということを姉が指摘したのである。さらには、家族が食べたいだろうから聞いてい るという態度をとっているが、本当は自分が食べたいのだ、ということを。

思えば、父は同じような聞き方をいろいろな場面で使っている。連休があれば、「どっか 行くか?」と聞き、母が、夕飯を作る気力の無いときには、「どっか食べ行くか?」と聞く。 どちらも、気が遣える優しい言葉であるようだが、本当は自分が一番乗り気であるかもしれない。

父は季節の風物詩的なものも好きだ。たとえば、土用の丑の日が近づくと、「うなぎでも食うか?」と言い出し、節分が近づくと、「豆でも撒くか?」と聞く。さらに、ケーキを食 べたいという思いが強かったのか、ハロウィンが近づいたときにも、「ケーキでも食べる か?」と聞いた。ハロウィンにケーキというイメージはあまりないが、父いわく、ハロウィンと言えばパンプキンケーキなのだという。

そんなことで、毎年のクリスマスに、ケーキを食べてきた。父は、クリスマスが近づいてくると、「今年もケーキでも食べるか?」と聞き始め、それから当日に向けて、「ケーキでも 食べるか?」と何回か言う。さぞ、クリスマスにはケーキを食べなければならないという決まりがあるかのように、ケーキを推してくる。そのうちに、母や姉が、特に姉が、食べたいケーキを所望し、それを当日に向けて用意することになる。それは、ケーキ屋さんで予約し たホールケーキであったこともあるし、店頭で売っているバラ売りの一人前ずつのケーキ であったり、母が自作したものであったりした。

もちろん、父のやさしさという部分はある。父だけが一番食べたいかように書いたが、絶 対に家族の他の三人も食べたいのである。何事につけ、誰かが言い出さないと始まらない。 その言い出しっぺの役割を父が負ってくれている。そういう優しさは絶対にある。

僕が育った町は日本三大ケーキの町のひとつと言われている。といって、ほかの地域より もケーキが盛んであるという印象はあまりないが、ケーキ屋さんは困らないくらいにはあった。父は仕事の都合でこの町にやってきた身だから、非常にラッキーな人だろう。ただ、 インターネットで日本三大ケーキの町と検索してみると、この町のことしか出てこない。ほかの二つのケーキの町は都会で、東京とか神戸とかである。こういうことしかアピールする ものがない田舎のさみしい現状がはっきりと感じとれてしまい、どこか劣等感を感じる。

かくいう僕も、甘いものは好きで、もちろんケーキも好きだ。甘すぎるものは苦手だが、 大抵の甘いスイーツになら飛びつく。ちなみに、一番好きなケーキはガトーショコラで、ケ ーキ屋さんにガトーショコラがあれば必ずそれを注文するくらいで、ここのガトーショコ ラはどう、とか品評するから、母にはガトーショコラ博士と言われたこともある。それくら いにはガトーショコラが好きだ。

だが、父と違って、一人暮らしを始めてからはあまりことあるごとに何かお祝いのものを食べるということはしなくなった。一人で祝って一人でケーキを食べてもしようがないと いうのもあるが、どちらかというと、そういう記念日などの特定の日というものに縛られず、 食べたくなったら食べるというスタイルをとっているから、と言う方が当たっていると思 う。最近では、姉の就職活動で内定が出たときにケーキを食べた。それを写真で撮って、お祝いのメッセージとともに姉にラインで送ったが、本当はたまたま僕がケーキを食べたか っただけなのだ。

スーパーで中国産のウナギを買ってきて食べたときも、ウナギが食べたいとその時思っ たからで、土用の丑の日があったからでも、何かお祝い事があったからでもない。僕は、そ んな風にして、ケーキやウナギといったちょっとした贅沢をする。

思うに、めでたいときに贅沢なものを食べてしまうのは少しもったいないような気がし てしまうのだ。めでたいときには、贅沢をしなくても最初から気持ちは高まっているから、 それ以上テンションを上げなくてもいい。それに対して、普段の何気ない生活の中で、食べたいと思ったときに贅沢なものを食べれば、気持ちの上り幅は大きいと思っている。どうせ 食べるのであれば、より気持ちが上がる時に食べたいと思うのだ。晴れの日に贅沢をせず、 雨の日にとっておくという感じだ。

さて、今年もクリスマスがやってくるが、独り身の僕にとっては、普通の日になるだろうと思う。 もちろん、その日にたまたま、チキンやらケーキが食べたくなったらそれを食べるかもしれないが、クリスマスだからと言って食べることはしない。それに、クリスマスにはチキンや ケーキのお店が混んでいるだろうから、あえてその日に食べたくなることもないだろう。ただ、前述の言い方をすれば、クリスマスは雨の日かもしれない。クリスマスということを意識してしまえば、クリスマスなのに、一人さみしく家で過ごすことになる。これはテンショ ンが下がる日かもしれない。そう考えれば、ケーキを食べてやっていもいいかもしれない。 こういう時、「ケーキでも食べるか?」と言ってくれる人がいたら、ふん切りがつくのだが。


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